北京で盛大にコケて中国と韓国の病院行きになった話
旅行などで海外に行く際の心配事の一つに、怪我をしたり病気にかかることがあるかと思う。
今回、パッケージでない個人旅行中に怪我をして中国・韓国の2国の現地病院に合計3度お世話になった。
今回起こったことを備忘録の意味も込めてネットの海に置いておき、また今後同様に海外に行く人の参考になればと思い筆を起こす運びとなった。
旅行記としての側面もありタイトルの内容以外の蛇足も多いので、メニューで怪我した以降のところへも飛べるように目次を作りました。
ケガのところは中編以降です。
メインが怪我をして病院に行った話なのに
やたらと長くなってしまいましたが、
ぜひお付き合いいただけると幸いです。
前編:【旅行記】その日の北京での行動
北京サイクリング
今から1ヶ月前、一週間半の休暇を取り中国・韓国に旅行しに行っていた時のことだ。
今回は1人で日本→中国の天津へ向かい、わざわざ住んでいる河南省から天津まで列車で移動してきてくれた大学時代の研究室の师姐※と合流し、その後中国滞在中の数日間行動を共にする計画だった。
※同じ先生に師事している年上の女性の意味。以降は友達と書く
そしてその日は中国の首都・北京滞在2日目のことだった。
場所は灯市口駅近くの朝ごはんを提供するお店。友達は卵クレープ、私は肉まんをそれぞれつまみながら今日の計画を練っていた。
友達は北京には何度か来たことがあり、彼女が行きたい場所は初めてこの都市に来た私とは違うものだった。
友「とりあえず午前中だけでも違う場所をシェアサイクルでも使ってそれぞれ回ろうか?そんでお昼はまたこのへんに集合して一緒に食べようか」
私「オッケー、そうするか」
もともと1人で行動することが好きで、中国も何度も1人で遊びに来ていた私は友達の申し出を快諾した。
具体的には、
友達:灯市口→地壇公園→東四胡同
私 :灯市口→故宮を取り囲むように天安門から景山公園までチャリで散策
の行動をそれぞれ取ることになった。
地図で言うと大体こんな感じ↓
友達は丁寧にルートや見所について10分ほど説明してくれた。
故宮の西側には北海、中海、後海があって、故宮の四隅には各楼がそれぞれあって、そして景山公園を登った先では故宮を一望できるよ…などなど。
旅行する時はいつも目的を1.2つ決めてあとは行き当たりばったりで行動する私にはとてもありがたかった。
朝ごはんを食べ終えた後は2人してお店でミネラルウォーターを購入して出発の準備を整えた。
友達は地下鉄へ向かい、私はシェアサイクルをレンタルしてしばしの別れの挨拶を交わした。
その日はとてもいい天気で、天気が良すぎて日差しが痛かった。
ユニクロで買ったUVカットパーカーで体を覆いながら自転車を漕ぎ、北京の景色を存分に楽しんでいた。
さすがは見どころも多く中国人が憧れる首都北京、たくさんの旅行客でごった返していた。
自転車に乗って北京の中心部を周ると街のスケールの大きさ、街全体の活気、空気を全身で感じられた。
なんとは言っても国の重要機関が集まる場所。都市の雄大さの中に、一杯の緊張感と威厳が感じられた。
そして国の1番の重要ストリートと言えるだろう長安街。そこの道路の入り口では検問所が敷かれていて、身分証を提示する必要がある。
外国人の私はパスポートなわけだが、提示している間警備のおじさんから
「日本から来たんだ。中国、楽しい?」
と聞かれたので
「旅行で来てるけど、食べ物も美味しいし見どころたくさんあって楽しいよ!」
と答えたら満面の笑顔で「楽しんでね!」と送り出してくれたので、
私も笑顔で「ありがとう、またね!」と返した。
当然のことだけど、どこの国の人も自分の国を褒められたら嬉しいものだと思う。私だってそうだ。
(旅行と留学、生活はそれぞれ違うと言うが、それぞれの視点で見たもののいい面を現地の人に伝えることには基本的に得しかないと思っている。)
そして、長安街に入る。
ここは東側の東長安街と西側の西長安街に分かれており、天安門の前を通って天安門広場、人民大会堂や毛主席記念館を遠目に眺めることができる。
幼い頃からテレビやインターネットの中でしか見たことのなかった景色が目の前一杯に広がっていて、当たり前のことだけど本当にこの場所は地球上に存在するのだと実感することができた。
スケールのデカさに圧倒されながら真っ直ぐ進み、右に曲がって南長街に入る。
ここは左手に南海、中海、北海が位置し、右手に故宮がある。
東長安街と西長安街では全く日陰がなく辛かったが、ここは木陰があって落ち着くことができた。
真っ直ぐ進み、北長街を抜けた後、景山前街でシェアサイクルをまだ慣れないalipayアプリ操作で返還した。
景山公園
歩いて景山公園の近くまで到着し、後から合流する予定の友達にWeChatで近況報告をした。
友達の事前のレクチャーで景山公園では故宮を一望できると聞いていて絶対に行かなければと思っていたため、入場券を買って公園内へ。
故宮を一望できる場所は山の上にあり少し登山をしないといけないため、平地部はそこそこに階段を登って山に登っていくことにした。
登っていくほど人が増えていく。
そこまで長い距離ではなかったが、炎天下で体力を奪われ、人も多くなかなか進まない状況だと応えるものがあった。
途中、休憩ができるあずまやのような場所があり、その見た目がいかにも山頂らしいため
後ろから
「ここが山頂!?やったー!
…あ、嘘やわあかん、まだ上があるわ…(絶望)」
という会話がちらほら聞こえてきて同情の念を心の中で返していた。
景色を楽しみつつ、炎天下の中上へ上へと登っていった。
中編:そして怪我
怪我をした状況
それは突然に起こったことだった。
景山公園の山道中腹あたりのところのあずまやの横から故宮が見える。
案の定、写真スポットとしてたくさんの人が集まっていた。
私もそこからの景色を楽しみ、写真を撮って人のいないところまで引き返して一休みしようとしていた。
人が多くて通れなかったため、階段の横にある斜めがけの縁石に足をかけてショートカットしようとした。
その縁石がしっかりと磨かれていて摩擦が小さく、無防備でいくと滑るのだ。
私はそれに気づかず足を滑らせて、体が丸ごと横に倒れていく自分に気がついた。
その瞬間、同時に
視界に近付いていく階段の角に気づいて
あ、やばいぞこれ
という意識の中で、
手に荷物を持っていたため手をつくことも間に合わず、
ゴッ…と鈍い音を出しながら倒れ込んだ。
一瞬何が起こっているのか飲み込めなかった。
しばしのフリーズの後、どうやら顔の口周りに階段の角にクリーンヒットしたらしいということが判明した。
顔を上に上げると、血がボタボタと地面に流れ出してきていた。徐々に自覚してくる顔の左側、唇の下と口腔内の鈍い痛み…
それと同時に、周りにいた人たちが慌てて私の周りに集まってきていて
「大丈夫、起き上がれる?」
「大丈夫、救急車呼ぶ?(携帯を差し出しながら」
「この辺の病院探すよ」
「消毒綿あるから、消毒してあげる。これ瓶ごと持って行きなさい」
「このティッシュ持って行きなさい」
「大丈夫、お菓子食べる(?)」
などと私の傷口を消毒しながら止血や地面に落ちた血を次々に拭いてくれた。
そのうちの1人が貸してくれた鏡で傷を見ると、口の中に傷ができて血が出て腫れているのと、唇の下に深い傷ができてぱっくり割れているのがわかった。
その瞬間、顔に傷をつけてしまった事実をはっきりと認識して、絶望の淵に落ちた。
けれども起こってしまったことはしょうがないということで、なんとか気持ちを切り替えようと努めて心を落ち着かせていた。
あずまやで休憩中していたハルビンから来たという大学生の女の子も私を気にかけてくれて、彼女も落ち込んでいた私と話をしてくれて絆創膏やらティッシュやらお菓子やらいろいろ頂いてしまった。
(異国の地で怪我をしたことで少し焦っていたけれど、見知らぬ通りすがりの人たちが色々と助けてくれてかなり心の支えになりました。
本当にありがとうございます。)
またそれと同時に、こういう時こそ出国前に申し込んだ海外旅行保険があるではないか、ということを思い出していたので、すぐに電話していた。
(加入していた保険はたびとものP2です↓)
道行く人が怪訝そうな顔をしてこちらを見つめる。それは当然だ。顔に血だらけのティッシュを当てて外国語(日本語)で電話しているのだから。
オペレーターから聞かれたのは、
・保険番号
・いつ、どこでどんな怪我をしたか
という内容だった。説明内容は以下の通り。
・口腔内を除く医療費用…キャッシュレス(保険会社から直接引き落とし)
・病院までの交通費…後から請求可能
・指定病院…現在地からなるべく近い提携病院を手配
状況をひとしきり伝えて説明を受けた後、40分後くらいにメールで指定病院の通知が来ていた。
友達に連絡をして怪我をしたことと病院に行くことを伝えると、一緒に病院に行くかと申し出てくれたが、
特に1人で行くことに不安はなく、友達が日本語がわかるということでもないのでホテルで待ってもらうようにお願いした。
いつまで経っても止まらない血を抑えながら打撲した体を引きずり、下山をして病院へ向かった。
病院へ
指定された病院は北京の中心地にある綺麗な病院だった。
恐る恐る入ると受付のお姉さん達に優しく案内され、
パスポートと保険申込の際のPDFを提出の上、保険申請の紙に必要事項を記入するように指示された。
しばらく待ったあと診察室に通され、担当医師に挨拶をした。
担当医師は中学校にいる少し厳しい先生のような、いかにも真面目な容貌をしているメガネをかけた50代ほどの男性の先生だった。
「こんにちは、一体どうしたの?」
この質問から始まり、顔の傷を見せながら起こった事、体の状態を説明した。
「口の中を強く打って出血して腫れてるね。けどこの腫れは粘膜の部位ですぐ治るから何もしなくて大丈夫。
問題は顔の傷だね、ちょっと深くてそのままだと割れたままだから、今すぐに2針縫って傷を癒着させることをおすすめするよ」
今までの人生で傷を縫うなんぞ体験したことはなく、また国外での病院も初めて。かつ顔の傷という絶対に痕に残したくない部分だったのでその不安を伝えると、
「緊張しなくて大丈夫。縫合の仕方によっても変わってくる事だし、僕もなるべく痕が残らないように最善を尽くすよ」
という言葉を貰ったので、今は目の前にいる医療の専門家として信頼することにした。
同席していた看護師さんが縫合のための準備に向かい、診察室で医者と2人きりになった。
その間は医者との雑談が始まり、なんで中国に来たの?今までどこに行ったことがあるの?誰と来たの?※、どういうことやものが好きなの?
などといった質問を受けたり、逆に私の方からも質問をして
日本が好きで5回行ったこと、その他にも旅行が好きで中国各地や世界各国に行ったことがあること、北京に昔から住んでいる生粋の北京人であること…などということを教えてもらった。
※1人で来てここ数日は友達と一緒ですよ、と答えると「あれ?彼氏じゃないの?アハハ冗談冗談」という返答でからかわれた。
医者と話して話が盛り上がるうちに、受けた第一印象以上にユーモアに溢れていてよく笑う人だということがわかった。
施術
そうこうしてるうちに看護師さんが戻ってきて、早速診察室のベッドに土足で上がって寝転がり、傷の縫合手術が始まった。
看護師が私の体を押さえ、同時に医者が傷口の消毒を行った後に注射器で麻酔を打ち、糸を手に取った。
先ほどの雑談時の様子とはうってかわって一瞬で真剣な目つきに変わり、一針一針を丁寧に縫っている様子が伺えた。緊張の時だった。
あっという間に手際よく施術は終わり、傷口を医者と看護師がじっくりと覗いている。
「うん、とても綺麗に縫えていますね」
2人とも納得したような様子でそう言った。
壁に設置されている鏡に目を向ける。確かに先ほどまでぱっくり開いていた皮膚が黒い糸で寄せられている。
綺麗に縫えていたかどうかの判別は私はつかない。何せ人生で初めての縫合だったから。
ーーー
医者が傷口に絆創膏を貼りながら言う。
「一つだけ注意して欲しいのは、縫合したところは触らず、水がかからないようにね。それさえ守ればシャワーも食事も特に問題はないから」
「どれくらい水に浸かれないんですか?」
と聞くと、
「一週間くらいかな」
と返ってくる。しょうがないことだけど、口周りに水がかかってはいけないとなると日常生活にかなり気を使わなければいけないとぼんやり思っていた。
医者「あとはそうだね、北京にあとどれくらいいる予定?」
私「明日の朝、河北省の石家庄に発ちます。」
医者が思案する顔で言う。
医者「明日か…行程変えられない?いつ日本に帰る予定?」
私「北京であと一泊して朝に石家庄へ発って、そこで2泊します。そのあと韓国で4泊して日本で帰ります。中国出国の飛行機についてはビザの申請※で提出しているので変更ができません」
※第三国に抜ける必要のある144時間のトランジットビザを使って中国入境していた。
医者「2日後に傷口が膿んだり状態が悪くなっていないか確認しなきゃいけないんだ。ホテルを延泊して北京にあと2日いなさい。そして抜糸は長すぎてもダメだし短すぎてもダメ。一週間後韓国か日本で抜糸してきなさい」
なんとは言っても医療の専門家の言うことなので、その通り従うことにした。
日本で抜糸するには土日も挟む事もあって抜糸の期間が長くなってしまうため、ソウルの病院で抜糸することにした。
顔に傷跡が残る要素となりうることはできるだけ避けたかった。
そうと決まると、医者は続けて私から友達にwechatで電話をかけるよう指示した。友達はすぐに電話を取ってくれた。スピーカーマイクにして状況を話す。
医者「聞こえる?君の友達は今傷口を2針縫ったから、2日後に再診する必要があるんだ。明日の朝石家庄に行くらしいけど、行程を変えなさい」
私「仕事もあるだろうし、私の方は1人で行動しても大丈夫だから北京に残ることにするね。迷惑かけてごめん。」
会話のやり取りを続けた結果、友達は翌日石家庄には行かず直接寝台列車で河南省に帰ることになり、私はホテルに連絡を取り北京に当初より2日多く滞在することになった。
電話を切った後、続けて医者よりこう伝えられた。
「じゃあ、明後日の午後4時、またここに来てね。その時にまた傷の状態を見て軟膏を塗り直すから。今日は絆創膏と消毒したハサミを渡しておくよ」
私は頷いて、その日の診察は終了した。
ーーー
診察室を出た後は怪我した口でも飲みやすいようにわざわざストローを挿したペットボトル水をいただき、その間日本に半年間留学していたという看護師さんと少し雑談した。
病院を出て、その足で直接駅の窓口へ向かい明日の朝出発の石家庄行きの切符を2日後に変更した。
ーーー
ホテルに帰ると、友達が飲み物と軽食を買って待っていてくれていた。
もともと北京にいるという友達の友達と北京で3人で火鍋を食べる予定だったが、口もあまり開けず喋りづらく、笑いたくても笑える状態だったために思いっきり楽しむことができないと考えて今回は見送らせてもらった。
そして友達は火鍋を食べに出かけ、私は近くの店で食べることにした。
友達と再びしばしの別れを告げた後、夜でも蒸し暑い北京の夜の風に当たりながら物思いに耽りつつホテルの近くを散歩した。
この時には顔を傷つけて落ち込んでいた気持ちは既になくなり、病院行きになったことに対しても
「まあ、海外2カ国の病院を一気に経験できるしまあいっか」くらいの気持ちになっていた。
なんとも単細胞な頭である。
2回目の病院
医者に指定された2日後の午後4時、私はホテルから再びシェアサイクルに乗って同じ病院に来ていた。
前回担当してくれた看護師さんとは変わっていたが、変わらず優しく対応してくれた。
2日前と同じ診察室で、医者と再び挨拶をする。
「やあ、傷口は痛みはなくなった?」
絆創膏を剥がし、看護師さんと傷口をじっくり眺める。
「うん、膿んでいないし状態もとてもいい。順調だね。」
医者はそう言って2日間水に浸かれず垢が溜まった患部周辺を消毒し、軟膏を塗り直して絆創膏を貼る。
机の上のPCで何やら操作を行い、回転椅子に座りながら体をこちらに向けてこう言う。
「今日はこれでOK。お金も保険会社からそのまま下りるから心配しなくて大丈夫。ちゃんと抜糸に行くんだよ」
前回と違ってあまりにもあっさり終了して、無駄に心構えしていたのもあり驚いてしまったため思わず
「えっ?もう帰っていいんですか?」
と聞くと、
「そうじゃなかったらなんだ笑」
と言って看護師さんと顔を見合わせて笑っていた。
ともかく、これで一安心できた。
そして荷物をまとめ、お世話になったお礼を伝えて診察室を去ろうとした時に
「また来るの?」
と質問が医者から飛んできた。それが中国に、と言う意味なのか北京に、と言う意味なのか、はたまたこの病院に、ということなのかは分からなかったが
私は北京、少なくとも中国にという意味で捉え、
「たぶん、おそらくきっと」
と返した。怪我や病気はしたくないのでもう二度と病院にはお世話になりたくないが、私は中国各地に友人がいるためまた中国や北京に来ることにはなるだろう。
私の答えに対する返答はしばらくなかったが、
「縁があったらまた会おう。——またね。」
「…はい、また。」
そう言って病院を出た。
大都会北京の空は夕暮れに差し掛かり、オレンジ色が差していた。
後編:韓国にて、その後
韓国上陸、まえがき
私は無事に石家庄の飛行場から中国出境し、お隣韓国を訪れていた。
歴史的な異常気象で東京のような蒸し風呂地獄と化している韓国・ソウル。
そんな中でも、初めて訪れる韓国という国の雰囲気を骨の髄から楽しんでいた。
しかしこのバカンス中でもやはり医者に言われた通り病院に行って抜歯をするというタスクをこなさないといけない。私は中国にいる時に既に保険会社に電話をして韓国の病院を手配していた。
保険会社に事情を話し抜糸をしなければいけない旨、ホテルからなるべく近い病院の手配をお願いしますと伝えた。しかし、その時ちょうどソウルで医者によるストライキが行われており、近くの病院が手配されるかどうかの保証はできないと告げられた。
それを聞いて医者のストライキなんてものがあるのか、と妙に感心してしまった。
電話した日が土日だったため、平日になって手配先病院の情報が送られてきていた。結果として、ホテルからそう遠くない病院に行くことになった。
またこれは余談だが、韓国では北緯38度の非武装地帯のツアー※にも参加していた。そこで私の顔に貼ってある目立つ絆創膏を見たツアーの同行者の1人から
「ひょっとして顔の工事に行ってきた?」
と質問を投げかけられた。
それを聞いて私ははっとして
「そうか、ここは韓国だった、街の人はきっとこの絆創膏をそういう風に見るんだな」
と思って腑に落ちて、一種の感動に近い納得を得た。
※個人的にツアーの内容がとても充実していて想像以上に満足のいく体験だったため、気が向いたときにまたレポを書きたい。
韓国の病院へ
これまた異常気象の熱気の中、地下鉄を乗り継いで病院まで向かった。
ここもとても綺麗な総合病院だった。中国の病院と違っていたのは、やはり日本人が多いのか〇〇科を表す案内に全て日本語表記があった。
病院側にも日本人の看護師さんを2名(うち1名は研修との形だそう)を手配していただき、韓国語はわからず英語で診察を受けるのも不安だったが全く心配がなかった。
保険会社から来たメールの待ち合わせ場所である入口のインフォメーション近くで顔を合わせ、挨拶をした。
ここでも保険会社に記入をする必要申請書類を記入した。保険番号、住所や電話番号などの情報、いつどこでどういう怪我をしたかという内容だ。
記入が終わり、待合室でしばし看護師と韓国についての雑談をして待つ。2人とも韓国で長く生活されている方だった。
外国人として海外で生きると言うことは大変じゃないですか、と聞くと
「もう長いからね…むしろこっちの方が慣れちゃった」
と言う。
また怪我をした状況や体験したことを話していると、診察室まで呼ばれた。
中には2人医師がいて、1人は若い研修医のような佇まいだった。
医師の1人が「こんにちは」と挨拶をしてくれたので、笑顔で「こんにちは、よろしくお願いいたします」と返した。
この先生も物腰が柔らかい優しそうな方だった。
通訳の看護師さんを通じて抜糸をすることを伝えてもらい、早速靴を脱いでベッドに上がった。
抜糸を担当してくれたのは研修医らしき方だった。
抜糸の時には麻酔をしないという事前情報を調べていたのですぐに糸切りを始めたのには驚かなかった。
皮膚が糸に引っ張られるわずかな痛みを感じながらも、すぐに施術は終了した。
無事に糸が取れ、軟膏を塗る。鏡を見る。傷が塞がっている。
「顔の部分で痕は残したくないと思うので、紫外線には気をつけてくださいね」
と医者からアドバイスをもらった。2日ほど経てば顔も洗えるし風呂にも普通に入れるという。
ともかくひとまずはこれで安心した。軟膏と絆創膏を病院からいただいた。
担当していただいた医者と看護師にお礼を言い、
診察室を去った。看護師は帰り際出入口まで送り出してくれた。
「それじゃあ、本当にありがとうございました」
「気をつけて帰ってくださいね!」
気持ちのいい挨拶を交わして、私はまた異常気象の炎天下の中で来た道を戻って地下鉄駅に入った。
あれから一か月余り、傷は徐々に回復に向かっている。
まだ傷は固く、跡が残っているため、韓国で買ったUVカット絆創膏を切って貼り付けて毎日を過ごしている。
旅をしていると現実離れした感覚になるが、日常生活でも未だに残るこの傷はあの1か月前の体験が嘘ではなく実際に起こったことであることを静かに物語っている。
結論
海外に行く時には絶対に保険に入っておこう。これに尽きる。