日記のメモ書き2022/08/29
一昨日、おじいちゃんへの手紙を清書し終えて出しました
封を閉じるのもドキドキする、本当にこれでよいのだろうか、この文面でよかったか、そもそも手紙で良かったのか
手紙にしたのは、高齢の祖父母にとって電話ではもう話を聞き取りづらいので、伝えたいことを伝えきれないだろうと考えたから
また遠方に住んでいるので、直接言って今から聞きます、というのは横暴だし、準備の時間をつくれないからできないし、父母伝いに言うのよりも調節言った方がよいように思えたから
『なぜ戦争をえがくのか』を読み始める
わたしはなぜ戦争をえがく人々に加わろうとしているのか
やっぱり、調べつくしていくこと(調べつくせない・圧倒的にわからないことを目の前にしながら)
ということが大事なんだと思う
わたしはその切実さにまだ至っていない
これはわたしのためにやっているということ
戦争や平和を扱っているひとはたくさんいて、その中でわたしは
どのように居るか
メッセージや大声のスローガンのためではなく
ひとりのひととして、居たいのちへの尊厳
祈りと弔い、悼み
色んな人に関わるほどにそういう自分のポジションの取り方がズレそうで怖い
代弁したいのではないし、簡単に「平和」を求めてとかいうのではなくて
その手前のひとりひとり生きているを考えたい
蠢き・抗い
戦争体験を聴く・考える場をつくっていくよって投稿したら、たくさんのひとが反応してくれていて、
ああ気にかかっているひともいるのだと嬉しく思う
高橋源一郎の飛ぶ教室を聴く
太宰が戦時に作品を書いていたこと、抵抗しているようなことばたち
なんと
ことばが息をできるように抗っていたというか
ことばが大事だ
奪われたら恐ろしいこと
どういうことばで話していくか
改めて考えている必要があると思った
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