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2.りゅうちぇるさんの事/社会的制裁(ネットリンチ)は許されるべきか/そもそも言いたいだけ問題

 基本的にゴシップ記事についてはなるべく言及しないようにしてきたし、これからもそうするつもりではありますが、今回はいつもと違う事をやってみようということで、あえて取り上げてみようと思います。

本当の原因がどうなのかは分からないけど、まあ実際、誹謗中傷えぐかったですよね。少なくても原因の一部であったであろうことは容易に想像できます。
 だけど誹謗中傷を非難する声明があちこちある一方で、なんで現在進行形で行われている『広末さんと鳥羽さん』だったり『上原さん』だったりの誹謗中傷を非難しないんだろうって思うわけです。不幸な結果だけに目が行きがちだけど『次の哀しみを生まないため』には、そっちの方が大事なんじゃない?って。

 私は今回の件に限らずですが、『社会的制裁(ネットリンチ)は許されるべきか』という問題と、『そもそも言いたいだけ問題』という二つの問題があると思っています。
 誹謗中傷ダメ、絶対!なんてずっと前から言われているけれど、無くならないのは『糾弾されても仕方ない人もいる』と考える人が多いからだと思うんです。そう思う人が多いからこそ、結果として一部の人が『誹謗中傷』という行動を起こすわけです。
 『社会的制裁はある意味仕方ない』と考える人が多いからこそその中から誹謗中傷する人が出るわけで、その意味で私たちは『誹謗中傷されることを許容している』とも言えると思うんです。乱暴に言うと。

 『そもそも言いたいだけ問題』は、別に誰がどうとか関係なく、ただ言葉にすることで誰かに振り向いて貰いたい人たちの話ですね。

 芸能人、youtuber、週刊誌の記者などは、それを言及することが『仕事』で、誰よりもうまく怒ったり悲しんだりすることで共感を得ます。同じように一般人もSNSで『ホットな話題だから』という理由で語りたがります。

 嫌な言い方をしましたが、それは私自身の話でもある訳です。社会的正義・制裁は時と場合によっては行われても仕方ないと考えるし、『言いたいだけ問題』は自身の承認欲求と複雑に絡み合っています。
 だから、という訳では無いですが、私はそういうものを『身の内にある病』として付き合っていこうと思っています。なるべく距離を置きながら、かといって排除できないのであれば、肥大化しないようにしながらその『相容れなさ』を適度に受け入れつつ生きていく。
 それが『生きる』ということなのかもしれません。


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