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「弱者」にすらなれない僕ら

 だいぶ前のことだが、「たぬかな」という女性が「弱者男性合コン」なるものを開催されたらしい。「たぬかな」とは、「170以下の男性には人権がない」などと、攻撃的な言動で物議を醸したことで有名らしい。合コンの様子をみた人からは「弱者に見えない」との指摘があり、X(旧Twitter)上では「たぬかなの弱男合コン全然弱くないの草 こいつも結局は本物の底辺には関われない口だけ女ってコトや」「たぬかなの弱者合コン、グロテスクの一言に尽きる。参加した男性陣は弱者ではなくむしろまともな人たちで、彼らは心のどこかで自分が弱者でないとわかってるし(∵ガチ弱者ならこんなイベントに来ない)、参加者は弱者のイメージを消費して楽しんでるわけで、それらをすべて織り込んで儲けるたぬかな」「弱者男性合コン、弱者男性が見渡す限り一人も存在してなくて笑う。常々主張してるが、こういうところにアグレッシブに参加できる奴が弱者なわけないから」などの声が上がったという。紛れももなく弱者だと自認している自分だから興味を持ったし、少し考えてみたいと思った。
中年弱者男性は扱う話題も古いし考えるのも遅い。

 2時間弱に及ぶ動画を見てみた。なかなかに骨が折れた。

 見終わった感想としては、ネット上の「弱者に見えない」という批判も無理がないことかなと思った。参加者はみんなきちんとコミュニケーションをとれている(ように見える)し、見た目だってそれほどおかしい人間はいない。まずその場の雰囲気を壊さずに参加できているし、適した発言や行動がとれている(ように見える)。
 これが弱者なら我々はなんなのか、という思いがした。これまでに眼前で何度も何度も繰り返されてきた光景にも見え、既視感にすこしくらくらした。そしてひどく孤独を感じた。

 ネット上の批判に対してたぬかな氏は「合コン男性衆に当日昼に風呂に入って、ユニクロで店員さんに服を選んでもらって、美容室に行っておめかしして来いっていうお触れを出したら「こんなの弱者男性じゃない!!」だそうですね。みなさんそんなにダサいブサイクみて笑って楽しみたかったんですか?」「ハゲがいない!→病気の丸ハゲがいた。デブがいない!→デブは努力でどうにでもなるので落とすと配信で伝え済み。弱者じゃない!→知的障害二級や精神障害二級等、参加者ほぼ手帳持ち なお一級の方は辞退されていた。選考時点では顔写真を貰っていない」などと反応をした。」

 もちろんたぬかな氏が主催なのだから、この合コンがどういうものか、その参加者がどういう人かをその意向で決められるのは当然である。一方でそれをどのように感じたり、考えたりしてもいいように思う。

 どうやら弱者として参加するには「弱者」としての資格がいるらしい。上記発言からすると今回は手帳を持っていることが「弱者」の条件だったようだ。こういうのは珍しいことではなく、いままでも散々繰り返されてきたことだ。体と心の性が違ったり、同性を性的な対象としたり、肌の色が違ったり、特定の地域で生まれたり、昔差別されてた人々の子孫だったり、「弱者」になるには常に記号が必要だった。その資格をもった人のみが「弱者」として、世間や社会、強者の側で庇護の対象になったり逆に迫害の対象になることができる。それ以外、以下の人々はただ無視され、存在に気づかれないだけだ。今回、たぬかな氏やかぶりものを被った男性二人は僕には世間や強者の象徴に見えた。そして、そのお眼鏡にかなった「弱者」だけがそちら側の世界に参加する権利を得ることができたのだと思う。結局はいままで繰り返されてきたことと何一つ変わらないことが繰り広げられただけだった。

 また、「弱者」であってその上で服屋や美容室にいっておめかしする努力や、痩せる努力ができる人間だけが今回「救済」される資格があったらしい。こういう努力ができる人間をとても弱い人たちとは思えない。

 「弱者」として扱われる資格もなく、努力することも能わない我々は弱者以前に何者なのだろう。ネット上で批判する人たちの気持ちにはこういうやるせなさが根底にあるのではないか。わからなくもないとすこしだけ思う。

 「みなさんそんなにダサいブサイクみて笑って楽しみたかったんですか?」といったたぬかな氏の発言は少し胸に刺さった。「弱者救済合コン」と聞いて、僕たちは一体なにを見て楽しみたかったんだろうか。そしてなにと信頼していたのだろうか。

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