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考えが浅いから考えが浅い人になる?

あなたは、誰かに言われたことがあるだろうか?かなり傷つく言葉「考えが浅い」を。

お恥ずかしながら、僕は何度も言われたことがある。恥ずかしいし、悔しい。
言われて、考えが浅くたっていいじゃないか、と逆ギレすることもあったし、めちゃくちゃ落ち込むこともあった。

ただ、このまま言われたい放題なのは嫌だったので、「考えが浅い」「深く考える」とは何なのかを考えるようになった。考えるだけでなく、ネットはもちろん本を読んで答えを探そうと躍起になっていた。
それぞれに、その人なりの答えは書いてあったが、バラバラだったので結局人による、ということが答えになるのだろうな、と感じた。


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そうやって、あれこれ情報を入手したり、自分なりの答えを出そうと考えているうちにあることに気がついた。それはいつの間にか考える癖がついている、と。

今までは、誰かに言われたことや、本やネットなどに書いてあることを鵜呑みにしてしまいがちであったが、「それってそもそも正しいのだろうか?」と疑問を持って、違和感を探しつつ自分なりの答えを考えるようになっていたのだ。

また、考えるだけでなく、考えたことを確かめるように経験をするようにも自然となっていった。考えて実行して答え合わせをしてまた考えて、を繰り返すことでいつしか自分なりの答えと、自分なりの普遍的な理論を見つけることが楽しく感じるようになっていった。

気がつくと、物事を多面的に捉えることができるようになっていた。自分の中に複数の人格がいるかのように、この場合ならどう考えるか、この属性の人ならどう言うか、など、シチュエーションやキャラクターがどんどん増えていった。


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いつしか僕のことを「考えが浅い」という人はいなくなっていた。恐らく、考えることをやめないことが深く考えられることに繋がっていたのだと思う。まあ、「考えが浅い」と言われないようになっただけで、「深く考えられている」とはあまり言われていないのだが。

ただ、自分としてはまだまだ深く考える余地はあるので、逆に「まだ自分の考えは浅い」という戒めのように、その感情は持っておきたいと思う。それが無くなるときっと、昔の自分のように誰かを傷つけてしまうかもしれないから。


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色々な視点から物事を捉えることができるようになると、世の中の見方が変わってきた。しかし、ディスカッションなどで、僕としては意見の一つとして述べたつもりだが、周囲からは理解されない面もあり、どこまで自分が意見を発するかは悩ましいと感じている。

想定もしていないような角度から考察されると、ちょっと考えがおかしい奴、と見られてしまうようだ。もちろん、人による。
多面的に物事を捉えることができる人であれば、あなたはその角度から見たのね、で済むが、そうでない人からは奇異に映るようだ。

なので、僕としては相手が物事に対してどのように捉えているのかをまず見て、それから自分の意見の幅を変えていくことが良いのだろうな、と感じている。
「自分は頭が良くてよく考えている」と自負のある人ほど、考えが凝り固まっているという個人的な肌感もあるので、そういう人とは正直あまり一緒に仕事したくないな、とも思っている。


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エヴリカ│失敗と学びを記す者
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