メタルフィギュア氷河期とモケイラッキー
時は1990年代初頭。折しもメタルフィギュアは冬の時代を迎えていた。模型店やおもちゃ屋、ゲームショップにメタルの補充や新製品が届くことはもうない。「店に残るものが全て」という、おぞましき氷河期が到来したのだ。
新和。光和貿易。ホビージャパン……かつて世界各地からメタルを国内にもたらした総輸入元各社は軒並み撤退しており、日本語版が休止したAD&DやD&Dの関連製品は「値引」のステッカー貼りを甘んじて受けていた。俺が憧れ愛した、汗と血と死の匂いが漂うファンタジー・アートワークの書籍群は埃にまみれ、アオシマやRAFMのメタルフィギュアや、かつて栄華を誇った『メタル御三家』……グレナディア、ラルパーサ、シタデルすら、ショップのすみに追いやられ、投げ売りの対象になっていたのである。
あの頃、メタルフィギュアと海外系ファンタジーはシーンで完敗を喫していた。本屋のTRPG売り場では、アニメタッチの絵に彩られたTRPG雑誌や、文庫版ルールやサプリが並んでいた。半裸半ケツのマッチョ・バーバリアンや、スキンヘッドのヒゲ面戦士や、生首を掲げて笑うオーク豚の隊長は、まるで存在したのが嘘だったかのように、いなくなっていた。
国内のTRPGシーンが広がり、ファンタジーが独自の進化を遂げる一方で、俺の愛するファンタジー観とメタルフィギュアは、誰も見向きしない「日本向けでない過去の遺物」になっていたのである。
もはやシーンは国産の時代であり、これからはメディアミックスだ、OVAだ、コミックだと浮かれていた。各地のサークルの例会やコンベンションでは「メタルフィギュアはTRPG普及の足枷」「海外のファンタジー観はダサい」と断罪する論調にそこかしこで遭遇した。メタルフィギュアの存在がメディアで語られることも、なくなった。
買い支えようにも、売る側からすれば不良在庫の処分にしかならない。小遣いをはたいて買ったところで、店の損失補填を助けることはできても、それでメタルが再入荷したり、まして新製品が入荷する可能性は、文字通りゼロ。全てはもう遅すぎた。何もできないガキの俺は指をくわえて見ていることしかできなかった。あまりに無力な俺は、まるで高木ブーのようだった。
地元の店でメタルフィギュアが少しだけあった棚は、ほどなくエアガンとガレージキットで埋まった。店のおじさんは、別に気にしていないようだった。俺にとって、とても寂しく、悔しいことだった。
それでも俺は、メタルフィギュアと海外ファンタジーを愛することを誓った。周囲に時代遅れと言われようが、仲間外れにされようが関係ない。長いものに巻かれて何の意味があるのか。俺は俺が好きなものをとことん愛すると決意したのだ。それはヘヴィメタルの精神であり、サムライの道である。
そして俺は、俺のホビーを支えてくれる店を、一つだけ知っていた。
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