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「社会」
「社会」と呼ばれているものに実態はありません。
其処にはただ、様々な社会的役割を担う人々がいるだけです。
高齢者介護とか、障害者福祉とか、
あるいは出産、子育てとか、教育とか、
「個人ではなく社会で」とか言う人がけっこういる。
でもね「社会」なんてものは、本当はありません。
介護福祉士とか、相談支援専門員とか、
ケースワーカーとか、施設職員とか、がいるだけ。
皆さん、それぞれに名前を持った個人です。
熱心な人、切れ者、でもしかの人、なあなあの人、
いろんな人がいて、
だから「社会」によってケアされている人の、
その暮らしぶりは、まだらになったりするのです。
うっすらと、そうだと知りながら、
それでも「社会で」と言えば、自分は責任から逃れられる。
そんな気がするから、
皆「社会で」と言うのが好きなのです。
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
少子化の折、「社会全体で子育て支援を」なんて言う。
いやいや、それなら、
まず、妊婦さんに優しくなろうよ。
乳幼児連れの大人に、道や席を譲ろうよ。
ベビーカー邪魔なんて言わず、スペースを空けて、
困っていたら、声をかけ、手を貸そうよ。
鳴き声や叫び声ががうるさいなんて言わず、
元気じゃのう、と頷いておこうよ。
(誰だって、そういう時期があったはず)
そういう人の方が多ければ(実際、多いと思うんだけど)、
もちろん、社会も子育てに優しいものになる(本当は、昔も今も優しい)。
単純な話、社会っていうのは、
名前があり、顔のある人が集まってできてるのだから。