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2月29日

今朝は日本語ネイティブの先生の初授業。
みんなもっとウキウキでくるかと思ったら、全然そうでもなかった。出席率は半分ほど。
授業はセオリー通り、日本語での自己紹介からスタートした。
聞いてみて、みんなについて全然知らないことに気づいた。何歳で、どこ出身で、趣味は何で、なんで日本語を勉強しているのか。
それくらいなら普通に知っていてもいいはずなのに、いつも話しかけられるのを待っているばかりだから知らなかった。会話ってそういう簡単な質問から始まるんだな。自分から何を聞けばいいのかわからなかった。
先生の自己紹介もあった。以前はモンゴルの中学校で日本語を教えていたらしい。
インドで教えるのは初めてのようで、ヒンディー語も全くわかっていなさそうだった。1月に来たのに、教員寮に入れたのもつい先日だったという。やっぱりインドで働くって難しい。

授業は既習の章の訂正から始まった。
「私は妻があります」に代表されるような、「〜は…があります」で家族、親族などの関係を表す構文が教科書で紹介されていた。
私も「…がいます」じゃないのか?と若干の違和感は覚えたものの、授業のペースを乱したくないし、先生の威信にも関わると思って敢えて訂正しなかった。
しかしこの先生は容赦なく、「あります、をいます、に変えてください」「この教科書はずっと昔のものですから、間違っているところは私がこれから直します」とおっしゃっていた。できることなら私のヒンディー語の教科書もこういうふうにネイティブに直してほしい。

音読練習では、私が手本として会話文を読んだ。いつもクラスメイトと話すときのようにゆっくり単語で区切って発音したら「普通に話してください」と言われてしまった。
先生と私のロールプレイの後はみんなが読んだが、なかなかなめらかに話せる学生はいなかった。先生は練習不足だとバッサリ言い、ネイティブのスピードで読めるように指導なさっていた。
先生は英語もそれほど得意ではない(あるいはインド英語の発音に戸惑っている)ようで、ほとんど日本語だけで授業が行われた。途中私が通訳のようになっていたが、聴講できるのも残り数回だけである。
日本語学習を始めてわずか半年の学生に対しての授業だと思うとなかなかハードだった。授業後には着いていけないと落ち込んでいる子もいれば、これくらいの方がやる気が出るという人もいた。
私にできることはこれまでの授業の引き継ぎ(文法用語など)かな、と思ったが、それはお節介かもしれない。なかなか関わり方が難しい。

お昼ごはんなどを済ませて午後はヒンディー語の授業を受けた。
事前の連絡ではどの先生も時間通りに授業をすると言っていたが、1限目の先生は昼メシ食いに行ってくるから俺の授業は3限目の後な、と言い放ち、いなくなってしまった。
3限目の後だとお姉さんは仕事があるので参加できない。しかも1限目と2限目の間には30分の昼休憩があるので、1時間半暇になってしまう。
なるべく早く帰ってきて授業をしてくれと頼んだが、結局2限目が始まる15分前ごろに帰ってきて、"एक थी गौरा" の翻訳を急に始めた。こちらの質問はガン無視で話すだけ話すと、2限目の時間に突入して数分してから授業が終わった。
次の授業もまた読解だった。お姉さんが "बीसवीं शताब्दी का गोलोक" が難しすぎたので復習したいと頼んだら、試験範囲から外してあげるから大丈夫だと言われた。嬉しいけど、この様子だとまだ試験作ってなさそうで不安だ。
その後は "आख़िरी ख़त" というハチ公物語に関連したエッセイを読んだ。
インド人の筆者の日本人通訳の女性に対する恋心?下心?が見え隠れしていて、なんだかゾワゾワする。
別にいいんだけど、女性の名前 मियोको(Miyoko) に合わせてニックネームを पियोको(Piyoko) にしてもらった、とかいう何も面白くないエピソードを読まされ、ドヤ顔の先生に反応を窺われるのが非常に嫌だった。
3限目の先生はなかなか来ず、来たと思ったら憲法の一節を読んだだけで授業が終了した。

こんな感じであったと言えるものかよくわからない授業が終わり、寮に帰った。
夕方ごろ友人たちと一緒に、日本にいるデリー大学への留学を考えている後輩たちへの説明会をzoomで行った。
ヒンディー語学科志望の後輩は既におらず、少し安心した。ただのネガティヴ・キャンペーンにならないよう心がけたが、それでも私の話を聞いてヒンディー語学科に入ろうと思う後輩はいなくなってしまっただろう。
話すために考えながら思ったけど、留学は本当に自分次第だ。
国際交流基金のボランティア、東アジア研究科の聴講、外部日本語学校でのインターン、駐在員さんのサークル活動への参加、日本語を媒介してもいくらでも活動の輪を広めることはできる。頑張れば就活だって資格勉強だってできただろう。寮で一日中ヒンディー語を勉強することもできたはずだ。
こんなに可能性があったのに、実力と勇気不足で日本人ばかりとつるんで、結局語学力も人間性も全く成長できなかった。
環境に責任転嫁して時間を無駄にしたのはこの私自身だった。それを強く再認識することになった。
勢いで帰国のフライトを予約した。明日から3月。残された時間くらいはしっかりやろうと思った。

♪ Renaissance / PUNPEE

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