バランス〜調和
先日の聖書を読む会で出た話しを、思い巡らしています。
エフェソ1:4-5
私たちは、神によって、あらかじめ選ばれているのであるなら、私たちが福音を伝えることは、無意味なのでは?どう捉えたら良いのか…という話しになりました。
特に、参加した方々が心砕いているのは、子どもさんのこと。子どもさんたちに、信仰を持ってほしいと願っているものの、難しいという悩みもあってのことでした。
すべて、前もって神が決められているのだとすれば、では、なぜイエスは私たちに、すべての人々を弟子にして、教えを伝えるように、言ったのか…
子どもたちに、福音を伝えても、神が選んでいないのだとすれば、空しいのではないのか…
一体どう捉えたら良いのか、という問いでした。
時が満ちたときに、それぞれが答えを見出すのかもしれません。
私自身は、イエスさまが、私たちをこの世にお遣わしになっていると信じ、イエスさまの教えに従って歩むために、信仰を告白したので、1人でも多くの人に、神の愛、赦し、神との和解が伝わることを願って生きています。
一方、神に選ばれて救いにあずかったということも、常に心に留めておきたいことです。そうでなければ、自分の努力、行い、信仰などによって、救いにあずかることができた、と高慢に勘違いする誘惑に陥ってしまう弱さがあるからです。
すべて、神からの働きかけ、招き、「選び」が先ずあっての、いまの私があるということを、常に心に覚えておきたい。
ということを、思い巡らしていました。
偏るのではなく、バランス、調和の道を歩んで行きたい、のかな…
聖書を共に読んで、問いかけ、分かち合うことで、新たな思い巡らす機会が与えられました。こんな恵みを神に感謝です。また、そのような仲間を与えてくださることも、感謝です。