俺は個包装されたジャパンをノッティンガムで食っていた
個包装された半生和菓子の袋詰め。君も、スーパーのお菓子売り場で見たことがあるだろう。子供時代はもちろん大学時代まで見向きもしなかったこのお菓子は、1997年秋以来、俺にとって格別・特別なお菓子になっている。
今日はその話をしよう。今俺は、シアワセドーの「喫茶去」をつまみながらコーヒーを飲み、この原稿を書いている。
これらの袋詰めは昔からの定番商品ではあるが、俺の実家では、もっぱら年配のお客さんがいらした時のお茶受けや、仏壇供え用に購入されていたものだ。子供の頃、たまに祖父母が仏壇のおさがりをくれたが、自分から食べたいと思ったこともないし、正直おいしいと思ったこともなかった。ブルボンのお菓子や、森永のビスケットや、不二家のケーキの方が、俺は好きだった。
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その変化は、97年10月に起こった。順序立てて書こう。
95年末からイギリスに出しまくっていた俺のモーレツな「日本は魅力的な市場たりえる」「日本市場の現況はこうだ」「過去の取扱での失敗分析はこれ」「この形で流通経路を作ればやれる」「国内展開をこう進めればホビーカルチャーごと持ってこれる」などといった怒涛の国際郵便電撃戦が功を奏し、ゲームズワークショップの会長と副会長が来日して俺と会ってくれたのが96年12月のこと。
その後イギリスへの視察旅行へ招待され、97年8月に10日間ほど現地で過ごした。それはもうすごい歓待ぶりで、初めての海外であったが、楽しいわ嬉しいわで実に最高だった。就職も勧められたが、その時は「大学卒業までは外部から御社をサポートします」ということで帰国した。それからだ。カタコト日本語を話すアメリカ人、スティーブ・ウォークが、イギリスのノッティンガムから俺の実家に国際電話をかけてくるようになったのは。
スティーブ・ウォークは、最初のうちこそ数日おきだったが、やがて毎晩俺に電話をかけてくるようになっていた。そう、毎晩だ。最初のうちはホビーの話とか、日本市場に関する話などであったが、段々と風向きが変わり、ついには仕事のオファーの話になっていった。
ゲームズワークショップを直接日本市場へ参入させ、ウォーハンマーを本格上陸させるのは確かに俺の夢だった。だが、彼らは他のやつにやらせるつもりも、俺が大学を出るまで3年待つつもりもなかった。俺に大学中退をさせてでも会社に迎え入れ、すぐにでも日本市場参入をしたいというのが、CEOトム・カービーの意向だったのである。
正直な話、まさかゲームズワークショップが、俺が大学を卒業するまで待てず、中退しての入社をオファーしてくるとは思っていなかった。今思えば実に当時のゲームズワークショップらしい。今は知らないが、当時はそういうゴリ押し・カンパニーだった。スティーブが2018年に来日した折、当時の強引な誘い方を改めて謝罪されたが、彼はやるべき仕事をしたに過ぎない。ゲームズワークショップでの仕事に個人の感情が入る余地がないことなど、俺はとうの昔に熟知していた。
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