日記のメモ書き2022/11/05

書き留めるのすらサボってしまった。

広島に戻って、朝8時すぎくらいにおじいちゃんの家へ。
おもむろに席を立って、幾分か経って、戻ってくる
また、色々あったよって、数冊の本を差し出してくれる。
旧中島地区や江波についての詳しい本、いくつかの市町村の郷土史、原爆ドームについての本

「こういうのがね出ましたって新聞に出るじゃろう、それを見つけたらそこへ電話して買いよったんよ」
「いっぱい集めとるけど、なんで集めよう思ったん?」
「いつか、誰か読みたいいう人が居るじゃろう思うて」

って、読みたい人がここにおったねって。
じいちゃんが貸してくれた本を全部は読めていないけど、すべては読めずとも蔵書の整理だけでもしようとおもった。

積極的に語らないけど、なにか、残しておきたい気持ちがあるのかもしれないと思う

機銃掃射のはなし、どの辺りだったのかと父が訊ね、せっかくじゃけぇ見に行こうといって、天満川までみにいく
徒歩3分くらいか、たくさん遊んだ川だった様子、泳いだり、釣りをしたり

以前は飛行機が下から上へ通ったと言っていたけど、今回聞いた様子だと、バリバリバリーーーーッって音だけが石垣に反響して登ってきたというような話だった
江波山の射撃場の辺りで戦闘機が飛んでいたんだと思う、と。

川べりには竹屋さんがあって、川に竹を浮かせていたらしい。その竹に器用に乗って、できるだけ深いところで釣りをしようとしたとか、
台風の時に木製の橋が崩れて、ひとり、自転車に乗ってたひとが助かったんだけど自転車が流されたとか、でも増水した川からだから土手からでも届くところに水面があって引き上げられたとか。結局橋も流れて石垣にぶつかって石垣がへこんだとか
結構な出来事も風景もおじいちゃんの頭の中にはあるのだと思った
何層にも重なって風景が見えている

わたしがめざしているのは、私の今見ている景色にも、おじいちゃんのもっているレイヤーにできる限り近いフィルムを重ねて見るということ
どんな服装で、だれと遊んでたんだろう?通りがかる人はどんな様子だったんだろう

曇っていて結構冷えたので、早々とお家に帰って家下段の花壇の補強などし、ちょっとお喋りして帰る

さて、17時からは『二重のまち/交代地のうたを編む』を観るために横側シネマへ。瀬尾さんとおひさしぶりをし、小森さんにごあいさつ。

そして瀬尾さんのお知り合いの、ヒロシマ・フィールドワーク委員会の方に出会う。ちょうど今朝おじいちゃんが出してきてくれた中に、この委員会の出版した本があったのを思い出してびっくり。
驚きすぎてうまくしゃべれず、映画の冒頭まで一人反省会をしてしまって、ブンブンと頭を振って、今考えても仕方ないと言い聞かせて画面に集中する

以前観たときよりも、東北の風景や温度をなんとなく肌に近く感じられた
言いよどみ、言えなさ
曾祖母のメモの中で「胸がつかえて、書くことが出来ません」という1行がたしかに、わたしにぐっと感触を伝えたのだったと思う、その切実さ

トークも含めて、
自分のポジションを探り、揺れ、葛藤するからだ
聞くだけでなく、はなしを引き受けて、表現するからこその、ゆらぎ
改めて感じた

して、11歳の説を聞いて、それは無傷の傷とつながっているかもしれないと思った

そして、途方もない断絶と、それを目の前にして近づこうとする、そこにああるズレや空白を隠さないこと、都合良くしないこと

自分が、原爆の伝え方を考え直したいと改めて思った原点はココだったきがする、いつからそこに気持ちが向いていたのか、分からないけれど

終演後のメモ書き

飲みに行った帰りに、アイスを買って、ほろ酔いで防潮堤に上がって、話したのを思い出した。
海も見えない真っ暗闇に、潮のにおいと、波のぶつかるおと。
気仙沼のよる、海がいちばんこわかった。
それを、思い出した。

雪っこ、消防団のひと呑んでたんだね、きっと

けいじさんや、未来や、あそさんや、藤田さんの顔が浮かんだ。
いちごのビニールハウス、カーテンと盗まれた話、

地元出身の子と車で走ったのも思い出した、ぎこちなさ



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