しんどかったね
つい先日の母との会話
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母「かあさんはさ、じいちゃんが厳しかったけぇね、ほら、『人に迷惑かけんさんな』って育てられたんよ。
それは、とうさんもおんなじ。
じゃけぇ、はるにも『人に迷惑かけんように』って言うとった
でも、それってなんかね、違うんじゃないかなって思うて」
私「そうねぇ、『人に迷惑かけんように』って結局、人の期待を満たすように生きるというか、基準が他人じゃけぇ、しんどいんよね」
母「そう、そうなんよねぇ」
私「うんー、」
母 「しんどかったね」
私「……そうじゃねぇ、ほいでも、それはかあさんもじゃろ
はるはいっぱい余白をもらっとったけぇね、好きにできる場所、ラボとかゆるぐとか
それと、いい子ちゃんやるんはしんどいって、ラボの自分より小さいこら見よって、いいよったじゃん?
わりと早いうちにそれがしんどいってはるは気づけたけぇ、よかったよ」
母「そうじゃね、いい子もね、しんどい」
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母が私の目をみて、弱く笑いながら言った
「しんどかったね」
瞬間に言葉がでなかった
ほんとうに様々な想いががそのひとことに乗っていて
泣きそうだった
私を大切にしたいという想い
私への申し訳なさ
母自身が抱え続けてきたしんどさ
傷
母自身への悼み
今まで育ててきた19年間への後悔
祖父への想い
父の傷への想い
信じてきたものを、自分の今までの選択を、間違っていたと認めることは、とてつもなくしんどいこと
それでも、私に、まるで謝るように
「しんどかったね」と母は言ってくれた
それは私だけでなく、母を解放したかもしれない
他人の期待を満たそうとすることは際限がない
なぜなら、他人の期待の充実度をはかる物差しは、私が想像で造り上げたものだからだ
ハリボテなのである
本人の物差しは本当には見えない
すべてが推測の世界
顔色をうかがい続ける不安や怯えは不健康だと思う
そして、他人の期待を満たすために自分の欲求を抑圧することも不健康だと思う
私たちはもっと自分本位に生きていいはずだ
そのためには適切なコミュニケーションと尊重が必要だけれど。