【第8回】あした、こられるかなあ
執筆:副島 賢和(昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、昭和大学附属病院内学級担当)
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勢力の強い大型の台風が近づいています。その日は、サマースクールを開講していました。
夏休みや冬休みなどの長期の休み中でも、入院している子どもはいますので、できるかぎり開級します。むしろ、その時期に入院や治療をし、学校は休まなくてすむように計画している場合も多いのです。
学級の窓はとても大きく、周りに高い建物も少ないので、遠くまでよく見渡せます(ただ、外に出ることのできない子どもたちにとっては、大きな画面を見せられているように感じるようです)。
いつもはきれいな景色が見えるこの窓も、台風の雨風で、隣の建物も見えないくらいの視界でした。
「わあ、すごい雨。何も見えない!」
と一人の子どもが言いました。
「明日が(台風の)ピークらしいよ」
それを聞いた別の子どもが、
「明日、お母さん来られるかなあ」
とつぶやきました。
その瞬間、教室の中には、なんともいえない空気が流れました。
(そうだよね…)
子どもたちは、お家の人がお見舞いに来てくれることを本当に楽しみにしています。同時に、自分はお家の人に迷惑をかけているのではないかと、とても気を使ってもいます。
だから、すごくうれしいのにもかかわらず、ツンという態度をとってしまう子もいます。
「もう帰っていいよ」とつれない態度をとる高学年の子もいます。そばにお家の人がいるのに、漫画を読んでいたり、ゲームをやっていたりしているので、「せっかく来てくれたのだから、なんか話したいことはないの?」と言われたりすることもありますが、実は、そばにいてくれるだけで安心なんだろうなあと思うときもあります。
本当に、お家の人に会えることを楽しみにしている子どもが多いのです。それでも、
「こんな台風のときに、病院に来たら危ないよ」
と、お家の人をとても気遣う様子がみられるのです。
保護者の方にしたら、
(そんな心配しなくていいですよ)
と思うかもしれません。
(本当にごめんなさいね。今日は行けないの)
という場合もあるかもしれません。
お家の人と会えなくて、本当にがっかりしていたり、ちょっと涙ぐんでいたり、イライラしてしまったりしている子どもたちにかける言葉は、とても考えます。
当たり前のことですがやはり、私たちはお家の人の代わりはできません。私は教師です。院内学級の先生です。保護者の代わりになれないと痛感する瞬間です。
だとしたら、教師として私に何ができるのでしょうか。
気が紛れるようなことを一緒にするのか。その子の好きなことをして過ごすのか。寂しい気持ちを話してもらうのか。どうしようもない気持ちをぶつけてもらうのか…。今、この子にとっては、何がよいのだろうと、探りながらかかわります。反対に子どもたちに気を使わせてしまうことになるときもあり、毎回とても難しいです。それでも、ほんのちょっとでも、子どもたちが「ま、いっか」と思えるようなかかわりをもてるようになりたいと考えています。
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※本記事は、へるす出版・月刊誌『小児看護』の連載記事を一部加筆・修正し、再掲したものです
★2023年2月号 特集:おなかが痛い,気持ちわるい:子どもの腹部疾患
★2023年1月号 特集:サブスペシャリティを極める学修;小児看護の実践力を高めるために
★2022年12月号 特集:みんなで築こう!協働関係;日常から話し合える環境に必要なこと