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某旧家の裏口に義士討ち入りの日を重ね

季語:義士討ち入りの日(仲冬)

ぼうきゅうけのうらぐちにぎしうちいりのひをかさね

江戸時代のヒット作「忠臣蔵」

12月14日は赤穂浪士が主君の仇、吉良上野介を討ち取った日。忠臣蔵のクライマックスとなった日です。わたしはテレビをほとんど見ないので、最近はわかりませんが、子供の頃は年末といえば忠臣蔵のドラマをやっていたような気がします。

浅野内匠頭が吉良上野介からの侮辱に耐えかねて刀を抜いたのは1701年のこと。300年続いた江戸時代の中頃です。そして主君の仇討ちは1703年12月14日。戦乱もなく、武士道も形式的なものになりつつあった頃の出来事だけに、そのインパクトは幕府にとっても民衆にとっても相当なものだったようです。

早速人形浄瑠璃や講談の題材として人気を集めますが、幕府を題材にするのはご法度だったそうで、室町時代のこととして語られたり、登場人物名を別名に変えたりして上演されました。

いろいろなバリエーションが存在しますが、中でも有名なのが、人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」です。今「鬼滅の刀」が映画の興行記録を塗り替える勢いですが、「仮名手本忠臣蔵」も類をみないほどのヒット作であったそうで、人形浄瑠璃の次は歌舞伎でも演じられたとのこと。ヒット作が漫画からTVアニメ、映画とマルチメディア展開していくのは、江戸時代も現代も似たようなもののようです。

某旧家の裏口に義士討ち入りの日を重ね

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今住んでいる田舎町は、いろいろと古い歴史を持っているようです。今では公園になっていますが、かつてはお城もありました。多くの寺があり、歴史ある天満宮もあります。

年月を経て町の様相も大きく変わりましたが、写真のような立派な勝手口のある家もいくつか残っています。古いままでなく、伝統的なデザインを残しつつ近代的にコンクリートなどを使った出入り口ですが、それでも十分インパクトがあります。

散歩途中で見かけた家ですが、通りかかった瞬間惹きつけられました。立派な壁に囲まれているので中の様子はわかりません。壁づたいに回れば表門にもたどり着けたのでしょうが、なぜかそのときは裏口の写真だけ撮って満足してしまいました。

そのときにふと頭をよぎったのが、赤穂浪士の討ち入りでした。奇襲作戦ですから、表から堂々と47人が列を為して入っていったわけではないでしょう。こんな裏口から様子を伺いつつ、忍び込んでいったのかなぁという映像がパッと脳裏を横切りました。たぶんいろいろな時代劇の印象から作られた映像だと思います。そのときの印象を俳句で詠んでみたのが本日の一句です。

某旧家の裏口に/義士討ち入りの/日を重ね

上中下の区切りで区切ると上記のようになります。上5が大幅に字余りしてます。「裏口に」だけにすれば5文字で収まりますが、それではなぜ忠臣蔵の討ち入りが出てくるのかがわからなくなります。

せめてそれっぽい裏口であることは書かなければ伝わりません。「旧家の裏口」で説明にはなりますが、今度はリズムが悪いので「某」をくっつけました。

個の時代と忠臣蔵

武士道というと身分制度や切腹といった乱暴な印象もあります。一方で、主君のために一丸となって突き進むという団結力、主君亡き後も意思を引き継ぐという集団のまとまりという面には見習うべきところもあるのかも、と思います。

こういうところが、終身雇用制度や会社第一の人生観に結びついたのかもしれません。

今終身雇用や会社のために尽くすという考えは、崩壊しつつあります。でもそれは旧来の伝統にあぐらをかいて、ブラック労働を強いてきた誤ったリーダーシップが続いた結果なのでないでしょうか。

忠臣蔵は古臭い日本人的道徳心にマッチした歴史的なコンテンツです。今は個が尊重される時代ですが、それでもベクトルくらいはきちんと揃ってないと何事も達成することはできないでしょう。忠臣蔵まではいかなくても、きちんとした理念を持った企業や社会は必要だと思います。

コロナ禍もリーダーシップの欠如と、行き過ぎた個の動きが状況を混乱させているように感じます。たまには古臭い日本人的観念を思い出すのも悪くないのではないでしょうか。

最後までおつきあいありがとうございました。コロナ禍が近所まで迫ってきました(Go to 対象外になりそう)。寒くなってきたので、風邪と一緒にもらってしまうと大変です。風邪など召されないように気をつけましょうね。

スキ・フォロー・コメントは風邪にもよく効きます。


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ウールーズ(heureuse)
本質的に内向的で自分勝手なわたしですが、世の中には奇人もいるものだなぁーと面白がってもらえると、ちょっとうれしい。 お布施(サポート)遠慮しません。必ずや明日への活力につなげてみせます!