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ペートがカラーブなう
一昨日から原因不明の断続的な腹痛に悩まされており、デリーでの日々について思い出すことが多くなった。変な話だ。実際に向こうでお腹を壊したのはせいぜい3回程度。私は元々過敏性腸症候群の気がありお腹が丈夫な方ではない。3回で済んだのなら少ないほどだ。が、ぎゅるぎゅると蠕動する下っ腹をさすっているとインド留学中のなんてことないエピソードが沸々と浮かび上がってくる。
デリーで最初の腹痛は、渡印してすぐのことだった。これが俗に言う「ウェルカム・シャワー」か…!と、痛みに悶えながら少し感動したのを覚えている。単身赴任でインドを経験した父親の数少ないインドエピソードのなかで、その単語だけは記憶に刻まれていたからである。2回目はラージャスターンの旅行の前日くらいから、旅行が終わるまで続いた。暑かったのもあるが、トイレにこもっている時間が多くて旅行を満喫できなかったのが悔しかった。3回目は日本人観光客にも有名なレストランで舌鼓を打った直後。同行した人たちは調子を崩していなかったからこのレストランは関係ない、関係ないと思っても次行きたいとは思えない。あんなに美味しかったのに。この時が1番酷く、夜通し吐き続けた。間に合わず部屋で戻してしまったそれを、勉強のために買ったヒンディー語新聞で処理しているときの惨めさと言ったら、今思い出しても泣けるほどだ。
お腹が痛いというのは、どうしても情けなさが付きまとう。頭や喉が痛いときは薬を飲んで静かに耐え忍ぶが、お腹が痛いとき、日本人である私すら、トイレの個室から狭い天井を見上げ神に祈る。「助けてください」「お許しください」。インド人はお腹を壊した時にヒンドゥーの神々に祈るんだろうか。しかしインドとなるとその個室も長時間こもっていられるような安心感はない。デング熱を運ぶ蚊が飛び回り、トイレットペーパーの代わりに使った水で便座はびしゃびしゃだ。むしろ「早くここから出してください」と追加でお願いしなければいけない状況になる。あまり意識していなかったが、日本の個室トイレは情けない姿でいても平気なほど安心できる本当の意味でのプライベート空間だったのだ。
最近は気が散るのと病むのでInstagramを消しているのだが、久しぶりに見たらインド人のクラスメイトのストーリーで面白いのが流れてきた。何か人気の展覧会に行っている他の人のストーリーを見て嫉妬しているという内容らしい。"i hope tum logon ka paet kharab ho jaye”(あんたらの腹が下りますように)。日本の「タンスの角に足の小指ぶつけますように」といったところだろうか。英語の ” I hope ~.” の構文と組み合わせて使ってるのも面白いし、足の小指の痛みと比べると結構酷じゃないか?
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ストーリーといえば、インド人はInstagramの使い方もクセが強かった。どうせ二度と会わないような人でも、すぐ連絡先を聞いてくる。その時聞かれるのがWhatsAppかInstagramで、一回交換するとどうリアクションしていいのかわからないリール動画がひっきりなしに送られてくる。最初は短く「面白いね」と返信していたのが👍に変わり、それすら付けず既読無視をすると諦めたのか連絡が途絶える。こういうのを無視せず逐一反応していたら友達ができたんだろうか。いや、そんなことはないはずだ。そもそも自分からメッセージをしなかった時点で、相手との交流を望んでいなかったのは私なのだ。
インド人の中でも特に日本語学習をしている人たちに顕著なのが、二次元っぽいかわいい女の人が意味の通じないセリフで話している動画、日本の映えスポットが感動的な(しかしミスマッチな)アニソンと共に次々に紹介される動画、そして日本人が下ネタを聞いたときの反応を楽しむインタビュー動画を好む傾向である。はっきり言って、キショい。ちょっとサブイボが出てしまうような動画にいいね!している人がわりと、いる。それを見つけるたび、あぁ、この人も…とがっかりしてしまう。もちろん日本人もインドに対してかなりのステレオタイプを抱いており、私のこの記事も向こうからすればそういった「イタさ」の一部なのだろうが、私は未だにこのインド人特有のSNSの使い方の部分に馴染めない。
一方で、この「イタさ」に寛容な社会は、私のような生きている時間全てが黒歴史の人間には非常に住みやすかった。ストーリーで自撮りをあげ、誰かをメンションすることに一切の躊躇がない。街中で出会った人にインド門周辺を一度案内してもらったことがある。肝心のインド門の前での記念撮影の際、私が撮った写真は酷評された。私たちの顔が陰になっていたからだ。たしかにそれは良くないと思い、彼女に撮り直してもらった写真にはインド門が写っていなかった。顔をしっかり加工して、「イマイチだけどこっちの方がマシね」と、最終的にそれが採用された。どこまでも自分が主人公である。それを見て笑う人はいない、いや、こうして文字に起こす私くらいである。ストーリーで政治的なメッセージを発信する人も、自分の描いた絵や鍛えた筋肉を自慢する人も大勢いた。そういう社会だったから、私のイタイタしさなんてかわいらしいものだった。
こうしてデリーでのヘンテコな日常の断片が急に思い出されるのは、腹痛のせいだけではない。私にとっては寒いデリーの方が体感では長かったから、この乾燥した空気がいつか見た朝靄の中に光る孔雀の羽の青さや、牛やリクシャーと並走した通学路のざわめきを思い出させるのだ。現地では今頃ディーワーリーで、大気汚染が一層酷くなっているだろう。今年も人工雨を降らせているんだろうか。なんだかもう一年経ったとは思えないほど色濃く、一方で変な夢でも見ていたんじゃないかと思うほど現実味のない、不思議な時間だった。また行きたいかと聞かれたらすぐには首を縦に振れないし、私はいわゆる「インドに呼ばれる」側の人間ではないと思う。パスポートも財布も失くしてるし、犬にも猫にも噛まれてるし、普通にサバイブ能力がなさすぎる。上に書いているようにインド人の感覚には全く馴染めなかった。だけどやっぱり記憶の中のデリーの日常は、どう考えても面白かった。贅沢な話だが、毎日何の不便もない東京の生活はあまりに味気なくて、やっぱりあの日々が、ほんのちょっとだけ、恋しくなる。