最近自分の歳が分からなくなってきた話
おととい東日本大震災から8年が経ちました。
僕も8年って時間の経過がよく分かっていない側の人間でして。。
唯一のバロメーターが震災の次の年に産まれた娘が4月から小学校に上がるってことでしょうか。
だから
7 たす 1 は 8
ということで、8年経ったんだなと思うわけです。(よく分からない計算ですね?)
娘の成長があっという間であったように、僕と震災との付き合いもあっという間の歳月を重ねているわけでして。
またこの日が来るたびに色んなことを考えるわけです。
ただ最近困っているのが自分の歳が分からなくなってきてしまっていることでして。
つい数年前までは30歳になるまでに、とか、30歳過ぎたら、とか。
とても焦っていたので、今自分が何歳なのかということが非常に重要でした。
でも最近は、なるようにしかならないし、なんとかしようとしなければ結果は出ないし、頑張り過ぎても疲れるだけだなぁなんて…
別に何かを諦めているわけではないんですよ?
今この瞬間だって、いつだってアンテナは張り続けているのです。
話は逸れますが、この前中学・高校の先生を交えての集まりがあり、15年とか18年ぶりに同級生と会う機会がありました。
で、同級生と会うことっていいなと思えたのが、等身大の自分というものを意識させてもらえたというか。
今の自分がこんなになってることのルーツというか、あの時あんな自分が確かに存在していて、そして10数年経って今に至っているのだという当たり前のことなんだけど、そんなことを考える機会を与えてもらえたのでした。
なんだか気恥ずかしい話なんだけど、あの時君には助けられてね…とか、君がいたから頑張れたんだ…なんて、まるでタイムカプセルを掘り起こした時の感動みたいなことを言ってもらえたりして。
まあまあ、話を元に戻すと。
もう30歳だとかなんとかと考えるより、今目の前にある環境だったり、もちろんそれは家族だったり仕事だったり。
自ら選んだこともあれば与えられたこともあるだろうし、言い訳でもなんでもなくて、どうにも変えられないものってあると思うんですよ。
ただ、その中で自分の持てる能力を最大限に引き出すようなパフォーマンスをできるのかどうか。
これに尽きると思います。
毎日毎日、ほんと1日を大切にしないとあっという間に時間が過ぎていく。
あの日、生かされた命だと僕は思ってるんです。
だからこそ、今は死ねないし、一生懸命後悔のないよう生きてやるんです。
そりゃ周りを見渡せば世の中にすごい奴はたくさんいる。
アスリートや芸能人、経済人や活動家、学者などなど…
でも自分はそこを目指そうと思っていないし、それよりも自分にしかできないことを、身の丈よりもちょっと背伸びしたくらいのところで社会の為に何かお役に立てることをやっていきたいと思っています。
でも!!
焦る必要はなくてってのが最近の自分の気持ちの落とし所なのです。
そう自分に言い聞かせながら、こうして想いや考えを吐き出していこうと思います。
最後に、中学校の恩師から頂いた僕の信条としている言葉を以ってこの投稿を締め括りたいと思います。
富士山に登った者は、富士山に登ろうとした者だけである
何事もチャレンジしなければ、結果は生まれないですよね。
小学生になる娘にしっかりと親父の背中を見せらるよう、僕自身も一人の人間としてチャレンジし続けていきたいと思います。
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