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逍遥 北陸第二弾

Bluntly stated, leisure refines and elevates; idleness corrupts and degrades.

Nicholas Eberstadt, MEN WITHOUT WORK

福井駅

今回の旅は、知人の福井行きに便乗したものであった。北陸の地を巡るということで、昨年に引き続きの旅路となるが、昨年の富山、石川に代わり、今回は福井(若狭)と京都(舞鶴)を中心に据えた。東京駅から北陸新幹線に乗り、約3時間半の道中を経て、ついに福井駅に到着した。普段はJR東日本の路線しか馴染みがないゆえ、北陸新幹線の乗車は新鮮であった。石破茂が東海道新幹線には「ワクワク感がない」と嘆いたが、北陸新幹線は糸魚川を過ぎたあたりでその旅の勧興が沸き上がってきた。片道指定席の料金は約1万5千円であったが、早割を活用すれば最大で50%の割引が得られるとのことで、北陸新幹線を利用する者にはぜひともキャンペーン価格を勧めたい。

福井駅は恐竜の街として名高く、駅周辺には恐竜のオブジェが点在していた。幼少期に親しんだ、T-REXやスピノサウルスの時代から隔たり、現代の主流はどうも馴染みがない。
福井駅で知人と落ち合い、レンタカーを借り、若狭、小浜を経て、足早に舞鶴へ向かった。

フクイサウルス

舞鶴

舞鶴と言っても、中心街である東舞鶴や西舞鶴からはやや離れた地に位置する。今回の宿泊先は、京都丹後鉄道宮舞線の四所駅近くにあるつかさホテルであった。素泊まりで料金は5,500円と手頃である。この宿の特筆すべき利点は、隣接するふじつ温泉に無料で入浴できることであろう。温泉は広々としており、訪れる人も少なく、旅の疲れを十分に癒すことが可能であった。さらに、露天風呂も完備されており、偶然にもその夜は満月が浮かび、風情溢れる贅沢な入浴体験を堪能した。

ホテルの位置
つかさほてる入り口
ホテル外観
ホテルロビー
部屋(ツイン)
ふじつ温泉入り口
温泉外観
風呂場の前の休憩所

天橋立

翌朝は早朝から行動を開始し、四所駅から丹後鉄道宮舞線に乗り込み、目的地である天橋立へ向かった。車両は一両編成であり、整理券方式という普段目にすることの少ない形式に少々戸惑いながらも、日常を離れた特別な旅情を抱いた。ちょうど登校時間にあたり、この地域の学生たちが次々と乗り込んできた。彼らにとっては、これが日常の一部であり、何気ない単調な時間なのだろうと、ふと考えを巡らせた。私自身、高校時代の電車通学は苦痛であり、首都圏の通勤ラッシュを思い出すたびに、二度とあの時間帯に乗るまいと固く決意したものだ。アナキストである栗原康が、満員電車の不快さから人生の方向性を定めたように、通勤や通学にはそれぞれの物語が秘められているのかもしれない。

40分ほど電車に揺られ、ついに天橋立駅に到着した。

四所駅周辺
四所駅
ホーム

天橋立には朝8時前に到着したため、街はまだ静まり返っていた。特段することもなく、気の向くままに天橋立を渡ることにした。ふと思い出したのは、タイトルは忘れてしまったが、台湾映画のリメイクで、天橋立で働く郵便局員と、京都の大学に通う6回生の幼馴染の恋愛(?)を描いた映画があったように思う。おそらく、立命館か同志社大学が舞台だった気がする。そして今回の旅で、日本三景を制覇することとなった。松島、宮島、そして天橋立である。これまで、天橋立に対しては、「日本三景」というイメージしか抱いていなかった。しかしながら、実際に訪れるとまた異なる感慨が胸中に広がるものだ。

2、3キロに及ぶ砂州を歩み終え、次なる目的地と定めたのは、縁結びの神社として名高い籠神社眞名井神社であった。しかしながら、殊更信仰心が篤いわけではないゆえ、境内を歩きながらも「こんなものか」という程度の感慨しか抱かなかった。基本的にアナーキーでいたいので、信ずるのはトイレの神様ぐらいが身の丈に合っているのであろう。


アームストロング砲

傘松公園

 せっかくなので、天橋立を上から一望せんと、リフトに乗り傘松公園へと足を運んだ。(リフト兼ケーブルカー券は片道400円)
公園には股覗きスポットと呼ばれる、股の間から天橋立を眺めるという珍妙な場所があった。つい最近、50代の男性がこのスポットでふざけ合い、転落するという事件があったそうだ。その年齢で、何ゆえ軽率な行動に走ったのかと嘆かざる負えない。やはり、年齢相応の振る舞いと、状況に応じた高い倫理観を失うべきではない。聖帝もまた、高い倫理観を持てと仰せられた。ゆえに、プロ臣民たる者はその御言葉を自らの体躯でもってして体現すべきであろう。

15日午後2時20分ごろ、京都府宮津市大垣の天橋立傘松公園で、日本三景の天橋立を逆さに望む「股のぞき」をしていた50代男性が展望台から落ち、山の斜面を約15メートル転げ落ちた。公園を管理する丹後海陸交通の成相営業所によると、男性は胸を強く打ったが、命に別状はないという。 京都新聞 2024年2月15日の記事

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1203298 




伊根

傘松公園を後にし、特に妙案も浮かばず、舟小屋で名高い伊根へ行こうという話になった。天橋立の目の前にあるバス停からバスに乗り、約40分の道のりである。外国人観光客に人気があるらしく、バスは特に中華系の観光客で混雑していた。せっかくの旅路で、満員バスに乗るとは些か心外である。本来、自国民が不快の念を抱く観光などあってはならないのだ。これぞ、Over Tourismの弊害であろう。仕様がなしに40分間、身動きが取れないままガタガタ揺れるバスに押し込まれることになった。現代の奴隷船たる東京奴隷鉄道を思い出さざる負えない始末だ。運賃は200円と安いが、乗車体験としては快適とは到底言い難い。

バスの中で、運転手と地元のおばあさんが「観光客がたくさん来て儲かるでしょう」という話をしていた。はて?(寅子)それは本当かい?わー国は科学技術を軽んじ、観光立国という幻想にすがりついている。いくら外国人観光客を招き入れたところで、GDPへの寄与など数パーセントに過ぎぬ微々たるものである。観光立国を標榜し、観光業に血税をつぎ込むならば、むしろ大学の無償化をはじめとする公教育にこそ、惜しみなく資金を投じるべきである。文理を問わず、真に思考する力を持った人材を育てることこそ、わー国の未来を支える礎であるはずだ。それにもかかわらず、慶應の伊藤君や東大の藤井君らが主導する国立大学の学費値上げという愚挙は、まさに無知蒙昧なる守銭奴の浅はかな策動に過ぎない。彼らはやがて、わー国の公教育を破壊した国賊として、その名が歴史に残すであろう。教育こそが国家の未来を左右するものであり、これを蔑ろにする者は、後世に恥をさらすことになる。彼らには、せめてそのことを深く自覚し、慎んだ生き方を望むものである。

さて、伊根の停留所で降りるべきところ、誤って道の駅 舟屋の里伊根で降りてしまったため、思いがけず長い距離を歩く羽目に陥った。道の駅と名は付いているものの、目の前にはただの駐車場が広がるのみであった。展望台を目指して歩いてみたものの、そこもまた、ただの私有地であり、結局、来た道を引き返すことになった。観光案内所まで歩き、そこからバスに乗り込み、丹後鉄道天橋立駅へと戻ることとなった。



道の駅 停留所 近くに保育園がある
衆議院選挙が近い

由良川橋梁

同行者がKey作品に心酔する、いわゆる鍵っ子なので、Airの聖地巡りをすることとなった。これまでに観たKey作品としてはABCharlotteのみであり、話の流れで「ヨスガノソラってKey作品みたいだよね」と言ったところ、即座に否定された。どうやら彼の嗜好にそぐわぬ作品であるらしかった。

由良川橋梁には、丹後鉄道宮舞線の丹後由良駅から徒歩5分ほどでたどり着ける。しかし、この路線は列車の本数が非常に少なく、時間を無駄にするのも癪なので、一旦ホテルに戻り車で向かうことにした。駅には無料の駐車場があり、そこに車を停めたが、田舎の駐車事情というものは、どこが禁止でどこが許可されているのか判然としない。最悪の場合、路上駐車をしても誰にも咎められぬのではないか。


舞鶴中心街 赤レンガ倉庫 海自施設 等

翌朝、舞鶴にあるAirの聖地に足を運んものの、作品を観たことがないゆえ特に感慨もなく、「何だこれ?」という疑問が浮かぶばかりであった。去年訪れたひぐらしのなく頃にの聖地、白川郷は非常に良くできていたと改めて思う。

舞鶴観光の一環として、赤レンガ博物館に立ち寄り、その目の前にある遊覧船にも乗船し鎮守府をめぐることにした。遊覧船は35分ほどのツアーで、料金は1,500円。わー国の自衛隊の所有する軍艦を一通り見学することができ、特にイージス艦や木製の掃海船が印象的だった。運が悪ければ、軍艦が一隻も停泊していないこともあるらしいが、幸運なことに当日は多くの軍艦が停泊していた。イージス艦と聞けば、日本が果たしてアメリカ帝国のイージス艦であるかないかという議論があるが、おそらくその答えは是であろう。日本よ、独立せよ!

遊覧船を降りた後、赤レンガパークでお土産を物色するも、艦これの関連商品が並んでいる中、個人的にはAzur Laneしかプレイしたことがないため、特段興味を引くものはなかった。最後に海軍記念館を訪れようとしたものの、運悪く閉館しており、無念の思いでその場を後にした。




小浜

舞鶴を後にし、福井方面へ戻る道中、同行者が小浜にあるAirの聖地巡りを謀略していたため、小浜に向かうことになった。途中、昼食を取るべく道の駅に立ち寄った。名がシーサイドと冠するだけあり、海に面した場所であった。

小浜は、古来より人魚伝説で知られる土地であり、八尾比丘尼が800年もの長命を保ったとされる地でもある。彼女を信仰の対象とする空印寺が、Airの聖地の一つだそうだ。また、小浜は鯖街道の名でもしられ、かつて京都まで鯖を運んだ街道である。それに因んだ鯖街道ミュージアムという案内所を訪れた。時間の都合もあり、宿泊地である三方五湖付近の常神半島へと急ぐこととなった。

常神

豪雨に見舞われながらも、うねりの激しいリアス式海岸沿いの道を走り、常神半島に到着した。時間に余裕があり、半島の行き止まりまで車をはしらせた。
常神の地には、樹齢1000年を超えるソテツの大木あるが、残念ながら無知ゆえに見逃してしまった。この地域は外界から隔絶された僻地の漁村であり、おそらく住民の多くは漁業や釣り客を相手にした観光業に生計をゆだねているのであろう。アクセスの困難さゆえに、隠れた穴場のような趣を呈していた。常神の生活史については、かなり古い資料であるが以下の論文が参考になるだろう。

宿泊したのはとね旅館という静かな佇まいの品のある旅館であった。一泊二食付きで13,500円と実に良心的な価格であった。豪雨の影響で釣り人が予約をキャンセルしたためか、宿泊客は私たちだけであった。宿の女将は気を利かせ、若狭湾を一望できる部屋を用意してくれた。窓から聞こえる波音は草臥れた精神を癒し、死にかかった体躯に再び生命力を与えてくれた。夕飯には、目の前の若狭湾で獲れたとおぼしき魚介類のしゃぶしゃぶが供された。献立については、女将が一品一品丁寧に説明をしてくれたのを、興味深く耳を傾けていたものだが、残念ながら、その細部をすっかり忘れてしまった。

翌朝は快晴であったので、再び常神までドライブし、その後は三方五湖周辺を巡った。途中、エンゼルルートやレインボールートにも立ち寄った。

小浜から常神


常神周辺
サル


三方五湖

福井県立年縞博物館

第三日曜日が無料であると聞き及び、特に下調べもせずに訪れた。正直に言えば、年縞という言葉に対して、何の予備知識も持ち合わせておらず、「何だそれ?」という程度の関心しかなかった。字面からすれば、さながら古い織物か何かの展示でもされているのかと思い込んでいた。しかし、実際の展示は驚くほど科学的な内容で、全く予想とは異なっていた。

年縞とは、簡単に言えば木の年輪と同じように、自然の出来事を記録する記憶媒体のようなものだ。これを「年縞」と名付けたのは安田喜憲という人物で、彼は東北大学😡理学研究科の出身だそうだ。

年縞とは湖底に毎年毎年静かに形成された、年輪と同じものである。年縞は福井県水月湖の湖底から、1991 年に私たちの手によって最初に発見され、その命名者は私である。

年縞環境史による国際貢献 安田喜憲 



敦賀

三方五湖を後にし、車を敦賀へと走らせた。時間に追われる旅路であったため、立ち寄れる場所も限られていたが、ひとまずムゼウム、すなわちポーランドやユダヤ難民を受け入れた敦賀港記念館を訪れることにした。昨今のイスラエルの暴虐を見るに名状しがたい感情を抱くに至った。

福井駅

敦賀を後にして福井に到着し、これで旅程は終了となった。新幹線の時間まで余裕があったので、モンハンのキャンペーンに参加し、ミラボレアスのカードを手に入れた。ミラボレアスには、2Gでソロ討伐に失敗した思い出があり、特別な思い入れがある。

ハピリンにいるミラボレアス
動くT-REX
屋上広場からの景色
観光案内所の屋上広場
ミラボレアスのカード全部で8種類あるらしい


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