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集合的自意識

大学の近く、つまり家から2時間かかるバイト先で労働を終え、日付が変わる前に帰りたいなと思って賄いのカレーを遠慮し、電車に乗ったら今日はそういえば祝日ダイヤで、ぼんやりしていたせいで最寄りの一駅手前までしか行かない電車に乗ってしまい、不意打ちの冷たい秋の夜風に吹かれ、いつも通り着てきた半袖からのびる腕に鳥肌を立てながら、お腹を空かせて家まであと1時間歩かなくちゃいけない私がこれを書いている。

そもそも2時間かけてバイトに行っているのがおかしい。家の近くに条件の良い職場がなかったし、秋学期が始まったら大学の終わりに寄れるような場所が良いと思ったし、何より扱っているのがインド料理で日本人オーナーという願ってもないお店だったから、それなりに理由があって選んだのはたしかだ。しかし蓋を開けてみれば交通費で1時間分の給料がなくなるし、飲食バイトできる器用さは私にはなかったし、案の定店長に嫌われて今日も目の前で悪口を言われるし、週一しか入っていないからビリヤニの作り方はわからないまま。はっきり言って行くだけ無駄である。

あ、歩きながら書いたり消したりしてたら家に着きました。途中ミニストップで北海道じゃがいものコロッケを買った。ホットスナックはきっととっくに廃棄処分されていて、唯一夜勤の店員さんの手を煩わせずにつまめそうなのがそれだけだった。お惣菜コーナーにポツンと佇むその姿に謎に同族意識が芽生えて買ったはいいものの、全然温かくなくて、口の水分を奪われて、買わなきゃ良かった。休学中にだいぶ太ったことを「クロップド丈」ではない服なのに動くと若干のぞく自分の腹を見て思い出した。コロッケに、世界中に笑われている気分だ。

でも今夜は涼しくて良かった。久しぶりにタバコが吸いたくなった。こういう二ヶ月に一回くらいの最悪な夜は酒を飲むか、タバコを吸うかのどちらかをして、もっと最悪な気分になってから寝る。昨日は恋人が好きな日本酒を飲んだ。あまりおいしいと思えなかったし、おかげで今日はずっとお腹の調子が悪かった。タバコを吸ったら喉がイガイガして、文化祭で楽器吹くことを思い出して後悔した。一本目は「山二つ」というバンドの曲の歌詞を聞き取りながら吸った。何も意味がわからないのに今の感情に何かリンクしてる気がする深夜にありがちな体験をした。睡眠不足による判断能力の低下だ。二本目は一昨年のクソみたいな恋愛を思い出しながら吸った。

三本目は「◯んこ」ついて考えながら吸った。
今、読んでる人は◯にどんな字を当てはめましたか???!!!なんで女性器と男性器はおろか排泄物すらも「◯んこ」の呼び方をもつんだろう。語源を調べたらめちゃくちゃ諸説ありで、判然としなかった。よく考えたら全部漢字では書かないし、人体の下半身を連想させるものだ。「◯ん"子"」なのかもしれない。日本語っておもしろーい(笑)これを真剣に研究してイグ・ノーベル賞を受賞する自分をなるべく鮮明にイメージした。早く風呂に入って寝た方がよかった。

変にカフェオレなども飲んでしまったせいで、いよいよ眠れない。抜き足差し足忍び足で寝静まった我が家に侵入し、空っぽになった旧・父親の寝室で寝転びながらここまで書いた。妹か弟に取られないうちにちょっとずつ私物を移動させて「私の部屋」にする計画を水面下で進めている。リモートワークのためと言って奪われたIKEAの真っ白でかわいい机も取り戻した。父親がいなくなってもう一週間が過ぎようとしているが、何も変わらない。その事実が、彼がずっと前から家族にとってATMでしかなったことを裏付けていて、悲惨だがもはや面白い。

このまま9月分の振り返りもしちゃおう。


・Sphery Rendezvous @ベルーナドーム
※ややセトリのネタバレあり

母がBUMP OF CHICKENのオタクで、知らぬ間に私の分もチケットをとっていた。数年ぶりのBUMPは、もう眩しくて眩しくて、ちょっと寂しいな、なんて思っていたら『レム』のイントロが聴こえてきて、「生まれた事を恨むならちゃんと生きてからにしろ」なんて歌われてしまったものだから、泣くしかなかった。藤くん、というかBUMPの藤原、の書く詞は厳しいように見えるけど、宇宙と同じかそれよりデカい愛が奥にある感じがする。どんだけ曲調やファン層が変わっても歌っているメッセージの根底にあるものや曲間MCのメンバーのゆるーい雰囲気は変わってなくて、それがわかって安心した。

ただし!ベルーナドームは音楽をやるところではない!!とんでもなく立地が悪く、ドームなのに熱気がこもる分野外より暑く、外から鈴虫の声が聞こえてくる。面白かった。また勝手に母が応募して当てたので、12月東京ドームでもう一度聴けるらしい。その時はもっといい音で聴けると思うと、まぁ今年もなんだかんだ生きてしまうんだろう。


・中学時代の同級生と花火 @湘南の海沿い

って書くと "エモい" 感じだが、風が強すぎて手持ち花火に火をつけるのにも一苦労で、写真が一枚も撮れなかった。既に社会人として働いている人もいて、友人の友人には既に子供がいるという噂も聞いて、おったまget downだった。私はいつまでこの調子でいられるんだろうか。同年代が集まるところである学校に通い始めたら、ゼミの教室がある講義棟の8階から飛び降りたくなってしまいそうだ。

・相変わらずオモコロチャンネルばかり見ている。でもちょっとコメント欄がこわい。こんなに面白くない人間は見ちゃいけないチャンネルなのかもしれない。品田遊の本を2冊買って、まだ読めていない。

・一日一時間、日本語教育能力検定試験の勉強をするようになった。そもそもなんで勉強しているのかわからない。簿記とかTOEICとかの勉強にすればいいのに、就活の逆張りオタクなのでそういう王道の対策はしたくなくて、でも保険はかけておきたくて、教科書を衝動買いしてしまったのだ。教科書代一万円と受験料三万円を人質にとって初めて勉強する気になったはいいものの、試験は一ヶ月後である。今年の合格は既に諦めている。自分が何を目指しているのか、最近というか生まれてからずっとわからない。

カメラロールを遡って、目立ったイベントが(ここに書いてもいいと思うものは)上二つしかなくて、映画も一本も見てなくて、書くことがもうなくなった。振り返る価値もない月だった。死ぬ時も「振り返る価値のない人生だった」と思うんだとしたら、振り返る暇がないほどざっくりと死にたい。

タイトル「集合的自意識」にしたからそれについて書こうと思ったけど、単純に語感で決めたのでこじつけられなかった。強いて言えば、SNSは「集合的自意識」という言葉がピッタリで、このnoteという媒体もその一つだと思ったことくらいか。集合しているのに、どこまでもわからないしわかりあえない。けど発信して集合し続ける。一つのプラットフォームに留まっているだけで、実際には何のつながりもないことを感じる。

今月はよくYouTubeでチック症の少年のチャンネルを見た。青葉真司の主治医のインタビューを見た。インドの結合双生児のドキュメンタリーも見た。そうすることで考えた気になって許された気がして、翌朝には忘れた。『ラストマイル』を観てから、数時間おきにヤマト運輸のドライバーさん、Amazonの工場の作業員さん、シングルマザーのことを思い出して忘れる。同時にフワちゃんが今何してるのか気になったり、滝沢ガレソの謝罪ポストとアミューズの公式声明とか見たりもする。全部を考えた気になって、結局情報をものすごい勢いで消費しているだけで、最後に無力感だけが残る。同じ地面の上で、同じ空の下で生きているのに、結局それは同じ地面の上で、同じ空の下で生きているだけ。私たちはこうも違う。果てしなくてやるせなくて、どうでもよくなって、また眠くなってきた。

イカが入ってて臭かった(美味かった)
下北沢にたくさん落ちてるハト
内側に誰かいそうな雲
ライタの食べ方が未だによくわからない
シナモロールの希死念慮
今度こそタミル語を習得したい
1人だけ顔あって怖い

♪ キェルツェの螺旋 / the cabs

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