安心しなさい
今朝のオンライン聖書研究会では
ルカ8:40-56
を読んだ。
二つの話に十二という数字が共通しているのは、なんだろう。
イエス様は、現在(いま)私が触れても、力が出ていったと感じてくれるだろうか。ここに、イエス様の愛を感じた。
出血が止まらない女性は罪人って、レビ記だったかにあるけど、この女性が氣の毒。
出血の止まらないとか、長血を患う、って、英語の聖書では、内出血かもしれない英語だから、生理とはかぎらないかも。
レビ記では、出血の期間中は汚れているというだけで、罪人とは書かれていない。
レビ記は、元々は民を守るための律法。出血している女性の箇所は、現在で言うなら、コロナ感染者を隔離して、治ったら元の生活に戻っていいよ、っていうのと同じで、その人が悪いとか罪と言っている箇所ではない。
コロナ差別のように、感染した人が肩身の狭い思いをするような風潮になっている。当時のユダヤ人たちも、そのように同じ態度だったのではないのか。それをイエスは、「安心しなさい」と、みんなの前で癒されたことを宣言して、彼女の生活を回復させたのではないのだろうか。
と、
現代のコロナ禍にも通じる話しではないのか、ということで、盛り上がりました。