アラフォーおじさんが10代や20代の青年と殴り合える場なんてここしかない
私は総合格闘技をやっていますが、試合には出ません。
「歌のために総合的なフィジカルを向上させる必要がある」
「そのために何かしら、全身を協調させて動く運動に取り組む必要がある」
ということで、選択肢の中から「格闘技」を選んだに過ぎないからです。
ダンスでもサッカーでもよかったのに、格闘技を選んじゃっただけ。
そういう大前提があるから、自制しています。
試合に出るなら、どこかしらが壊れる覚悟は必要です。
壊れるということは、バランスを崩すということ、
歌のため、という前提が壊れてしまうんですね。
だったらもう、格闘技は辞めなくてはならない。
続けたいなら、セーフティを徹底するのが条件。
守りながら出たところで、自分も相手も不愉快です。
もちろんそれは、幾ばくかの観戦者にしたってそうでしょう。
小さな場でも人前に立ったことのある自分として、
それを許すのは、あり得ないなと。
圧倒的な肉体の耐久性を獲得できて、安全なルールであれば、
もしかしたら出るかもしれません。
まあ、そんなもん無いですけど。笑
道場内、スパーリングでの評価はすこぶる良いです。
壊し壊されの場面は徹底的に避けるし、それがあれば注意する。
ケアについては自分も他人も可能な限り行うようにする。
それが傍目には「スポーツマンシップ」に見えるようです。
その実、格闘技への覚悟がないだけなんだけどな。
格闘技と武術、武道、喧嘩は混同されがちですが、違います。
相互に有用なテクニックというものは存在しますが、
全てのテクニックに汎用性があるわけではありません。
私の格闘技の技量なんて、喧嘩では通用しません。
運動不足や老化による衰えは、総合力にあらわれます。
どこかしらが委縮し、全身の連動性を支える地力が失われている。
そんな私の動きなんて、ルールがなきゃ簡単に捌ける。
何でもアリってそういうことだと思っています。
だから私は喧嘩は出来ない。だからスポーツに徹するしかない。
そこから外れれば、私の価値はないのだから。
格闘技は本当に良いもんですよ。
日々社会の競争に晒されながら、挑発に乗ることは許されず。
出来るのは遠回しな嫌味や派閥を使った場外乱闘ばかり。
純粋にお互いの力を出して争えることが、本当に嬉しいし楽しいです。