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【まいけるアカデミア】マクロライドの話

(まいけるは医療従事者でも何でもない、ただの趣味ケミストです。そのため、本文内容の実践によるトラブルに対しては責任を負いかねます。)

最近、仕事でマクロライド系の物質をよく使うので、自分の勉強がてら。関連トピックとして抗生物質のお話もちょこっとだけ。

マクロライドの定義

学術的な細かい定義を考えるより先に、百聞は一見に如かずということで、マクロライドの一種であるエリスロマイシンの構造を見てみます。

作図ダルい

やはりパッと目を引くのは、左側の大きな環構造です。マクロライドは概して、このエリスロマイシンのように大きな環を有しています。一般的には6員環前後の環状化合物の方が接する機会が多いので、それよりもずっと大きいですね。

また、右側には糖分子が結合しています。すなわちマクロライドの構成要件は「大きな環」と「糖」であると言えそうです。

ScienceDirect(https://www.sciencedirect.com/topics/neuroscience/macrolide)は、マクロライドを以下のように紹介しています。

Macrolides are antibiotics derived from fungi of the genera Streptomyces and Arthrobacter, characterized chemically by a large lactonic ring attached to deoxy sugar chains

https://www.sciencedirect.com/topics/neuroscience/macrolide

後述しますが、マクロライドは上の引用にもあるように、抗生物質としてよく用いられます。"large lactonic ring"とありますが、環は単に大きいだけではなく、ラクトン(=環状エステル)でなければなりません。エリスロマイシン分子も、左下がエステル構造になっていますね。
もう一つ、具体的にどれくらい"large"ならマクロライドの要件を満たすのかという疑問がありますが、たいていのマクロライドは12-16員環の範囲に収まるようです(23員環マクロライドのタクロリムスのような例外もあります)。

マクロライドの歴史

実は先ほど紹介したエリスロマイシンがマクロライドの中では最古参です。以来、マクロライドは現在に至るまで主要な抗生物質として使用されています。つまりマクロライド系抗生物質は発見から現在に至るまでに、多くの患者を救ってきたのですが、最古参のエリスロマイシンにはビターな歴史があります。

1949年、フィリピン出身のAbelardo B. Aguilar博士はとある土壌サンプルが抗菌活性を有することを見出し、勤め先のEli Lilly(イーライリリー)
社に土壌サンプルを分譲しました。やがて同社は、サンプル中に含まれていた菌株Streptomyces erythreus (旧称、現在はSaccharopolyspora erythraea)の代謝産物としてエリスロマイシンを単離し、1952年に販売を開始します。

当時は既にペニシリンが一般的に用いられていましたが、ペニシリンにアレルギーを示す患者やペニシリン耐性を有する細菌感染症に対して、エリスロマイシンが投与されました。2022年時点においてもエリスロマイシンは処方量ランキング271位(ランキング対象となった薬剤は800,000種以上です)に位置することを考えると、この70年ほどの間にエリスロマイシンは莫大な利益をもたらしたと予想されます。

…しかしながら発見の第一人者であるAguilar博士は、規定通りの給与の他には報奨をほとんど受け取れなかったのです。会社側は博士に、インディアナポリスにある生産工場の訪問を確約していましたが、それも叶うことはありませんでした。後年、博士が会社側に宛てた休暇を求める書簡の中には、博士の複雑な心境がしたためられています。しかしながら、この休暇の申請もまた認められませんでした。

A leave of absence is all I ask as I do not wish to severe my connection with a great company which has given me wonderful breaks in life.

https://www.flipscience.ph/flipfacts/erythromycin/

最終的に博士は同社と袂を分かち、土壌サンプルが採取されたフィリピンのイロイロ市にて医療に従事します。医療費を支払えない患者ですらも治療した博士は、やがて"doctor of the poor"と呼ばれるようになりました。

エリスロマイシンの販売開始から約40年後の1993年、博士はイーライリリー社と再度コンタクトを取り、これまでにエリスロマイシン販売で上げた利益の一部をロイヤルティとして還元するよう求めました。これも博士自身の私欲のための行動ではなく、貧しく病気に苦しむフィリピン人を救うための財団を設立する狙いがあったようです。しかしながらこの要請もまた認められず、同年9月、博士は失意のうちに逝去しました。科学史には、時としてなんともやるせない展開があるものです。統計力学の発展に大きく寄与しながら非業の最期を遂げたボルツマン然り、女性をめぐる決闘の果てに落命した天才数学者ガロア然り…(これは自業自得かな?)

Aguilar博士のご尊顔。蝶ネクタイがキュートです

話が脱線しましたが、このエリスロマイシンを起点として後発のマクロライド系抗生物質が次々と開発されました。アジスロマイシン、クラリスロマイシンなどが代表的です。というのもエリスロマイシンは胃酸ですぐに分解されてしまう、消化器系への副作用が大きいなどのデメリットもあったため、これらを克服できる新薬が必要だったのです。ちなみに、クラリスロマイシンは1970年に日本(大正製薬)で生まれました。

現代においてもマクロライド系抗生物質は広く利用されており、先進諸国での使用量は減少傾向にありますが、途上国では逆に増加傾向にあります。(Klein et al. (2024) Proc. Natl. Acad. Sci. U.S.A., 121 (49),  e2411919121,
https://doi.org/10.1073/pnas.2411919121.)。未来のことはわかりませんが、少なくともすぐに廃れる薬剤とは言えないでしょう。

抗生物質としてのマクロライドの作用機序と適用範囲

さんざ繰り返しているようにマクロライドは抗生物質として使われているのですが、具体的にはどのようなメカニズムで抗菌活性を示すのでしょうか。
端的には、マクロライドはリボソームに結合し細菌のタンパク合成を阻害することで抗菌活性を示します。より詳細には、

・ペプチジルトランスフェラーゼ(ペプチド結合合成酵素)の阻害
・RNAの翻訳阻害
・ペプチジルtRNAのリボソームからの早期切り離し

によってタンパク合成を阻害すると考えられています。好気性および嫌気性のグラム陽性球菌に対して有効であり、肺炎マイコプラズマ、クラミジア菌、ジフテリア菌、レジオネラ菌、カンピロバクター菌にも使用可能です。
有名どころの細菌もちょこちょこ含まれていますね。

ところで、抗生物質を議論する際に避けて通れないのが薬剤耐性菌の問題です。今回はマクロライド系に焦点を絞っていますが、人類はこれまでに、

・ペニシリン系
・セフェム系
・ニューキノロン系
・テトラサイクリン系
・ホスホマイシン系
etc…

などなど、多様な抗生物質を開発してきました。抗生物質の多様化が進んだ背景には「既存の抗生物質に適応した薬剤耐性菌が出現し有効な治療が行えなくなったため、新規薬剤が必要になった」という事情があります(それだけが唯一の理由というわけではありません)。

ですが細菌と人類の戦いはイタチごっこでして、細菌が出現する→抗生物質で治療→耐性菌が出現→耐性菌を殺すための新規薬剤の開発→新規薬剤耐性菌が出現→…という無限ループになってしまうんですね。

ふだん暮らしている限りではあまり意識することがないのですが、薬剤耐性の問題は極めて深刻です。将来的なシナリオの1つとして、2050年には薬剤耐性菌を原因とする死者数が 1,000 万人となりがんによる死者数を超え、また世界 GDP への経済損失が 100 兆ドルにのぼると推定されています(J. O'Neill (2014). Rev. Antimicrob. Resist., 1-16)。このため、薬剤耐性菌の問題は関連学会におけるホットトピックの1つになっています。こういう話を聞いていると、人類ってある日突然死に絶えてしまうかもしれない芥子粒のような存在なんだなあと実感します。


マクロライドのその他の利用

マクロライドは、抗生物質以外にも農薬や家畜用の寄生虫駆除剤として使われることがあります。アベルメクチン、エマメクチン安息香酸塩、ドラメクチン、エプリノメクチン、イベルメクチンなどが該当します。

とくにイベルメクチンはコロナ禍の最中に話題になっていたので、ご存じの方も多いと思います。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3より引用

イベルメクチンもやはり、大きな環状エステルであることがわかります。この物質は、COVID-19に有効であるとの実験結果が発表されたことを受けて一時期話題になったのですが、実際にはその実験は正確性を欠くものであり、臨床試験においてもCOVID-19への有効性は認められませんでした。未曽有の世界的パンデミックの中に舞い込んだ希望とあって、イベルメクチンの流通が(時には違法な手段で)活性化したのですが、蓋を開けてみると…てな結末だったんですね。

コロナに対してはいいとこなしですが、農薬としてはチョウ目・アザミウマ目によく利きます。小学校の理科の代名詞、モンシロチョウも実は害虫でして、幼虫は農作者を食い荒らします。アザミウマは聞きなれない名前ですが、全長1-2mm程度のバッタともケラともつかない見た目をしており、こちらは幼虫だけでなく成虫も問題になります。たまねぎ、ねぎ、きゅうりなどを食害します。

寄生虫駆除剤としては、牛や豚などの線虫類駆除を目的に使われますが、一方で食肉中への残留が懸念されます。シオノギファーマ株式会社が製造するタイロシンは、屠殺の約ひと月前から投与してはいけないと定められています(https://www.vm.nval.go.jp/public/detail/5678)。

タイロシンもやはり環状エステルです(https://www.genome.jp/dbget-bin/www_bget?dr_ja:D02490)

こうして見ると、マクロライドは様々な角度から人間社会に貢献しているとわかります。ヒト健康、農業、畜産、いずれも重要なトピックです。のほほんと過ごしている人生の陰には、こういう化学物質たちの活躍があるのです。上述の薬剤耐性などの問題もあるので、一概にマクロライド万歳とも言えないのが難しいところですが、上手な付き合い方を考えていくのが肝要です。

以上、マクロライドのお話でした。

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