ペイント今昔物語(前編)
前回の8310ラジオで、「昔のミニチュアシーンでは、みんなどのようにペイントしていたんだろう?」と言う話題が出た。ミニチュアペイント。今まさに現在進行形でこのホビーを楽しむ人にすれば、今の環境が昔からずっとあるものだと思える(そしてそれはいいことだ)。
でも、当時を知るリスナーから出た答え....「プラカラー」は、最近このホビーに出会ったばかりの人にとって、驚くべきものだったようだ。
そこから話は盛り上がりつつも、また別の話題に移っていったけれど、俺はなんだかピンと来た。でもその正体がまだ掴めずにいたんだ。でも、放送後に寄せられたリスナーズボイスの中にあったコメント「カウンシルで塗料やペイント法の変遷とかを詳しく読みたいです」で、俺は「書こう」と思い立った。
今日は、ペイントに使う塗料や道具が、シーンが変遷する中でどう変わり、今に至っているのかをじっくりまとめてみよう。前後編でやる。ボリュームがあるからだ。
序:ファンタジーミニチュアの夜明け前
ミニチュアをペイントし、遊ぶと言うホビーの歴史は長く、近代にまで遡る。高名なSF作家でもあるH.G.ウェルズが考案した世界初の“民間用・陸上戦”ミニチュアゲームが「Little Wars」。ウェルズはペイントされたミニチュアの軍隊が、戦場を模したジオラマ上で戦うウォー・ゲームを通し、血の出ない平和的な紳士の戦争を作った。
ミニチュアゲームの原型である兵棋演習は、プロイセン(ドイツ)で陸上版が、イギリスで海上版が考案されたものが原型だ。兵を動員せず実効性の高い演習を行い、参謀の作戦立案能力や戦況対応能力を高めるために作られたものなので、ミニチュアゲームとかシミュレーションゲームが持つメカニクスの源流は、実際のところ元は軍事技術である。
明治時代には日本にも兵棋演習がやってきて、創設まもない帝国海軍で幾度となく実践された。後に連合艦隊参謀として日本海海戦での丁字戦法を立案実行した秋山真之が、そのキーパーソンだ。米国留学中、兵棋演習にむちゃくちゃ感激した若き秋山は、猛勉強の末これを持ち帰ったのだという。ちなみに陸軍には、招聘教官だったドイツ人のメッケルが陸戦版の兵棋演習を持ち込んだけど、全然定着しなかったんだって。
70年代になると、今まではヒストリカル一辺倒だったミニチュアゲームに変化の兆しが現れる。中でも有名なのが「CHAINMAIL」(1971年)であろう。ゲイリー・ガイギャックスとデイヴ・アーンソンと言う2人のアメリカ人が制作したこのミニチュアゲームの登場で、昨今大流行していたファンタジー世界....それは指輪物語やコナンといった、戦前に発表されつつも戦後に大ブームとなった作品群や、エターナル・チャンピオンやゲド戦記など、 1960年代に発表された“新進”作品も含む包括的なイメージ....の住人たち、あるいはその世界そのものを、ミニチュアゲームで楽しもうと言う流れが出てきた。
それはやがて大きなうねりとなり、ミニチュアの“軍勢”ではなく、ミニチュア“個人”を小説や映画の主人公に見立てたRPG(ロールプレイング・ゲーム)、「ダンジョンズ&ドラゴンズ」の誕生へと繋がってゆく。
かくして70年代、今までは「おもちゃの兵隊」であり、あくまで実在する(した)軍隊の縮小模型=ヒストリカルモデルだったミニチュアに、「ファンタジーミニチュア」と言う新たなカテゴリーが生まれるのだ。
どう言うことか? 要するに「すげー昔からミニチュアを使ったゲームは存在していて、それを遊ぶためにミニチュアをペイントしたり、樹木や建物を配して戦場を作り、バトルするホビーは昔からあった。それはもともと歴史物だったんだけど、70年代にはファンタジーミニチュアとゲームのジャンルが確立されたんだよ」と言うことだ。
また、ミニチュアがもともとヒストリカルモデルであったため、「共通縮尺」があった。観賞用は54mm〜90mmサイズのものがあり、ゲーム用は30mm、25mm、15mmが大体の共通スケールだった。観賞用は造形や塗り込みを楽しむために大きく、ゲーム用は、表現する戦闘の規模により、ミニチュアの大きさが違っていたんだ。ファンタジーになってもこれはある程度踏襲されていく。
これを踏まえた上で、ファンタジーミニチュアの塗料とペイント方法がどう変遷してきたかを見てみよう。
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