私が情シスを辞める理由
タイトルの通りで情シスを辞めることになりました。いわゆる退職エントリですが、同じような境遇の方に私のようになって欲しくないという思いを込めて書いていこうと思います。中小企業の場合にはこういうケースがあるのだと一例として自社の改善に役立てていただければと思います。
現在の状況
ISV(独立系ソフトウェアベンダ)といわれるサービスを作って販売している外資系企業(アメリカ本社)の日本拠点のひとり情シスです。もともとは顧客にサービスを提供する部隊で雇用され、上司の退職などもあり情シス前の役職としては責任者でした。他部署の兼任などもあり協力会社や駐在員まで含めると日本で一番大きな部署でしたが、協力会社0からのスタートでしたので制度を作ったり目の前の仕事に追われていました。また、土日作業がある業種であり時差やあえて夜間を狙う作業もあるので案件で気が休まるときがないという状況があり情シスに異動をしました。
情シスに異動となったのが23年2月で退職が8月末予定なので結果としては情シスを半年で辞めるという予定になっています。
なぜ情シスになったのか?
結論からいうと心が折れて同じ労働時間の確保が難しくなったのと、退職により迷惑をかける分を少しでも減らそうと思っての異動でした。いわゆる情シスというのはグローバルにしか存在しておらず、日本での専任がいないため総務が兼任していましたので日本での1人情シスのポジションとなります。
ポジションがなくてもバックオフィスでITの知見がある方や管理経験がある方が対応するならいいのですが、にゃーんにゃーんにゃーん(自粛)で、自組織として要望を挙げても無視され続けていたので、それなら自分でやるかと思ったというのが背景です。
心が折れた理由
背景としては義母が亡くなったことによる環境や心情の変化です。
サザエさんでいうところのマスオさん(注:磯野ではなくフグ田であり婿養子ではない)のポジションで妻家族と住んでいたのですが、共働き&妻はJALの修行をするようなアウトドアの人間のため、義母と結婚したんじゃないかと思うぐらい仲が良かった関係でした。
昼寝をしたまま起きてこないので、義父が確認したら既に息をしていなかった「ピンピンコロリ」という理想的な死に方をした義母なのですが、2週間ぐらい前からの変化と最後数日の変化には気付いていながら何もできなかったという後悔がずっとつきまとっています。
変化としては日常業務を行うことができなくなったというものです。洗濯や夕飯の用意(片付け含)は義母だったのですが、洗濯をぎりぎりまでやらなくなり、台所のシンクに食器がたまりがちになっていました。最後の数日は台所に立つこともできなくなり、食もさらに細くなったと後から聞きましたが、私は余裕がなくまともに顔見ていなかったという状況でした。
普段の病院の送り迎えなどは私が付き添っていることが多かったのですが、最後2週間ぐらいはコロナで在宅勤務メインのタイミングだったのにオフィス勤務をしていたり、昼抜きで朝から晩まで提案していたという多忙の時期でした。オフィス勤務の理由としてはあほな内容で顧客激怒のトラブルが発生しており、整理ができた段階で数年ぶりにスーツを着て顧客のオフィスに謝罪に行くためです。経緯をまとめたり謝罪に行くこともそうですが、チームもショックを受けていたので夜は一緒にご飯を食べて、通常業務が回らないのでそのあとに仕事をしたり本来は朝7時からしか働いてはいけない会社ですが守っていなかった時期でした。
義母が旅立った日も昼に30分弱空いたので眠さ対策でシャワー浴びようとしてた時に久々に顔を見て「なんで顔に青タンできているんだろう?(後で家の前で転んだと聞いた)」と疑問に思ったのを覚えています。
そこから3時間後に義父の「息していない!来てくれ!」というのを聞いて、私と義父で心臓マッサージをしながら救急車が来るのを待っていたのと後ろで妻の泣き叫ぶ声とその際に肋骨を折った嫌な感触だけが記憶に残っています。妻も義父もパニックのため、私が病院まで救急車に同乗して死亡確認までしたのですが「青タンあるから暴力疑われないかな?肋骨折ったことが死に影響していないかな?」と気にしていましたが、死ぬ際にそこまで苦しむことはなかっただろうという話を聞いて安心したことを覚えています。
※大切な人を守れる可能性があるので心臓マッサージはできるようにしておきましょう。
ここからすぐに遺体をどうしますかと聞かれるわけですが、いわゆる急死であり私はマスオさんなので地理間もないので困っていたのですが、バスのアナウンスで葬儀屋があったことを思い出してすぐに電話しました。
※ご高齢の家族がいる場合は近隣の葬儀屋の名前ぐらいは覚えておいた方が良いです。病院から紹介してもらうこともできますが割高になります。
火葬場が混雑しておりしばらく葬式も出せない状況だったのですが、血族と違い姻族は忌引きが1日しかない会社でしたし、トラブル対応や引継ぎなどで結構な時間を仕事に使いましたし、忌引きで休んでいることを人事が伝えていなかったために結構な問い合わせなどがあって、支援体制が弱いなと思ったのをよく覚えています。
義母は子供として娘が二人おり、姉(既婚子あり)妹(妻のこと)なのですが、葬儀の時に姉の旦那さんの会社からは弔電やお花があったのに、うちは聞かれもしなかったなと残念な気持ちになりました。
※会社としてある程度気を使う制度にしたほうがよいです。家族を亡くしたことがない人は想像できないかもしれませんが、亡くした人はいると思うのでヒアリングするなりで対応可能だと思います。
葬儀終了後にすぐに業務に戻っていたのですが、妻は忌引きの日程を過ぎても会社にいけず、しばらく経ってから会社に報告がてら出勤するも、席について瞬間に涙が止まらずに業務する前に帰ってくるなど病んでしまい、ごまかしながら半年勤務してそのまま退職しました。
妻はキャリアカウンセラーの資格を持つエージェントでした。過去には介護や子育てを理由に退職希望をする人に対して辞めない方法を模索して支援していた経験もあるのですが、やはり自分事となると違うのだなと思いました。※夫婦での精神科受診などもおすすめです。仕事は辞めると戻るのが大変なので辞めない選択肢がとれるならそのほうが良いです。
この間に私自身も言葉が出なくなることや仮説思考ができなくなる(一時記憶することができなくなる)といった「脳の病気か?」と思うような不安な症状がでて半休などとることもありました。
※埼玉県の場合は脳ドック+ガン検診だと草加の神谷医院がダントツに安いです。(PETではなくDWIBSなので肉体的な負担も少ない)
ドラム式洗濯乾燥機を買う
食洗器を買う
ロボット掃除機を買う
少しでも楽になるようにお金で解決するところはしてきましたし、なんとか時間を作るようには努力したつもりですが、手つかずの部分が結構多いのも事実でした。
私自身の家族(両親は他界しているが、父親代わりとして母の妹がいる)の体調不良で実家と生活拠点を行き来が必要なのですが、公共交通機関の直通便の減便(朝時間の撤退)が思った以上にきつく、会社と家族のどちらを優先にするのかを再度自分の中で考えることとなりました。
1回目の退職の決断→情シスへの異動
8時間勤務のうちの7時間は会議やらサポートで埋まっているような状況であり、残業放題のポジションでしたのでまた義母と同じようなことがあった場合に後悔はしたくないということで向いていない管理職を辞めてエンジニアになろうと思って退職したい旨の話をしました。
当時は部署の責任者なので上司がカントリーマネージャー(いわゆる社長)でしたが、転職活動すらできない多忙な状況で家族の支援が必要なので今の働き方はできない旨を伝えました。
冒頭に書いた通りで本社はアメリカにあり、私の退社はカントリーマネージャーの管理責任という部分にもなりますし、当方が辞めることで組織への動揺で大量退職者が出る可能性もあるなどが目に見えていたので当然ながら残留希望を出されました。同じポジションで仕事だけ下に押し付けてのうのうとできる性格ではないのでお断りをしたところ保留にさせてくれとなり、その後に当時なぜか情シスのJD(job description)を私が書いていたのもあり、過去に経験もあるしやってもらえないかという打診が来ました。
別に退職者を出したいわけでもないですし、会長に恨みはないので週2回以下のオフィス勤務であればという話をして給料大幅ダウンで異動を受け入れました。
情シスとして働いてみた
にゃーんにゃーんにゃーんにゃーんにゃーんにゃーん(書けないことをお察しください)
2回目の退職の決断
義父が明日死ぬかもしれないという状況になったため、最後の親孝行で看取る覚悟をしたためです。いずれ亡くなった際の妻のサポートや各種手続きといったものや、自分の叔母も調子が悪いので引っ越しする可能性も考慮しました。
週2回の出勤が限界だという条件だったのですが、週3勤務前提のルールとなったために上司(CTO)の許可は得ているものの、他組織から見れば不公平に感じるわけでバックオフィスの部署がルールを崩すべきではないと思って苦しんだのもありますし、異動から半年が経過しようとしており、私の退職に対する会社から見たときのリスクが少なくなったというのも大きいです。
後述の通りいろいろな制度がありますが、利用できるかどうかの判断もできませんし、1人情シスの状況なので保留にしておく方が最終的に会社の損になると思いましたので、休業などではなく退職するべきと考えました。
義父の状況
義父は山男で病院知らず。40年近く前に肋骨を折って入院したことはあるらしいですが80過ぎても「健康寿命ってなにそれ?」ってぐらい病院にかかっていない人間です。どこぞの山岳会に入っており仙人といわれているらしいですが、本当にそんな感じで10キロのウェイト担いで毎日数時間歩くインドアな私からすれば変人です。
この義父がまったく外に出なくなり3週間となったので、妻に代わって私からちゃんと話をして病院に行かないかという相談をしたのがきっかけでした。
そもそも病院知らずなのでかかりつけ医などもおらず、薬でおなか一杯になりそうだった義母と正反対なので病院探しから苦戦しました。
症状:だるい/食欲がない/長時間立とうとすると疲れる
医師に話そうと思って整理してみると夏バテにしか見えないので困りました(汗)
年齢的なものがあるので「総合診療科」というところに行けば冷たい対応されなくてもすむのかなと思って「大宮中央総合病院」に電話したところ、常勤ではないため明日は診療していないが、電話してくれればその日の先生に相談するということでした。
翌日は妻に任せて私はイベントの対応があるために出社していたのですが、妻から「早退してすぐに来てほしい」といわれたので早退して向かいました。
すぐに先生に呼ばれて「当院では対応できないので専門の病院に行ってほしい。すぐ移動すると命の危険があるので暫定的な対応を当院で行う。ただし危険な状況なので緊急時の延命方針についてもすぐに決めてほしい」ということを言われて驚きました。血液内科という科が専門となるので近隣であれば「さいたま赤十字病院」「自治医科大学附属さいたま医療センター」に予約取ってほしいとのことですが、すでに時間外のために翌朝に対応して午後に病院で医師と相談しました。「さいたま赤十字病院」で9月に予約が取れたことを医師に伝えると「そこまで持たないよ」と失言、、、(苦笑)
その場で「自治医科大学附属さいたま医療センター」に電話をして数日後に予約が取れたので、その前日まで入院ということで調整しました。
予約の通り「自治医科大学附属さいたま医療センター」で検査をして1週間後にきてくれということですが、5日後からすでに体調がだいぶ悪い、、、
耐えてもらって1週間後に検査結果を聞きに行った際の検査で前回の入院時よりも数値がまずいのと発熱していることから緊急入院をした方が良いとのこと。ただし「自治医科大学附属さいたま医療センター」は対応していないので病院紹介するということなのだが、一番近い病院に断られて1時間ぐらい離れた「某病院(いまここに入院中)」に移動して現在に至ります。
灼熱の中の移動で最強にしても効かない冷房のタクシーの中で身体全体で息をしている義父の見て、このまま逝くんじゃないかと不安になりました。
症状概要
問題①
・血液の成分からヘモグロビン(男性:13.1~16.3g/dL/女性:12.1~14.5g/dL)がものすごい低い(最初の入院時で4.8で直近入院の際で3.8だが、一般的に臓器に影響がでるため6.0以下は輸血が必要なレベル)である。
※ちなみに女性は 11g/dl 以下、男性は 13g/dl 以下だといわゆる「貧血」
・上記に関連してだと思われるが脾腫(脾臓の肥大)がある
⇒自己免疫性溶血性貧血(AIHA) と考えて治療をする
※エバンス症候群ともいわれる難病
※高齢者では予後不良という記述があるが妻には黙っている
問題②
・リンパ腫がある
⇒開腹手術が必要となる場所のため、体力的にも現実的ではないので治療はしない。本人も開腹手術するぐらいなら治療は望まないとのこと。
シンプルにいうと治らないから時間の問題というやつです。余命宣告はされていないですが、家の畳の上で死にたいという要望はできる限りかなえてあげたいと思っています。
義父も余命6か月を切ったら教えてほしいということなのですが、余命宣告されていないし、治療がよい方向にいく可能性も0ではないので、どのタイミングで伝えるのかが非常に難しいところです。
一度目の退院の際に死ぬ可能性があったことは伝えたので、本人も長くないことはわかっているかと思うのですが、長期入院は歩けなくなるから嫌だといっているのでどこまで理解しているのか、、、
利用を考えた制度
要介護認定
⇒申請を出してから1か月程度だがまだ面談に至っていない。病院変えるたびに医師が変わるため連絡を入れる必要があって結構面倒。
※実母の時はこ面談の日に悪化してそのまま認定受けずに旅立った。これはある程度の年齢になって兆候があるなら、とりあえず面談だけは受けておいた方が良いのかもなと思った(関係者の方には負担になってしまうので書くべきでないのかもしれないが)
介護休暇
⇒会社としては無給で制度がある。無給なのもあり要介護状況についてなどはある程度は臨機応変に対応できるとのこと
介護休業
⇒会社としては「希望どおりの日から休業するためには、休業開始予定日の
2週間前までに、書面等により事業主に申し出てください。」などはある程度融通は効かせられるとのこと。
介護休業中の経済的支援
⇒介護休業として認められる判断基準は明確にあるのだが、輸血状況によって大幅に変わるし、本人が弱みを見せるのが苦手な人間のためなかなか難しいのではないかと考えている。
実際にトイレの補助やお風呂の補助などは行っているが、自分でやろうと思えばできるということが予想される(ちなみに私はホームヘルパー二級をなぜか持ってる)
結論としてこの制度は使えないと考えているし、休業中に最終的に退職する場合はどうなるのかなどを知りたくて他社の人事数名と連絡とるが相談しにくくて結果として相談なく決めた。※相談相手がいないので勝手な判断
ちなみに日本では「不利益取扱いの禁止について」というものがあるそうですが、中小企業ではなかなか難しい点もありますし、人事や労務が知っていても現場はこんなもん知るはずがないので利用を躊躇するというのが本音です。
自分の中での悔い
・自社の製品をもう少し触りたかった(仕事をまわすのが優先だったため)
・カントリーマネージャーと組織論についての議論をしたかった
・海外のITの方からもっといろんなものを学びたかった
・エンジニアが働きやすい環境の構築が道半ばでおわってしまったこと
・自動化のアイディアがあったのに実現できなかったこと
・勤続5年目のボーナスと10月の某インセンティブがもらえないことw
・自分の作った資格補助の制度で新設する部署のこと考えていなかったので自分自身が10万円以上もらい損ねてることw
他にもいろいろありますが情シスのポジションが今後どうなるのかという部分がとても気になっています。
最後に
人はいずれ死にます。今ある日常が急になくなることもあるので、何もない一日も大切にお過ごしください。
介護の問題はほとんどの家族に出てくる問題かと思います。
事前にある程度準備しておいた方が有事のせいに負担が減りますので、相談相手を明確にしておくなどのレベルでもよいと思いますが、是非ご準備ください。有事の際に悔いのない対応ができることを祈っています。
私の所属会社を知っていて、なんらかのパスをつなげておきたいという人はお盆前までに連絡ください。(退職後は担当にメッセージを出すぐらいは協力しますがあれこれ世話は焼けないと思います)
老々介護のような状況は作らないほうがよい。結果として伴侶が内容把握できない場合に子供にエスカレーションされてきません。調べる能力がある人や判断ができる人が介入したほうがよいです。
友人から相談されれば論理的なベストの回答としては給料なくても休業を取れとアドバイスすると思います。私のような状況の人がいればFPの人として金銭的な観点や一般論の支援はできるのでご相談ください(相談相手いると精神的にだいぶ違うと思う)
社会人になってからはじめて次の職場を決めずに退職しますが、たぶんまたITで働くと思うので引き続きよろしくお願いします(完全ノープラン)
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