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「あんまりそっちに行くと危ないよ」

「あんまりそっちに行くと危ないよ」

祖母がおもむろにそう言った。デイサービス前にスマホの充電器を取ろうとして、大腿骨を骨折した祖母を見舞いに慌てて地元へ帰り、病院を訪ねたときだった。

わたしとしては忙しい仕事の合間を縫って、当初予定していた海外旅行をキャンセルしてまで会いに行った矢先、思わぬ言葉が飛び出した。

「おばあちゃん、わたし妊娠したよ」

なんとも言えない間があってから、2つ下の妹が恥ずかしそうに報告をする。初耳だ。こんなにもパワーワードが連発されることなんてあるのだろうか。マッチングアプリで出会った"彼氏"と半年間の同棲を経て結婚し、その半年後に妊娠をした。そんな妹と一緒に祖母を見舞っていた最中の出来事だった。

「優さんは彼氏いないの?」
「優さんは結婚しないの?」
「優さんは子供が欲しいと思わないの?」

そんなことを聞かれるより前に、そっちに行くと危ないよと言われたもんだから、呆然としてしまった。全く意味がわからず、改めておばあちゃんに聞き返すと、女性のほうが好きなのかと聞かれた。なるほど、そう言うことか。祖母なりに遠回しに迂回ルートで探ってきたようだった。事実パンセクシュアルを自認しているので、否定もできずにいると、立て続けにこう呟いた。

「あんまりそちらのほうを好きになると、ね」

そっちの道に行くとぬかるんでるから危ないよと言わんばかりに。私の手を引きながら、一緒にぬかるんだ田んぼ道を歩いた昔のように。そんな感じで、ぽつりと私につぶやいた。

今年88を迎える祖母は、当時の女性としては珍しく、地元の有名進学校へ進学するほどだった。司馬遼太郎を好む読書家の彼女を、昔から尊敬をしていた。家族は誰も本を読まない中、わたしだけは本を好んで読んでいた。そんな祖母は、わたしのよき理解者として、家族の誰よりも私のことをわかっていてくれていると思っていた。中学で不登校になり、学校へ行けなくなったときにも、唯一無理に学校へ行けとは言わなかったのも、彼女だった。

33年生きてきたわたしは、「結婚」「妊娠」というパワーワードを前に、かつてわたしが心を許していた祖母の面影をもはや感じれなくなっていた。

結婚報告をする。妊娠報告をする。妹の横に立つわたしを眼差す祖母の目を、どう見たらいいのだろう。なぜ今でも結婚、妊娠出産というものが、いわゆる女の幸せ=女孫の幸せとされるのだろう。

どれほど祖母を思い、毎日ねぎらいの電話をかけたとしても、祖母にとっての1番の喜びは妊娠出産結婚報告であるのだと、まざまざと見せつけられた気がした。

私が祖母を思いプレゼントした靴下も、祖母の好きな作家の本も、もはやどうでもよく思えてきた。さすがに、結婚、妊娠というパワーワードには敵わなかった。(無念)これまで祖母に電話もせず、さほど気遣うこともなかった妹は、いとも簡単に祖母の笑顔を引き出せているのに、だ。

わたしは、そんな笑顔を祖母から引き出すことができなかった。なぜなら、結婚していないから。なぜなら、妊娠していないから。なぜなら、子どもを産まないから。そんな寂しくて過酷で残酷な現実を目の前に、どうしたらいいのだろうか。意気揚々と仕事の報告をしようとしていた自分を恥じた。

「おばあちゃん、優さんの子ども見るまで死ねんわね」

別れ際、またもやパワーワードが飛び出してきた。ばあちゃん、またもやキラーパスすぎるだろう。悪びれることもなく、早くリハビリして回復するねと、無邪気な笑顔を見せる祖母が何気なく付け足したおまけに引っかかる。こっちはこっちで、メンタルのリハビリが必要だわと思いながら、病室を後にした。

いまだにもったいないと、女として生まれたのにと言われる人生、どうしたらいいのだろうか。みんなどうしてるんだろうか。いっちょ前に仕事して、この物価高の最中東京でまがりなりとも一人暮らしをして、好きな仕事をして稼いで、わずかながらでも社会を回して、それの何が悪いのだろう。

いわゆる男性と結婚し、妊娠をし、出産をし、子育てをする道でなくとも、ただただ生きているだけでとやかく言われなければならないのだろうか。

私は誰かと自分の子どもが欲しいとは、いまは思わない。一時期児童書の編集をしていたこともあって、子どもという存在は好きだからこそ、同じコミュニティで一緒に過ごしてみたら面白いだろうと思う。だからこそ、20代の頃、養子縁組制度に興味があるとふと祖母に漏らしたことがあった。何とも言えない目で、「そんな悲しいこと言わないで。いまから諦めないでよ」と真顔で訴えてきた彼女の顔を思い出す。

そっちに行くと危ないよ。

ばあちゃん、そっちって、どっちよ。
非行の道に走るなと、人としての道を踏み外すなと言わんばかりに、言わんでよ。
あっちも、こっちも、そっちも、でいいじゃん。

もしかしたら、そっちも危なくないかもだし、そう悪くはなかったよって、いつか祖母に胸を張って伝えられたらいい。

祖母の思うそっちではないこれからを、自称リスクジャンキーなわたしは、選ぼう。楽しいそっちを、いつかばあちゃんに見せてやろう。

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