正直なところ、「今更」? 「今になって」? と、悪態をつきそうになる今日此頃です。 マスク着用の「お願い」とか、 ワクチン接種の「お奨め」とか、 今になって、 あれは遣り過ぎだったと言う人が、 ちょこちょこ出てきた。 強制(的)だったとか。 差別(的)だったとか。 もちろん、 信じるところのモノを言う人が増えるのは、 良いことだと思う。 思うのだけれども・・・ 自身が言った(言わなかった)ことや、 自身がした(しなかった)ことについて、 全く触れないのはどうしたこ
努力とは反復である、と何かで読んだことがあります。 それは本来、人に見せるものでも、人に評価されることでもありません。 努力することは大事。 継続することが大切。 それはそうでしょう。 でもね、 努力しているか、継続しているか、 それは本人にしか分からないことです。 あくまでも「経過」や「過程」の話で、 「結果」が出ない、伴わないことだって、往々にしてあります。 「努力義務」=「〜よう努めなければならない」・・・そうでしょうとも。 けれど「努力」しているかどうか
送り手の側に、そりゃ稚拙はあるよ。 でも、受け手の側にだって、ピンからキリまでありまして。 受け手側に、送り手の意図を理解しようという意志がなかったら、 たぶん、それはもう、どうしようもない。 指南書の多くが「シンプルに書け」と言う。 しかしながら、端的に書くと、受け手はもう、勝手気儘に誤解する。 それを防ぐために、正確に、詳しく書く。 すると今度は、「ソコじゃないよ」なところに突っかかる。 今という時代には、 有り余るほどのツールが用意されてるのに・・・ 伝えるこ
論理的に切り返せない想定外の反論に、 それは「屁理屈だ」で論破した気になる人がいて・・・ 困ってしまいます。 よくあるのは、子供が繰り出す率直な物言いに対して、 面倒くさがりな大人が。 たまにあるのは、借り物の知識の穴を突かれて、 他に言葉が思い浮かばないノータリンさんが。 もちろん、こちらは「屁」のつもりはないんで、 怒るより呆れて「そうですか」と言うしかないのだけれども。 というか、大抵の場合、 屁理屈を捏ねる人に限って「屁理屈だ」で人を黙らせようとするもので。
「社会」と呼ばれているものに実態はありません。 其処にはただ、様々な社会的役割を担う人々がいるだけです。 高齢者介護とか、障害者福祉とか、 あるいは出産、子育てとか、教育とか、 「個人ではなく社会で」とか言う人がけっこういる。 でもね「社会」なんてものは、本当はありません。 介護福祉士とか、相談支援専門員とか、 ケースワーカーとか、施設職員とか、がいるだけ。 皆さん、それぞれに名前を持った個人です。 熱心な人、切れ者、でもしかの人、なあなあの人、 いろんな人がいて
本当のところは、あやふやであっても、 少しだけ特別な日として過ごせば、その分だけ大切な日になっていく。 恥ずかしながら、 本日、誕生日でございます。 だからどうした、ということもないのですが、 おもむろに「note」など始めてみようかなという話です。 実際、どこで、どのようにして生まれたのか、 自分自身は憶えてなくて、 何処かの誰かが、 こうであったと記録したに過ぎないのだけれども、 それでも、毎年、同じ日に、ちょっと何かすることで、 いつしか、ちゃんと誕生日になっ