受け継がれていくもの
毎年この時期になると、実家のある地元で祭りがある。二日間の日程で、夜には盆踊りがあるのだ。毎年恒例の行事である。
子供のころ、俺の父が盆踊りの太鼓を叩いていた。父の太鼓に合わせて町内の人たちが踊るのを見て、「おとうさんってすげえ」と思ったことを覚えている。提灯が並ぶやぐらの上では、浴衣を着た若い女性たちが、楽しそうに踊っていた。父の叩く太鼓の響きが染み渡って行く夜空。そこに浮かぶ月を、俺は眠い目をこすりながら見ていた。
高校生になると、父は俺に太鼓を任せるようになった。東京音頭や炭坑節は小学校高学年のころにはいっぱしに叩けるようになっていたし、アンパンマン音頭やアラレちゃん音頭はかなり得意になっていた。それでも、相馬盆唄あたりは難しく、河内おとこ節あたりになると、テンポは早いしタメとキメがあるしで大変だった。中学の頃は、叩きかたを間違えることもよくあったし、うまく叩けない曲もあった。
父は離れたところから俺の太鼓を眺めるだけで、相変わらず何のダメ出しもせず、何も言わず、うまそうにタバコを吸っていた。俺が交代を頼むと、スッと出て来ては、難しいリズムを淀みなく叩き、また俺にバチを託してスッと離れて行った。
高校生になってようやく、地元の盆踊りでかかる曲を全部叩けるようになる。大学一年の時だ。俺が父よりも上手に叩けていると自治会のお歴々から褒めていただいた。それをはたで聞いていた父はニヤリと笑い、タバコをうまそうに吸っていた。
それからイギリスに移り住み、帰国して、俺に娘ができた。浴衣を着た2才の娘は、踊りでも、お神輿でも、配られるお菓子でも、出店でもなく、太鼓を叩く俺を見て喜んだ。
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