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3月22日

旅行が終わってからすぐに試験で、気が付けば1週間以上日記を書くのを忘れていた。
いや、頭の片隅にはいつもあったのだけれど、先延ばし癖がひどすぎて、後になるほど書く気をなくした。
留学期間中に唯一継続出来ていることだったはずなのに、終わるときはあっけなく終わるものである。

今朝は6時半くらいに巨大な毛虫に囲まれる悪夢を見て飛び起きて、二度寝したら今度は血まみれの熊に追いかけられて目が覚めた。朝ごはんは食べ逃すし、喉と頭は痛いし、体がとにかく重い。私が何をしたというのか。
布団から起き上がれずスマホを見ていたら、深夜2時にクラスメイトの女の子から送られてきた長文メッセージがあった。
ヒンディー語とGoogle翻訳の日本語の両方で書かれた文章には、送別会の後で2人だけで会えないか、私はグループで会話するのが苦手だ、という旨が懇切丁寧に書かれていた。

正直最初は何をされるんだろうと疑ってしまったが、文章を読み込むうちに彼女の切実さと自信の無さにいたく共感した。
私もヒンディー語や英語は知っているけど話せないし、複数人での会話に混ざるのは苦手だ。彼女も控えめな性格だから教室でもあまり話したことはないし、日本語もできないわけじゃないが話すのは不得意のようだった。
それでも最後だからと会おうと思ってくれたのが嬉しかったし、たくさん悩んで送ってくれたのが文面から伝わってきて、その勇気を無下にはできないと思った。
とりあえず14時過ぎにまた連絡するということになり、とりあえず先約のミニ送別会に行った。

「ミニ」という言葉をつけたのは、想像以上にそれがささやかなものであったからである。
4人来るはずだった参加者は2人に減っており、しかもそのうち1人の友人と日本から旅行で来ている同大学の後輩(私も会ったことない)との初対面を見届ける、というよくわからない展開だった。
普通に金曜日は本来授業日なので、皆予定は空いているはずなのだが…。昨夜の時点では来れると言っていた子は、大学まで行くのがだるいからやめにしたとのこと。

急に決まったことだったし、ホーリーなので帰省や旅行で皆忙しいのを加味しても、あまりの人望の無さに悲しくなった。
これが私の半年の留学の成果か、と答え合わせするような感覚だった。
真っ先にそういう被害妄想をしてしまう時点でこうなった理由は明らかだが、もちろん来ようとしてくれていた子がいたこと、実際に来てくれた2人がいることには感謝している。実際すごくうれしかった。

この前のインド門ピクニックで教わった通り、1人がホーリーの時に食べるというグジヤーという甘いサモサ的なものをくれた。
日本に持って帰るか?と聞かれたが、帰国自体は5月である。何度説明してもわかってもらえない。インド人大学生にとって私の行動は不可解に違いない。あと普通のご飯もくれた。
その後友人の友人が合流。要するに知らない人。Department of Hindu という新しい学部の学生で、着メロがクレしんのヒンディー語版だった。

マンゴージュースを飲みながらその彼と話していたら、突然知らないおじさんが首を突っ込んできた。
ヒンディー語の起源はどこだとか、中学校で習うような日本の地理についての話とか、色々熱く語ってくれた。
専門は理系らしいけど、とりあえず知識をひけらかしたいタイプのようだった。
私はさすがおしゃべり大好きインド人、面白いなと思って聞いていたが、友人らは途中から相槌のヴァリエーションが底をつきて顔が死んでいた。

逃げるようにキャンティーンに移動して軽食をとりながら話していたら、お世話になった日本語のクラスの先生2人とお会いした。もう会えないと思っていたので、軽くでも直接あいさつできてよかった。
顔がピンクや緑の粉まみれになった大はしゃぎの学生を見ながら、「ホーリーの前の大学は毎回こうなんです。私たちにはどうすることもできません」と遠い目をして日本語でぼやいていた。これからも頑張ってほしい。
その後はデリー大学の公式グッズのお店に行った。ロゴ入りマグカップとかパーカーとか、絶妙に欲しいけど要らないものばかりだったけど、餞別の品ということでペン立てをもらった。日本でマウントとるのに使おう。

件の後輩さんは交通渋滞に巻き込まれており、来たころには14時半になっていた。
次の予定があったので、話したのはほんの一瞬だったけど、その数分でわかるほど、彼は私よりヒンディー語がペラペラだった。
留学していない後輩の方が話せるなんて、情けなさすぎて恥ずかしすぎて、死んでしまいそうだった。
友人と後輩君は語学系のアプリで知り合ったそうで、こうやって自分から学んだことをアウトプットしようとする姿勢が大事なのだと、逆に教わる事態になった。
結局ほぼ入れ違いになり、「初めまして」と「元気でね」が交差するカオスな状況になってしまった。思っていたのと違った最後だったけど、まあ面白かったからOK。

みんなとちゃんとお別れしたかったな

ドタバタだったが、なんとか無事に後輩さんと友人の初対面を見届けられたので、次の約束に向かった。
メトロで Jor Bagh まで行って、そこから徒歩数分で来たのが Safdarjung Tomb。
あまり聞いたことのない名前だったが、ジャーマー・マスジッドとタージマハルを足して2で割ったみたいな大きな霊廟だった。
ここでも例によって外国人料金を取られるのだが、友人が代わりに2人分買ってくれた。警備のおじさんに止められ "आपका नाम?" "आप कहाँ se हो?" と言われたたけど、「マニプール出身です」と言い張って入場した。

デリーの良いところは、お金さえ払えば自然豊かで広々とした公園がいくつもあるところかもしれない。しかも数百年前の建築物が間近で見られる。この時期はガーデニングも行き届いていて、カラフルな花が青い芝生に映える。
夕方にライトアップされるというので、何時間もゆっくりと園内を見て回った。
ガイドブックにはあまり載らないところだからか、人も少なく快適に過ごせた。地元民より欧米系の方が多かった印象。

霊廟の中はひんやりと涼しかったが、日差しがとても強い日だった。写真を撮っているときに水分不足か貧血か、急に目の前が赤とも黒とも言えない色に浸食された。
大したことではなかったが、そのせいで1時間ほど、ベンチで横になっていた。その間友人が幼少期の話、家族の話、色々なことを話してくれた。意見を求められることもなく、ただ聞いているだけでいいのが心地よかった。話すことのプレッシャーがないのはありがたかった。

その後は孔雀を見に行った。
霊廟の裏の茂みにたくさん棲みついているらしく、猫のような高い声が時々聞こえてきた。言われてなかったらこれが孔雀の声だとわからなかっただろう。
建物の上に止まっている個体を眺めながら、重たそうな羽を広げるのを待った。インドに単身赴任していた父が急に送ってきた、羽を広げた孔雀の写真を見て、凄いところに住んでいるのだなと妙に感心したのを思い出す。
カメラを持った他の来場者が近づきすぎたせいでなかなか見せてくれなかったが、遠くからその羽を広げてくるくると回るのを目撃できた。
待っている間は彼女が好きな音楽を聴かせてくれたり、可愛らしいピアスをプレゼントしてくれた。途中トンビに襲撃されたりもしたけど、穏やかな時間だった。
ライトアップされた霊廟を少し見て、夕食を食べにレストランに向かった。

天井の模様いつも撮っちゃう
でかめのトカゲ
🦚
友人の指導後に撮った

夜ごはんは Karnatic Restaurant で食べた。以前来た時はTVにも出ている有名人もいたという人気店らしい。
友人の勧めで、Bombat というドーサを食べた。Sarvana Bhawan のドーサよりも小さいけど分厚くて、味付けもまた違ったおいしさだった。
帰り道、アイスを食べながら駅まで歩いた。
彼女は物静かで沈黙が続いたが、それも別に気まずくなかった。話す時は無理に日本語を使おうとせず、ヒンディー語で普通のペースで話してくれた。

勘違いだろうが、私を「日本人」としてではなく、1人の友人として扱ってくれているような気がして、なんだかすごく嬉しかった。
もちろん他のクラスメイトだってそのつもりで話しかけてくれているのだろうけど、私が話を理解できず首を傾げたり、意見を求めたのに吃っていたりすると、申し訳なさそうな顔をして距離を空けられるのをいつも感じていた。
日本語でだって集団の中で上手く話すことはできない私だから、こうしてゆっくり1人ずつと関わればよかったと少し後悔した。

南インドのごはん楽しみだな

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