毒親と文句を言っても、そのまた親もまた毒親
現在40代以上のヒトが こども時代に読んでいたマンガには、
暴力シーンが多くあった。
信じられないかもしれないが、
恋人同士の口げんかが、
どちらかの「ほっぺたをバシっ」で終了する。
頬には赤いアザが残る。
それが「愛情」だと表現され続けた昭和。
当時は著作権という意識があまりなく、
誰かが描いたものを、他の漫画家も平気でそのシーンを模倣して、
あちらでもこちらでも出され続けたのだ。
(余談 ブサイクな女の子がメガネを外して三つ編みを解くと、美女だったというエピソードも当たり前に存在した。 金持ちに見初められてドレスアップしたら、美しかった。も、あっちでもこっちでもみたかな)
話を戻そう。
暴力が愛情だと教え込まれてきた。
怒ってくれるのはありがたい というのもあった。
時代が変わって、それは「虐待」と呼ばれるようになった。
親としての関わりに迷う人が街には溢れかえる。
心理学やメンタル系の書物やセミナーを利用して、
こんな結論を出す。
「うちの親は毒親」
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
「嫌ってもかまわないか」
なるほど。問題は、
「親を嫌ってはいけない」という思い込みにあるようだ。
嫌いで構わないし、イヤならば会う必要もない。
「会わなければならない」
「嫌ってはいけない」
という考えに縛られていると
とても辛いだろう。
そんな自分を肯定できないのだから。
小さな頃、母に聞いたことがある。
なぜ、キツイ言い方ばかりするのかと。
「戦争だったのよ!
みんな生きる事に必死で、その日の食糧をかき集めるにも、
着るものにもコト欠いてって状況よ
親なんて、怒ってばっかりよ!生活支えるのに必死だもの。
あなたたち住むとこ着るもの食べるもの、苦労してないでしょ。」
「バクダン飛んでくるのに、こどものキゲン取ってられるか!って状況で育ったんだよ!」
こんな感じで、
「昭和初期生まれの親が、多少キツイのは仕方ない」(手もでる)
という刷り込みで大人になった。
しかし子育てが始まると、
どう関わっていいのかわからない。
親も理解できない存在だったが、
子供の世代も理解できない。
OSで言えば、Windows95とiPhone10くらい違うのだろう。
こどもたちは
「親やったらフツー応援するやろ!」
「親やったらほめるやろ!」
と文句タラタラ
応援してるし褒めているつもりでも、
伝わっていないらしい。
子どものTwitterで 私がディスられているw
時代が違えば、関わり方も違う。
昭和の時代はガミガミ詰るのも、
頭を小突くのも
お尻ぺんぺんも「愛情」と表現された。
そんな育てられ方をしながらも、
家庭を守る私は非常に尊い。