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3月29日

渋滞に巻き込まれて一時はどうなることかと思ったけど、無事早めにコチの空港に着いた。
フライトの前に、Kizhi Biryani というバナナリーフに包んで蒸されたビリヤニと、フィルターコーヒーを頼んだ。
ビリヤニは今まで食べてきたのとは違って米の色は白いままで、味もそれほど濃くなくて美味しかった。コーヒーは、なんだかデリー大学の小汚いキャンティーンで飲んだのと同じ味がした。もしかしてあれはフィルターコーヒーだったのだろうか?甘くて、あまり豆の香りは感じられない。
お腹いっぱいで満足して搭乗ゲートに向かったら、バックパックをフードコートに忘れていることに気がついた。戻ってきた私を見てビリヤニの店のお兄さんたちがニヤニヤしながら手を振ってきた。恥ずかしい。
しかも戻ってきたら搭乗ゲートの番号が間違っていることに気がついて、走って大移動しなければならなかった。コチが楽しすぎたのか、完全に浮かれポンチになっていた。

これがフードコートのチェーン店で出てくるのすごい

なんとか飛行機に乗り、あっという間にバンガロールに到着。コチの空港に比べて広々としていて、なんだか洗練されている。こんなに短期間に何度も飛行機に乗るとは思っていなかった。
スーツケースの無事を確認し、外に出たら見覚えのある青年が紙切れを持ってこちらを見ていた。彼だ。急いで駆け寄った。
何が書いてあるのかと思ったら、"(私の名前) from Manipur” だった。完全にバカにされている。マニプールの人に失礼だ。
Ola で捕まえたタクシーはなかなか来なかった。やっと乗ったところで今回の旅の概要をようやく聞かされた。
彼のお姉さんがバンガロールに住んでいるらしく、つい先日ポンディチェリーまでのロードトリップをしようという話になった。その旅行にお姉さんの同僚、妹2人、彼氏、彼氏の同僚、知り合いの夫婦、友人、そして私が集まることになったのだという。
待て待て、登場人物が知らない間に増えすぎている。ただでさえ言語の壁があるのに、コミュ症の私がそんな大集団に馴染めるわけがない。

1時間ほどして、どこの誰だかわからない方のお宅に到着した。
見た目からしてわかったが、それなりに裕福な方のようだ。一軒家に大きな車が停まったガレージ、扉の向こうからは大型犬の声が聞こえる。
中に入るとやはり広々としていて、インドの富裕層の家ってこんな感じなのか〜と下品にもジロジロ見てしまった。
到着したのが夜中の1時だったが、3時には出発するから仮眠をとりなさいと寝室に案内された。また話と違う。そんな夜中に出発すると知っていたら、飛行機の中で寝てたのに。
軽く気を失った程度の仮眠を済ませ、グダグダして来ない他の参加者を待って、結局4時ごろに出発した。

車内は常に耳が痛いほどの爆音でヒンディー語の曲が流れており、全員が歌い踊り狂う。途中で人が増えるほど会話の盛り上がり方も勢いを増し、その曲は嫌いだのあの歌手がいいだのと大声で討論し始める。
眠たいのにうるさくてそれどころではない。船を漕ぎながらも上手く夢の中へ逃げきれず、地獄の爆音ナイトドライブが始まった。
本当にしんどかった。うとうとしているタイミングに限って話しかけてくる彼に、全部同じように聞こえる甘ったるい歌手の声に、それでもなぜか美しい朝焼けにさえも、イライラが止まらなかった。
半分ほど来たところで、屋外の大きなレストランで朝食を食べることになった。メニューがタミル文字で全く読めない。とりあえず無難にドーサを頼む。
美味しかったけど、もう疲労困憊すぎてあまり記憶がない。ただ、タミル・ナードゥ州特有の全身白い衣装をまとったおじさんたちの群れが印象的だった。

なんとなく「イドゥリ」はわかる
制服とかじゃないからすごい

再出発しても乱痴気騒ぎの威力は衰えなかったが、睡眠欲求がそれすらも凌駕するようになった。
寝て起きる度に窓から見える景色が変わっていく。赤と黒の旗を掲げたドラヴィダ進歩党の選挙カーとすれ違ったかと思えば、神様が適当にばら撒いたみたいな大きな岩だけでできた山が目の前に聳え立っていた。
高速で過ぎていく、名前のない村の、決して交わることのないであろう農民の一生を想像して気が狂いそうになる。日本だって同じはずなのに、インド旅行の移動中に見える車窓からの景色はいつだって、果てしない。
みるみるうちに人が増え、車が増え、建物が増え、気が付いたらポンディチェリーに来ていた。あんなにしんどかったのに、振り返るとこんなに簡単にまとまってしまうのが悔しい。

流石の大移動で疲れたのか、たどり着いた Airbnb でみんな昼寝して、しばらくしてから遅めのランチを食べにいくことになった。
ポンディチェリーは暑かった。コチと同じくらい暑いけど、日陰が少ないのが辛い。そして何より私は、疲れていた。
Canteen 18という小ぢんまりとしたカフェに10人で押しかけ、それぞれ一つずつハンバーガーを頼んだ。ベジノンベジ、パティの枚数などが調整できる親切な仕様だったが、店員を呼んでから何度も注文を変えて、一斉に色んな人が話して困らせていた。店員さんが気の毒で仕方ない。
この店では牛肉を使ったハンバーガーも提供していた。全員ヒンドゥー教徒だったけど、ごめんなさいと言いながら注文してる人もいて、宗教ってなんなんだろうと思った。
ハンバーガーは美味しかったけど、もうあまり覚えていない。オプションで大量に追加したくせに食べきれず残す知らないおじさんを見て、食材を無駄にする人間への怒りが沸々と湧いたのは覚えている。

その後有名なチョコレート屋さん ZUKA に連れて行ってもらったが、この暑い時にチョコレートを食べる気にはなれなかった。店内は可愛らしいと思っていたが、天井に大量に蝶の模型がついていて、気がついた時は悲鳴をあげそうになった。悪趣味だ。
その後はフランスの建築が残っているような、残っていないようなカラフルな街並みを散策。でも、暑い。暑すぎる。コチでは耐えられたのに、ポンディチェリーに来てから眉間に皺が寄り続けている。なぜか元気な他のインド人のペースに全くついていけなかった。
極め付けは買い物市。可愛い小物がたくさんあるのに、人混みと風通しの悪い空間で完全に具合が悪くなってきた。早く帰りたいと言っているのに、ちょっとだからと言うことを聞かず気ままに買い物するお姉さんたち。お腹が痛くなってきて泣きそうなのに、しつこくストリートフードを勧めてくる。全部気遣いからやってくれてることなのに、拒否権がないから逆効果である。

南インドってカカオ農園あるんだろうか
奥の方にはフランス語も書かれている
革製のバッグと貝殻のアクセが可愛かった
なんかホーチミンの市場を思い出した

22時を過ぎた頃に、酒を買ってビーチに行こうと言い始めたところで私は限界を迎えた。
お腹が痛いから1人でホテルに戻っている、と言ってその場を離れようとした。とにかくもうこれ以上この集団に耐えられそうになかった。
しかし揃いも揃って皆、私が1人でホテルに戻ることを許してくれなかった。危ないから、と言うわりに、私が帰りたい意思は全く尊重してくれない。
私は生理用ナプキンを買いに行きたかった。友人は一応男で、そんなことを言い出すのは気まずくて仕方なかった。たった数分、そんなことに友人に付き添ってもらうのは申し訳ないというか、こちらからしても恥ずかしくて迷惑なくらいだった。
白状した途端帰してくれたが、私はそれ以降恥ずかしくて、悔しくて、彼と口を聞けなかった。
そのまま部屋に籠城して、ポンディチェリー1日目が終わった。こんなはずじゃなかったのに。また生理前の情緒不安定のせいで、唯一と言ってもいい友人との関係をめちゃくちゃにしてしまった。女であることをやめたいと、これほど思うことはない。

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