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身近な人のコロナと『感染源』に思うこと

緊急事態宣言発令、永遠に続くんじゃないかと思える外出自粛、楽しみな予定が軒並み中止延期、まともに見れもせずに散っていった桜。こんなご時世ですが、みなさんいかがお過ごしですか?心も体もお元気ですか?今日は少しだけ、世間を騒がす新型コロナと感覚ピエロの『感染源』について書きたくて、久しぶりにnoteをあけました。わたしの心情のメモのようなものですが、気分転換にでもお目通しいただけますと幸いです。

表題の通り、身近な人が新型コロナウィルスに感染しました。特定を避けたいので詳しくは書けませんが、同じ屋根の下に住む非常に大事な人です。PCR検査のあれこれ!とか、ここが原因でかかった!とか、そういうことは書かないので、情報収拾目的ではこの先読んでも求めているものは得られないと思います。

身近な人のコロナ感染が発覚したとき、少しだけ報道がされました。でもその少しは個人を特定するのに十分な情報でした。知り合いや友達からは心配の連絡がたくさん来た一方で、ネット上では匿名での誹謗・中傷・ありもしない勝手な決めつけが散見されました。その、人を傷つける発言が目についてしまって、思わずより深く調べました。より深く調べれば調べるほど、他人の気持ちを思いやっていない発言にたくさん突き当たりました。

そこでわたしが感じたのは、自分と他人への失望でした。

仕事が早々に在宅勤務になったため、"用事がなければ引きこもり体質"のわたしは街の状況に疎くなっていました。ツイッターやニュースを見て、ドラッグストアには開店前に行列ができるとか、コロナウィルスを"除菌"できるとうたう水を売る詐欺があるとか、世間にコロナが蔓延してきているのはわかっていたけれど、どの出来事もわたしには遠いどこかで起きている絵空事のような、そんな気がしていました。実際知り合いでかかってる人とかいないし〜わたし若いから〜って。コロナの蔓延がにくいのは、楽しみなライブをわたしから奪ったからって。そんな気持ちで過ごしていた自分に、身近で感染者が出てからしか事態の重さを受け止められなかった自分にひたすらに失望しました。ようやく自体を自分ごと化できた、といえばいいのでしょうか。ほんと、今更ですよね。

他人への失望は、まさしく「人の醜さと愚かさと無力さ」を感じたからです。上に書いたように感染報道にたいして心配でなく誹謗中傷のコメントをいの一番に投稿できる人がこんなにも多いのかと驚きました。物を買い占めることで困る人がたくさんいるだろうに、自分のことしか考えない人が思ったよりもずっと多かった。助け合えばきっとまたすぐに元通りになるだろうに、それを阻害するかのように私益を優先する人がたくさんいた。きっとそれぞれみんな事情があって、そういう行動をとっているのだろうけれど、わたしの目からは、どうしてももう少しやり方があるんじゃないか、もう少し助け合えるんじゃないかと思ってしまいました。


ところで、わたしの一番好きなバンドの感覚ピエロがちょうど一ヶ月前くらいの3月半ばに曲を出しました。『感染源』と名付けられたこの曲は、この時代を生きている人に今のままでいいのかと警鐘を鳴らすと同時に、大事なものは何なのかと問いかける曲です。

初めてこの曲を聴いた時、正直わたしの頭の中は「楽しみだったライブがつぶれた!」でいっぱいでした。だからこそ、わたしはどちらかといえば曲の前半に共感していることが多く、どちらかといえば好きなアーティストになっているかのような気持ちで「自己責任」と「自己判断」に憤っていました。

身近な人がコロナになった後、最近改めてこの曲を聴いたわたしは今まで以上に曲の後半部分に共感していました。愛について。いかにこの世の中に愛が足りていないのか、いかに「醜い考え」の蓋が開き蔓延してしまったのか。

自分にも他人にも失望はしましたが、まさしく歌っている通り「人を助けられるのは人」です。ここで全てを諦めて投げ捨てるのではなく、アフターコロナにより良い社会にみんなで住むために今わたしが何ができるのか。この社会を作ったのはわたしたちです。この状況を作ったわたしたちは「全員容疑者」なんです。コロナの影響で起こる事象を対岸の火事だと思っていたわたしも、人に平気で誹謗中傷を投げかける人も、マスクを買い占める人も、選挙に行かなかったのに補償がないと怒る人も。みんな事情はそれぞれあれど、みんなが少しずつ手を貸し合ってからこそ今があるのではないかとわたしは思いました。

でも、みんな「容疑者」ではあるけれど「犯罪者」ではないんです。      誰が悪いとか悪くないとかじゃなくて、やっぱり共に助け合う道が一番いいのではないか。当たり前だけれど、社会は人でできています。そんな自覚は普段生きていてないけれど、わたしたちの行動ひとつひとつが人を形成し、社会を構成します。そんなわたしたちの行動ひとつひとつの根本に必要なのは、やはり愛なのではないでしょうか。他人にも自分にも愛を持った行動が取れる人間でいたいと思うのはバカらしいでしょうか。そういう行動を取り続けていれば「容疑」は晴れるでしょうか。こんなんじゃ論理が足りないでしょうか。

ちょっと何を言っているのかわからなくなってきましたね。一人間の戯言だと思ってくれればいいんですが、わたしはこんな時代だからこそ愛の感染源になりたいと思いました。ようやく、わたしにもこの曲をちゃんと理解できるようになった気がします。

街が崩壊寸前だとしても、愛を持って支え合って、生きてまた会おうね。    誰がかかってもおかしくないから、みんな予防はしっかりね。