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5月27日〜5月31日

帰国してからずっと遊び呆けていて、日記を完結させるのを先延ばしにしてしまっていた。もう記憶が曖昧だけど、せっかくなので記録しておく。


5月27日
・自律神経がイカれたせいか、授業中に目の前が真っ暗になって呂律がまわらなくなった。健康だけが取り柄なのに。どうにか教室から脱出して水を飲んでうずくまっていたら落ち着いた。だらしなく生きるのは他人に迷惑をかけるからダメなんだなと思った。

・1番勉強熱心で優しい学生が「天上天下唯我独尊」と書かれたTシャツを着ていた。これだから私は文字が書かれた服を買わないようにしている。

・夜、校長先生が私のために小さな集まりを設けてくださった。「お別れ会」だと死んだみたいだし、「壮行会」だとこれから留学するみたいで、この会の適当な名前がわからない。Fabindiaで服を2着もプレゼントしてもらい、ホテルの屋上からチェンナイの夜景を眺めながら豪華なディナーをいただいた。自分がこれに見合う働きをできたとは全く思えないが、ここでインターンをすると決めた自分は褒めたたえたい。

白いのは演奏会で着たい
高いビルが多くなくて良い

5月28日
・アッカが私の好みに合わせてウプマを作ってくれた。インターン先に来てから、週に一度ほどこれが朝食に出る。プチプチとした食感が心地よい。かるく黒糖をかけて味を調節して食べるのが好き。結局タミル語は微塵もわからないままだったけど、身振り手振りでとるコミュニケーションが成立した時の喜びは、言語を介したときのものとは別の良さがあると気づけた。

・映画 “Baby Driver” を観た。1時間半ずっと音MADみたいだった。ちょいやりすぎ感があるけど。銃声や爆発音って耳心地がいいし、視覚的にも爽快で、実際の行為の残虐さとの乖離がシュールで面白かった。

タイトルの収まりが良い

5月29日
・「帰国日、日本に台風が上陸するから飛行機飛ばない説」が浮上した。結局普通に飛んだけど。トランジット先での過ごし方を全く考えていなかった。言葉の通じない異国に1人取り残されるの怖いだろうな、と思いつつ、インドで1年近く生活したんだから大抵のことは何とかなるだろうという自信はあった。これこそがインド留学最大の収穫かもしれない。

・最後の授業。教科書の内容は一通り終わったので、自作のパワポで復習をした。いらすとやさんの汎用性の高さに感激した。このパワポを夜通し作っていた時間、インドに来てから1番アドレナリンが出ていた気がする。上手下手はさておき、口頭で説明するよりも文章や図に情報をまとめる作業が好きだと気が付いた。

・授業後、「天上天下唯我独尊」Tシャツの彼がプレゼントをくれた。クレヨンしんちゃんのマスコットに韓国語で書かれたロゴがついている怪しげなストラップだった。値札ついてたし。英語で書かれた手紙には、「この前の授業、倒れかけてたのに最後までやり遂げていて尊敬した」と書かれていた。これがジャパニーズ・サムライの精神だと勘違いされてないといいが。末尾には「ありがどうございました」と日本語で書いてくれていた。惜しい。

クレヨンしんちゃんの映画観たい

色々ツッコミどころはあったが、私なりに授業をやり遂げた事実を実感し、1人でもそれが学生に伝わったことがわかって嬉しかった。勉強頑張って、是非とも日本で天下をとってほしい。

・日付が変わってからのフライトだったので、夜ごはんを食べてから空港まで送っていただいた。結局インターンに来てから日本食を全く消費しなかったので、要らないものを渡したら校長先生のご子息にひどく喜ばれた。空港までの道で、 "BRASSED OFF”(邦題『ブラス!』)という映画をお勧めしてもらった。観ようと思って、まだ観れていない。

5月30日
・朝、シンガポールに到着。デビットカードを紛失したことに気が付きプチパニックになったが、父親のクレカを使って難を逃れた。入国審査があると聞いていたけど、看板通りに進んでいたら知らぬ間に市街地に出ていたので、不法入国者だったかもしれない。標識には必ず英語、中国、タミル語が使われていて、辺りを歩く人も見慣れた顔つきだった。

・これと言ってやることも思いつかなかったので、とりあえずマーライオンを見に行った。すぐにマリーナ・ベイサンズが目の前に現れた。これを設計した人、思いついた時気持ちよかっただろうな。例の像は噂通りショボくて、そこに群がってオモシロ記念写真の撮影に勤しむ観光客をよそに、私はその後ろのハリボテみたいな高層ビルにばかり目が行くのだった。どんより曇ったシンガポールの空に伸びるそれらはこれから待ち受ける労働生活の象徴で、これから先生きてていいことあるのかな、と絶望的な気持ちにさせた。

正面から見たら相当マヌケだった

・コンビニに陳列されているストロングゼロを見て、もう日本じゃん、と思ったが、少しでも異国感を味わうべくチャイナタウンに向かった。ジャックフルーツだったか、通りに並ぶ青果店の前は独特な青臭さがあって気持ち悪くなった。よくわからないまま歩いていると珈琲博物館という店にたどり着いた。Kindleで『珈琲の世界史』を読みながらアイスコーヒーを飲んだ。世界史が苦手すぎて半分も読めなかった。

オタクの懐古趣味って世界共通

・その後は『サタデー・ナイト・フィーバー』のサントラが流れる観光客しかいない店で、とりあえず「シンガポール」が商品名に入っている麺類を頼んだが、あんまり美味しくなかった。大人しく中華料理を頼めばよかった。アサヒスーパードライで無理やり流し込んだら、また気持ち悪くなった。この辺りから虚しさが最高潮に。空港に戻ってもやることがないので、ふらふらになりながらリトルインディアに向かった。

1人だからか店員さんに怪訝な顔された

・リトルインディアの辺りに行くと、道行く人はクルターを着ているし、タミル語を話している。でも牛はいないし、クラクションは鳴らさないし、ゴミが落ちていない。ニセモノだ、と思った。たまたま期間限定でカターカリの展示をやっている博物館を見つけて、入ってみた。英語の文は読んでもうっすらとしか理解できないけど、やっぱりケーララってインドの中でもちょっと異端で面白い。

カターカリダンスはもう一度観たいな

・シンガポールのチャンギ空港には、世界一大きい屋内噴水がある。建物の中をリニアモーターカーが通る。たしかに綺麗だし近未来的だったけど、正直金の匂いがして好きではなかった。マリーナ・ベイサンズもそうだ。デザイナーの頭の中を金の力で丸ごと再現した結果、そこに人間の生活が見えてこなくて不気味な建築が多かった。そして国としてのアイデンティティのようなものが感じられなかった。「シンガポール」を定義づけるのは難しい。リトルインディアもチャイナタウンもあるけど、インドでも中国でもない。かと言って「シンガポールらしさ」はそれ以外に見出せない。ずっと悪い夢を見ているみたいだった。

無印もハンズもあってここはほぼ日本

※ここまでアンチ・シンガポールな文章になってしまったのは、そこに行くまでのフライトでインド人が一晩中騒がしかったのと、やたら天気が悪かったせいだと思う。あと、お金があったらもっと楽しい国に違いない。資本主義。

5月31日
・『ゴッド・ファーザー』を観てたら寝落ちして、気が付いたら日本だった。朝の成田空港、インド人が多くてヒンディー語が聞こえてくるものだから、間違えてインドに帰ってきたかと思った。生憎の天気なうえ、節電のためか薄暗い空港はディストピア感があった。2ヶ月ぶりに恋人に会って、とりあえずローソンで菓子パンを買った。美味い。その後はサイゼリヤに行った。美味い。安心した。電車に乗ってる外国人がやたら多く感じるし、何もかも値上がりしているのにはうんざりしたが、ネットでずっと日本の情報に触れていたからあまり驚きはしなかった。

・最寄駅から家までの道、生前祖母と仲がよかった近所のおばあさんに話しかけられた。だいぶボケが進んでいるようで、私がその祖母の孫だと気が付いていないようだった。「聡明で快活な人だったのよ。ここら辺の人はみんな尊敬してた。亡くなる直前に会ったとき、顔が灰色になっていたのを忘れられない」と言われた。自分が話したことを憶えていないのか、同じ話を何回もされて、15分くらい引き止められたので流石に参ってしまった。老人ホームで職場体験した日のことを思い出した。でも祖母が誰からも愛された人だとわかって、誇らしかった。

・帰ってまず、仏壇に手を合わせた。線香のあげ方がわからなくて、自分で自分が嫌になった。遺影の中の祖母はだいぶ若くて、最後に見たのとは別人のようだった。やっぱり帰国して最後を見届けるべきだったと思いつつも、癌に蝕まれて弱っていく姿に向き合う勇気が私にはなかった。ごめんなさい、ただいま。

・家にはリモートワーク中の父親と金髪になった妹がいた。妹はこちらを見向きもせず、おかえり、と言った。父親は、留学前は全く口を聞かなくなっていたのに、インドに単身赴任していたせいか、同じ境遇を味わった私の話をやけに聞きたがった。今なら父親の苦労に少しは共感できるし、帰国後家族の誰にも歓迎されなかったことには同情する。リモート会議の画面からはインド訛りの英語が聞こえてきて、本当にこの人もインドで暮らしていたのだなとようやく実感をもって理解した。

・飼い犬は誰にでも懐くので、私のことを覚えているのかはわからなかった。散歩に連れて行って近所を歩いて、ああ、帰ってきたのだなと思った。駅前のパン屋が潰れていたり、空き地にインド系の顔立ちの人が家を建てようとしていたりした。そのうち弟と母も帰ってきて、一緒に和洋折衷な夜ごはんを食べて、やっぱり日本が一番好きだなと思った。


別に日記を書き続けて得たものは何もなかったけど、一つ自分の中で決めたことをやり遂げたのはよかった。インドでの生活はまあ大変なことも多かったけど、想像よりは普通だったし、一生のネタになるエピソードもたくさんできたし、総じてオモロかったからいいか、となった。一旦、この留学日記はここで終わり。これからも不定期で、インドに関すること、全く関係ないこと、気が向いた時に書こうと思う。

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