印象 ベルリン
「ミネルヴァの梟は迫り來る黃昏に飛び立つ」といふ言葉がある。日没後の靜寂の境地において調和した灰色の世界を寫し取る者がある一方で、かつて、到來せんとする薄明の豫感に戰きつつ、夕鴉の如く鳴き渡つた者がゐた。
「ドイツ表現主義」と稱される詩人の一團は、急速に近代化する社會を前に、言ひ知れぬ不安と確かならざる希望とを抱きつつ、内奧から湧き上がる衝動を詩作として昇華させた。作家の由來や關心はそれぞれ異なつてゐたが、その根柢にあつて共通してゐたのは、把捉しがたい現實を詩の力を假りて變容させ、さうして調和が齎された象徴世界を通じて疎外された自己と和解させる試みではなかつたかと思ふ。舊來の言葉を用ゐて眼前の世界を新たに意味づける瀆聖の喜びに浸るとともに、他との境界を融解せしめる熱情に動かされるまま、益々遠ざりゆく救濟を人類に、革命に、未來に求めた。
詩人が當時抱いた不安、驚嘆を現代に追體驗し、内的に再構築された幻想世界を實感することは容易ではないが、何氣ない瞬間にふと、彼等の詩情と通底する或る種の畏怖の感に打たれることがある。
「表現主義」詩人のひとり、ゲオルク・ハイム(1887-1912)は、近代化によつて變質したベルリンを拒絶しながらも、大都市の暗い魔力に抗ひ難く惹き込まれ、詩を作つた。
數年前、黄昏時のシュプレー川岸を逍遙してゐた折、或る風景に目を奪はれた。多目的催事場「メルセデス・ベンツ・アレーナ」の巨軀が、電燈に照らされて夕闇から浮かびあがり、その周圍には、聳立する揚重機の群が暗雲に壓されつつ、アレーナに扈從するかの如く點點と植わつてゐた。
その時、何故か、百年前の大都市を歌つた詩の數數が思ひ起こされた。暗闇の中で目的の連關から解き放たれた形象の群が、詩的世界におけるが如く象徴的意味を受容するに至つたにしても、かつてハイムが呼び覺ました、都市の混沌を司り、糧とするバアル神が、この地の奧深くにいまなほ潛んでゐる爲ではないかと思はれた。