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【LIGHTHOUSE視聴レポ】自戒と学びについて

Netflixで配信中の、星野源さんとオードリーの若林さん出演のトーク番組『LIGHTHOUSE』をイッキ見してしまった。

別にどちらのタレントも特段好きという訳でもなく、ただ久しぶりの何も予定のない休日に気になっていた番組を作業傍ら流し見しよう、くらいの気持ちで再生したことを後悔。
思いっきり最後まで画面釘付けで声出して笑いながら観てしまった。

★以下ネタバレも含むので注意★

お二人の人柄はもちろんだが、今まで知らなかった素顔が明らかになるにつれて、間違いなく
「ああ、この人の考え方すきだナ」
「ここはちょっと意見違うカモ」
等々、惹かれる要素があまりにも多すぎた

“多様性”について

回を跨いで語られていた“多様性”について。
育ってきた環境が特殊なせいもあるが、幼い頃から「周りに合わせなきゃ、でも自分ってなんか異質」という感覚があったからこそ、“多様性”を大事にしようという思いだけは持ってきたはずだった。
が、わたしが考え得る“多様性”には、私が生きてきた中で経験したきた/勉強してきたことしか含まれていなくて、その事実に凹んだことも何度もあった。
それを今回の若林さんの言葉によって、
「“多様性”の捉え方ですら人それぞれで、それは全く悪いことではない。もっと言えば、“多様性”という言葉にあまりにも支配されすぎているのでは
という考えに至った。

人がコミュニケーションをとる意味

星野源さんの発言からは、「相手の立場にたって考えることの難しさ」を改めて感じていた。
自分が良かれと思ってやっていること、相手のためになると思ってしていること、でもそれが全部ただの自己満だということも何となく分かっている。
だからこそ人間にはコミュニケーションが必要なのかもしれない。
人と人が互いを思いやり、その気持ちを最大出力で相手に伝えるために、様々な方法でコミュニケーションを取れるように神様が造ってくれたと考えたら、少しだけ前を向けた。

大人になっても熱量は持ち続けたい

「こんなもんだと分かっていつつも、まだまだこんなもんじゃねぇ!っていつまでも思っていそう」
この言葉が心臓の奥深くまで刺さって未だに抜けないが、人が健康的に生きていく上で、情熱はとても重要な要素だと思う。
抑圧が半端じゃなくて毎日漠然と消えたくて死にたくて仕方のなかった学生時代と今の自分を比較すると、趣味へ割く熱量は減りつつも、仕事に対しての熱量や「やりたい」と思ったことに対しての前のめり感は今の方が圧倒的に強い気がする。
昨日は社内の小さなコンペで優勝したが、そこに関しても「これだけは」というところに注いだ熱量の大きさには自負がある。


流れるように、なるように流れに身を任せながらも、「これだけは」への情熱はずっとこれからも持ち合わせたかっこいい大人になれますように。

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