『メタルフィギュアガイド』が俺に教えてくれたこと
『メタルフィギュアガイド』。それは1991年、当時ラルパーサAD&DミニチュアおよびRAFMの日本総輸入元であった新和が刊行したカタログである。新和は、ダンジョンズ&ドラゴンズを初めて日本へ紹介した会社だ。
『メタルフィギュアガイド』は、新和におけるD&D展開の中核におり、当時の国内メタルシーンの先導者でもあった林利也氏が手がけたものである。“ぐゎるま”のペンネームも使っていた林利也氏こそ、 80年代初頭に米国ヘリティジ・ミニチュアを日本に輸入し、黎明期を切り拓いた新和の清水氏と並び、80年代国内シーンの形成に寄与した巨人の一人に他ならない。
記憶は未来への手がかり...今日は、このガイドが俺に教えてくれたことを君とシェアしたい。思い出は仕舞い込まずに語り継ぐ。共有された記憶は現在へ、そして未来へと繋がってゆく。俺はそう信じている。だから書く。
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俺が『メタルフィギュアガイド』に出会ったのは、モケイラッキー大口店のカウンターでのことである(モケイラッキーと当時のシーンについては、カウンシル記事「メタルフィギュア氷河期とモケイラッキー」に詳しい)。
毎度のようにショーケースに顔を貼り付けんばかりにしてミニチュアを物色する中坊の俺に、スタッフの吉橋さんがカウンターの奥から渡してくれたのである
「籾山くん、よかったらこれ、今日持っていきなよ。問屋さんから前にもらったやつなんだけど、君にあげようと思ってさ」
俺は躍り上がって喜んだ。ラッキーに来なければ見ることさえかなわない“まだ持っていないメタルフィギュア”を、これでいつでも眺めることができる。ネットがない当時、それはとんでもない贅沢であり、特権であった。
ご覧の通り、今やボロボロだ。読みまくっているうちに表紙が外れてしまったので、ガムテープで表紙を止めなおした。表紙が破れかけているのは、今は天国にいるダックスフンドのゴンベエが噛みちぎってしまったからである。当時、ベソベソ泣きながらセロテープで補修したが、それもいい思い出だ。大切に取ってある美品も良いものだが、年輪の刻まれたボロい本だからこその味わいもいい。
今まで数千回、いや数万回眺めてきたと思う。今でもたまに眺めて楽しんでいる。
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我がコレクションブックの記録によると、その日俺は、シタデルのドワーフアドベンチャラーを1パック、グレナディアのゴブリンを1パック購入している。帰りの電車でその重みを確かめつつ、無償でいただいた『メタルフィギュアガイド』を読みふけったのを、昨日の事のように思い出す。
麗しいペガサスの表紙をめくると、まず飛び込んでくるのがペイントガイドだ。序文もイントロも何もない。いきなりペイントガイドである。当時国内で入手しやすかった模型用水性アクリルとエナメル塗料を用いたペイント指南だ。シンプルにまとめられているが、それはページ数の都合というよりも、ミニチュアペイントの体系が国内でまだ確立されていなかったからだ(当時の国内シーンにおけるペイントについては、カウンシル記事「ペイント今昔物語」に詳しい)。
なぜユニコーンなのか? 多分、使う色が少なくて塗りやすいのと、わかりやすさを優先したんだと思う。当時は「何で冒険者とか表紙のペガサスじゃないの?」と思ったけど、今考えると納得のチョイスだ。最低限のカラーとテクニックを用い、接着のいらない一体成型のモデルで成功体験を積ませようとする試みだったのだと俺は思う。
ホビージャパンの『メタルフィギュアの世界』(カウンシル記事「メタルフィギュアの世界が俺に教えてくれたこと」で詳しく書いてある)の序文は圧倒的な量のテキスト解説から丁寧に始まっていた。
が、『メタルフィギュアガイド』はそういうところをぶっ飛ばしていきなり本題である。「ペイントしろ」と言う真正面からのストレート。そして俺はこれに完全一発KOされた。
最初から最後までの文章を舐めるように読んだ後、頭がシビレるような感覚をおぼえた。こいつはとんでもない本だ。投げっぱなしの挑戦状に見えて実はちゃんと道筋が示され、様々な枝葉へ繋がる言及がそこかしこにある。子供をナメていない大人だから作りえた書物と言えた。
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