20240405 呼吸
文字を書かないと生きていけない人間なので、書くことにした。全ては文字を書くための言い訳にすぎない。日記は特にそうして選ばれる。創作やら論文やらと違って、調べたり推敲したりって手間がかからない。安易な選択肢というわけだ。しかし書く場所はまだ迷っている。noteはまだアカウントがあったのでこうして使ってみているが、noteのこの、いつも14時の日光が差しているようなUIはお世辞にも居心地は良くない。使うたびに、ここは私のような人間が生きる場所じゃないなと思う。生きる。これは生きていることを文章にしているという意味ではなくて、文章によって生が立ち現れてくるという意味だ。私はこの文字列の中にしか生きていない。
以前は友人にだけ限定的に公開する形で日記を書いていた。それをプラットフォームの問題で非公開に変更したのがいつだったかは定かじゃないが、非公開にした途端、日記を書く習慣は私の日常生活からあっという間に姿を消してしまった。単に承認欲求が満たされなくなったからではない。私にとって私にだけ読まれる日記というものは、小さなビニール袋の中に顔を突っ込んで、同じ空気を吸ったり吐いたりするような真似に似ていた。徐々に息が浅くなり、書くたびに吐き気を催した。そこで窓を開ける必要性を学んだ。要は文字を書くのも、それを公開するのも、目的は同じだ。すべては健全な呼吸のために。
最近、すぎるさんとhacchiさんのOMORI実況のアーカイブを少しずつ見ている。
OMORIは初見だ。こういうインディー系のゲームは、正直得意でない可能性が高い。意外だなと自分でも思う。こんなサブカル人間みたいなやつこそ、趣のあるインディーゲームが好きそうなものだ。しかし実際は合わないことのほうが体感としては多く、OMORIも途中まで合わないんじゃないかという気がかなりしていた。今は進んできて少し、思ったよりはいけるかなという予感がしてきているが、まだわからない。そもそも見終わるまでにどれだけかかるか。10時間を超えるアーカイブは、一つ一つが分けられているものよりずっと果てしなく感じる。物語があるだけいいが、見たところサブクエスト的なものが多いゲームであるらしい。あとは自分の集中力がどれだけ続くかが問題だ。
OMORIに対する最初の悪い予感は、夢の世界と現実の世界らしきものがあって、現実のほうでよくないことが起こっているらしいとわかったあたりで抱いた、「これも夢から覚めるべきみたいなやつかな」という疑念だった。結局どうかは知らない(繰り返しになるが、まだ見終わっていないのだ)。ただ、おそらくそれだけでもないだろうと、今は予想している。
私はフィクション作品でたびたび見かける「夢(フィクション)から覚めて現実に戻ろう」みたいなテーマを嫌悪している。正直に言って、ふざけるなと思っている。そんなふうに促されてあっさり戻れるような現実を生きていたら、そもそもそのフィクションに金を払わなかったかもしれないんだぞ、とも思う。フィクションは物語であると同時に、現実ではない世界——虚構世界としても大抵機能している。ストーリーの内容として主人公が現実に戻ることに妥当性があるかどうかと、受容する人々からある虚構世界をひっぺがす妥当性があるかどうかは別の問題だ。だから、主人公が単に異世界から戻るだけならばいい。問題は第四の壁を通り越してこちらを向いてくるパターンで、そのとき主人公は主人公ではなく、現実の人間の意図を擬人化している——ことがある。
人が人に現実を生きろというのは無責任かもしれないが真っ当だ。しかし真っ当であることは、常に誠実な態度とは限らない。その誠実が意味する矛先は読者や視聴者よりむしろ、まずキャラクターや自らの虚構世界に対してであるかもしれない。夢は道具とは限らないのだ。
文章も同様だ。文字を書くことは、それ自体が目的でありうる。少なくとも私にとっては。フィクションがフィクションそのものでありえないように、文章も文章そのものではありえない。何か内容を書かなければならない。内容を持たないものがあったとして、それがどれだけ形骸化した模様に見えるかは、薄汚れた黒いアイコンをタップするたびに嫌というほど知る機会があるだろう。あれは亡骸と同じだ。
何かを今、吐き出している。そしてきっと何かを吸い込んでいる。私はいつも冷たい空気をイメージする。私の文章は冷えた季節の夜にある。遠くで車が走り、テールランプが光っている。瞼の裏に、見知らぬ乾いたプールの底が浮かんでいる。