中秋節、遠くなった人を想う
「ごめん、月餅のお使いお願いしてもいい?」
そう言われたのは2024年9月16日。
その日は高田馬場にて女友達で集まって四川料理の冒菜を食べる予定だった。
晩御飯の時間まで私は池袋にヤボ用があったため、彼女は私についでに池袋駅西口にある永祥生煎館で月餅を買うように頼んできたのだ。
「肉と塩漬け卵黄の月餅、4個入りのやつ1箱で!」
そして私は、このメッセージで明日は中秋節だということを知った。
私は普段、自国の祝日でも学校/会社が休みになるなら祝日の中身は気にしない薄情な(?)タイプだ。ゆえにどの祝日が何日かなど、元旦と日本建国記念日意外あまり把握していない。
日本では明治時代から新暦が馴染んで久しいが、東アジア圏では多くの祝日は旧暦だ。
とはいえ東アジアの現代人は新暦で生活しているため、祝日は毎年日付が変わる。毎年固定の祝日ですら覚えられないのに、毎年変わる祝日について気を回せるわけがない。
そんな状態なので私は東アジア圏の友人と接していても自分から祝日の中身について話題を出すことはなく、外部からの情報によって意味のある日であると知る。
そして、今回のその外部からの情報は“月餅”というキーワードだった。
中秋節では、中華圏では遠く離れた家族が集まって家族団欒を楽しみ、月餅を皆で分け合って食べる。月餅と中秋節は切っても切り離せない関係にある。
中秋節には古くから親しまれるエピソードがある。もっとも有名なのは”嫦娥(チャンゥアー)”にまつわる次の話である。
なんとも悲しい話だ。
中秋節では月に上がってしまった嫦娥になぞらえて、遠く離れた人のことを想うという意味がある。
・・・
さて場所は2024年9月16日、午後4時15分の池袋駅西口北出口から徒歩30秒の永祥生煎館。目立つように店の前に”月餅”と掲げられた大きな飾り付けがあり、遠目からでもすぐに認識できた。
友人の依頼を受けた私は快諾し、月餅を買いに来ていた。
友人曰くここでは毎年月餅を販売していて、とてもおいしいのだという。すでに多くの人が並んでいて盛況な様子からもその人気ぶりがうかがえる。
そこで友人の注文通りの「肉と塩漬け卵黄の月餅、4個入りのやつ1箱」を買った。そしてついでに自分の分も買うことにした。
中華圏に関わり始めて5年あまりの私だが、実は中秋節で初めてスーパーの和菓子コーナーにあるヤマザキ月餅以外の月餅を買った。理由は上に書いた通り、祝日を見逃しがちなのと、本格的な月餅を買う時期に物産展の近辺にいなかったからだ。
買い物ミッションを終え、友人と楽しく談笑しながら冒菜に舌鼓を打ち、帰りで山手線に乗るために駅に向かった。
ホームで電車を待っている時、月餅が入った紙袋を手から下げていた。何気なく視線を落とし、紙袋を顔の位置まで持ち上げて眺める。
月餅か…と思いながら、翌日に訪れる中秋節のその日の持つ意味が自然と思い出された。
今までの人生で大なり小なり関わってきた人たち、昔から今まで関係がまだ続く人もいれば、ある一定の時期を共に過ごした人、いざこざがあるというわけではないけど気まずくて別れてしまった人、あるいは一瞬だけ言葉を交わしただけだけど記憶に残っている人。
それぞれ関わった期間や思い入れは違うけども、どの人も私に何かを教えてくれていたと思っている。
なんの利害もないけど、ただ純粋に、今どうしているのかなという気持ちになった。
少し意味合いが違うかもしれないが、今まで関わってきた人たちを思い出すきっかけには十分だった。