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20240428 毒を抜く

学生時代の友人と会った。学生時代の、という枕詞はなんとも醜く感じる。そこに現在までの継続の含意があるかどうかが不明瞭だからだ。少なくとも私は、その不明瞭さに自覚的なときにそういう言い方をする。今も頻繁に連絡を取るような相手は「学生時代に知り合った友人」とか「学生の頃からの友人」とか言うだろう。かつての記憶がきっかけにすぎない人を表すのなら、そのほうが正確で、うれしい。

彼女たちは「学生時代の」友人だった。これまで最後に会ったのがいつだったかも正直はっきりしない。たぶん4,5年は前だろう。私はかつて彼女たちと同じアニメを見て、同じ授業に文句を言い、ちっぽけな人間関係のいざこざに狭いコミュニティの中で巻き込まれ合うようなありふれた幼少期を共に過ごしたが、現在はそれぞれが別の場所で、全く違う生活を送っている。当然だ。今になってまだ繋がりが保たれているほうが不思議なくらいだった。

実際、話す中でその指摘があった。「腐れ縁ってやつだ」とある友人が言い、「いやそういうわけでもないでしょ」と他の友人が言った。「切っても切れないようなもんじゃなくない?」「まあ普通に切れるよね」そう相槌を打ったのは、私だ。

互いに正確な言葉を使っていたとは思えない。本当に好ましくない関係だと思っていたら、わざわざ時間を合わせなかっただろう。私は言葉足らずで、語弊があった。人の繋がりなんてまあまあ切れる。もちろんどうしようもなく切れないような関係は世の中たくさんあるが、同じかそれ以上に、簡単に切れてしまえる関係もたくさんある。学生時代の友人なんてのは後者の代表格だろう。私はそこでまだ繋がっていることに意味を感じているし、感謝もしているつもりだ。しかしその意図は、おそらくほとんど伝わっていない。


今日はずっとそうだった。飲み物を傾けながら、こんなに自分は喋るのが下手だっただろうかと繰り返し思った。複数人が集まっているわりに静寂がたびたび訪れて、そのうちの幾らかの空気の澱みは、私のワードチョイスの悪さに起因していたような気がした。黙っているほうがよほどうまく回ると思った。あの中でそう感じるのは、これが初めてではない。以前、今日集まったうちの数人と旅行の計画が立ち上がったとき、私は理由を隠して断った。そのときも同じように考えていた。私がそこにいないほうが、おそらくどちらのためにもいいと——それが客観的な判断であると信じて。

楽しくなかったわけではない。楽しかったよ、とても。皆の近況にもそこそこ興味はあるし、わずかな共通の趣味も見つかったし、何より皆が元気にしているのは喜ばしいことだ。しかしいつも、人と話した夜は不可解な気持ち悪さに襲われる。毒を抜きたい、と布団の中で考える。思い出すのは、瀉血だ。今は松井江の文脈でしか聞かない言葉が、イメージ上ではまるで理想のように輝いている。血液に乗って、身体の中を、今、自己嫌悪が流れている。


私だってインターネットで生きてきたと自負している。昔の友人と歳を重ねるにしたがって不和が生じるなんて事例は半年に一度増田で読んできた。とはいえ、それを我がこととして体感する機会はそう多くはない。話す話題に困ること、誰かの踏み込んだジョークの種類が受け付けないこと、自分の話した内容が輪の「正解」に馴染まないこと、それらを暗黙のうちに皆きっと察しているだろうと考えながら、それも私だけなのかもしれないと思うこと。経験の主語は、確固とした「私」だ。あの子でもあの子でもなく、この「私」。視点はもはや「私たち」でなくなって久しい。

人と話すと孤独に気付く。それは私とあなたが違う人であることの証明であり、自分が相手を不快にさせうることの確認作業だからだ。今日私が使った言い回しが頑張っている彼女を不愉快にさせたらしいとわかることによって、私は自分の輪郭の一部を自覚する。

だから結果的に、「明日から頑張ろう」というエネルギーはもらえている。別れたのち、自分の日常的なタスクを思い起こして、私にはここしかないのだ、と強く思う。私にはこれしかない。かつての帰る場所には、もう誰もいない。