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3月25日

結局あまり眠れずに朝を迎えた。早く寝ないといけない日ほど眠れなくなるこの天邪鬼な体と早くおさらばしたい。
朝5時になるとお母さんがムクっと起きて、強制的に全員起床。昨日の深夜1時に帰ってきたお父さんも起こされていた。インド人ってショート・スリーパーというか、早起き得意な人が多い気がする。
私以外みんなクルティーを着ていたのを見て、お母さんが黒レースののパンジャービー・スーツと、ビビッドピンクのサルワール・カシミーズを貸してくれた。それにモコモコした白いショールもつけて、なんだかバブリーな雰囲気。寝起きどすっぴんの顔にはどう頑張っても合っていなくて面白かった。

道とは思えないほど石やゴミが積み重なった道を行き、近くのお寺に到着。朝早くにも関わらず多くの人が参拝に来ていた。
靴を脱ぎ、床に手を触れその手で額に触れる。鐘を鳴らす人もいれば、鳴らさない人もいる。ディヤに火を灯し、お母さんだけが中に入っていく。頭の上に乗せたプレートから、グルという黒糖の塊やサフランの花を取り出して供える。
リシュケーシュで行ったお寺もそうだったけれど階層式になっていて、階段を上って同じことを繰り返す。そのお寺は केवल बाबा という地域の神様を祀っているとのことだった。
だんだん明るむ空をバックに写真を撮った。その後はお賽銭箱に数ルピーのコインを入れて、終了。ヒンドゥー教寺院の参拝の仕方はよくわかっていなかったので、間近で見られて面白かった。

帰ったらチャーエ・タイム。
家庭で茶葉から淹れる様子を見たことがなかったから、これまた面白かった。たっぷりのお砂糖とカルダモンを少々。牛乳は追加したけど、生姜はストック切れで無し。
Fan というクロワッサンみたいなお菓子を浸して、ボロボロ溢しながら食べる。落ち着く味。それ以外にも色んなお菓子があったけど、名前は覚えきれなかった。
寛いでなさいよ、と言われたけど、ちょっとだけ料理のお手伝いもした。ニンニクの皮剥きくらいしかできなかったけど。実際に見てみて、いかに手間をかけ、いかに贅沢に具材を使って作っているのか、再確認した。流石に祭日で客人を招いているから普段よりは豪勢なのだろうけど、毎日こんなに大変な準備をしているのかと驚かされる。
そっちではファストフードが多いんだろう?向こう側の暮らしは全部が速いからな、とお父さんが言っていた。インドがのんびりしすぎてるんじゃないか?と思わないでもないけど、たしかにあくせくしてばかりの日本の生活を今から憂いている自分もいる。

お父さんのアーグラー土産のपेठा も

ホーリーのお祭り騒ぎが始まったのは10時くらいだった。
少し寝てお昼ごはん食べてからやりなさいよ、と言われて、昼すぎまでは外に出してもらえなかった。
スマホいじってケーララのことを調べている間に寝てしまい、起きたら先ほど切ったカリフラワー、ナス、ジャガイモ、ホウレンソウが揚がって、パコーラーになっていた。
美味しい。軽く揚げたのをさらに衣をつけて揚げてあるからかなりギルティだけど、なんとなく食べるのをやめられない。
上の階に呼ばれて行くと、妹ちゃんがほっぺたに色粉をつけてくれた。「ハッピー・ホーリー」と言いながら軽くつけられただけだったから、これならそんなに汚れずに帰れそうだと思った。

カリフラワーやけに美味しい

しかし本番はその後だった。
服を着替えるように指示され、屋上に行くと見知らぬ近所の子がどんどんやってくる。最初は丁寧につけていたのが、何かの拍子に頭から全身にぶち撒けられるようになる。ユニクロの白Tはあっという間に見る影もなくなった。
そしてさらに、隣の家の屋上から水風船が飛んでくるようになる。インド人の子供、エイムが良い。年上とか外国人とか関係なく、容赦なく投げてくる。
しまいにはお父さんが登場して、バケツに貯めた色水を勢いよくぶっかけてくる。というかお父さんが誰よりもエンジョイしてた。
隣の家のかわいい坊主のことをビシバシと叩き、色粉を一袋丸ごとかけてやる。日本でやったら虐待だと炎上するだろうけど、今日ばかりは何をやっても許されるらしい。頭を空っぽにして馬鹿みたいにはしゃぐのも、時には必要なことのように思えてくる。
用意していた粉がつきて、昼過ぎにお祭り騒ぎはぬるっと終わった。あんなに暑いのに、水をかぶるとだいぶ寒い。すっかりタイダイ染のようになったTシャツを着替えて、子供のように疲れて眠った。

お父さんが黄色の粉ぶちまけた瞬間
暑くて猫ちゃんが涼んでた

次に起きた時には、お母さんがムルガー(鶏肉)の煮込み料理を用意してくれていた。
首を刎ねたばかりの新鮮な鶏肉は驚くほどジューシーで、お腹がいっぱいなのに食べるのをやめられなかった。付け合わせにはタンドゥーリー・ローティーをくれた。
もっと食べるかい?と何度も聞かれたけど、これ以上は無理!というところまで食べさせてもらえたので、必死に断った。
友人が翌朝早くに予定がある関係で、夕方にはお暇することになった。
寝て食べて遊んでまた寝て、まるで赤ちゃんのような生活だった。帰り際もお菓子を大量に持たせてくれて、バイクに3人乗りでリクシャーの停まる場所に連れて行ってくれた。なんというホスピタリティ。
またインドに来る時は必ず連絡してね、とお母さんにハグされて、あまりにもあたたかくて泣きそうになった。
やっぱりデリーは嫌いだと思っていたけど、なんだかんだ思い出の多い場所だから、またいつか戻ってこようと思った。

捌きたてでジューシー…

駅から寮への帰り道は、いつもの喧騒からは想像がつかないほど静かだった。どこの店のシャッターも下りていて、いつものアイスクリームを売り歩く露店もない。油断してたらどこからともなく水風船が飛んできて感動も吹き飛んだ。
しかし寮に帰ってきて目に入るものの多くが「今日で最後」なのを確認して、また不思議な気持ちになるのだった。半年しかいないのに、いつまでもここで暮らしていくような気がしてきて、ちゃんと生活していたのだな、自分の場所になっていたのだな、と感慨深かった。

カラフルなゴールデン・レトリバー

しかし感慨に浸っている場合ではなかった。
大学からのメールで休学手続きを進めていないのに気づいたのである。一先ず各所に連絡したが、〆切が31日で原本を提出しないといけないとのこと。
先生に許可をもらい、母の元に郵送し、日本の大学に提出してもらう一連の作業を期日までに終わらせるのは絶望的だった。
やり残したデリー観光でもしようかと思っていたのに、朝イチでコピー屋に行ったりメールを送ったりしなくてはならなくなった。そういえばヒンディー語の試験結果もまだ届いていない。最後まで自分のだらしなさに辟易することになった。

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