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飄々と

仮にゼロになったとしても、ゼロではありません。
仮に全てを失ったように思えても、目の前の現象がそのように見えたとしても、何も失ってなどいないのです。

無風になったとしても、風という存在が消えることがないように。

泣いても、涙は枯れません。
泣くことは、時には美しいものです。
だからといって、泣くことが素晴らしいというわけでもありません。
儚さとは、夢見です。
それ以上でも、それ以下でもありません。

落ち込む時には、夜風を感じながら、落ち込むことにケリをつけなければなりません。
あなたが落ち込んでいるのではないのです。

あなたが喜びに夢中になっている時、喜んでいるのはあなたではありません。

あなたは無です。
あなたはいないのです。
そして、ただ”あなた=真我”だけが実在しています。

あなたが消えるように思えても、あなたが消えることはありません。
消えるのは夢だけです。
あなたはそもそもいません。
いないものは、現れてもいません。
だから、いつも問うてください、「私は何か?」と。

聖なる書物を読みなさい。
行為をしながら、瞑想していなさい。
いつでも、あなた自身でありなさい。
でも、真面目(深刻)になり過ぎてはいけません。
神はそれで、笑いません。
あなたが笑っている時、神もまた、笑っているのです。

真剣さには楽しみが必要です。
が、ただ楽しいだけでは、人はすぐに堕落してしまうでしょう。
楽しさには、真剣さが伴っていなければならないのです。
そして、真剣さにこそ、楽しさがあるのです。

愚者の心は鉛のように凝り固まり、水のようになめらかではありません。
それは氷のように冷たいものです。
だから、削られることを恐れるのです。
水のように柔軟な心には、素直さと謙虚さがあります。
自分の欲しいものだけを欲しがり、自分に必要なものは「これだ」と決めてかかる心に光が入ることはありません。
心のドアは閉まっており、鍵がかけられています。
その心は常に、裁きながら、裁かれることを恐れています。
自分が全てを知っているかのように。

私は何も知らない。
この叡智の光が注がれますように。
私は何も知らない。
そんな川の流れのような心だけが、神に愛されることでしょう。

純粋無垢とは、神の子の名前です。

人生は、うまくいきません。
だから、あるがままに生きましょう。
人生はあなたの思い通りにはなりません。
だから、それは人生を担当するその仕事人に任せておけば良いのです。
人生は、うまくいかず、思い通りにもなりません。
欲しいものばかりがやってくるわけではなく、いらないものばかりを受け取る羽目にもなります。
が、その「いらないもの」こそ、その時のあなたにとって最も大事なものだとしたら?
人生とは、自分には知らないことばかりなのです。
そして、そこに秘密の鍵が隠されています。
もっとも、見つけにくいマスターキーが。

知ろうとすることは悪いことではありませんが、「私は知っている」とならないように。
結論を出せば、もう終わりです。
あなたはどこにも行けません。
純粋無垢な子供が知っている結論とはいったい何でしょうか?


人生は、うまくはいきません。
それが、あなたのためなのです。
それでいいのです。
人生は、うまくいきません。
そこに、愛がひっそりと隠れていることをわかってください。

初めての出会いに、川の流れのように。
別れの時に、夜風のように。
苦難の時には、夜空に輝く星たちのように。

あなたは笑いません。
神も笑いません。
あなたはいつも喜びに満ちているだけで、神もまた、そうです。
笑っているのは、あなたではありません。
悲しむのも、あなたではないのです。

あなたが、一度でも傷ついたことがあるでしょうか?
今、確かめてごらんなさい。
ほら、あなたの心のどこにも、傷などないのです。

あなたが何度も「私は苦しい」と言ってきたとしても、あなたは一度も苦しんだことがないのです。
ほら、その苦しみが今、どこにありますか?
しっかりと確かめるのです。

トラウマ?
そんなものはどこにも存在してなどいません。
あなたが今、それを考えているだけのことです。
しかしながら、その考えでさえ、今この瞬間、全く実在していないのです。

過去を癒そうとするなら、今です。
今しか、時間と空間の世界を癒すことはできません。
過去を癒すのに、過去は必要ありません。
時間は必要ないのです。
記憶すら、必要ありません。
時間や空間や、記憶や情報や、そんなものたちを用いても、絵画のマッチが決して実際に火をつけることができないように、存在しないものたちが存在しないものを解決することはできないのです。

闇を消すには、どうすればいいのか?
光を灯すだけで良いのです。

あなたが、一度でも、何かを失ったことがあるでしょうか?
今、確かめてごらんなさい。
ほら、あなたの心のどこにも、失ったものなどないのです。

存在しないものは、はじめから存在していません。
現れたものは、消えます。
それはそもそも存在していないからです。

生まれたものは、死にます。
生まれたなら、それは実在ではなかったのです。
新しく生まれたものは、すでに存在していないのです。
死ぬなら、それはそもそも、実在ではなかったのです。

現れては消え去るものは、実体がありません。
それは実存していなかったのです。

けれども泣き叫ぶのは、それがあなたの作品だからに他なりません。
が、あなたはその作品を、ただ自分のためだけに作り出したのです。

笑ったのは、夢です。
泣いたのも、夢です。
神の中に、「儚さ」はありません。
神は、曖昧で不安定な存在ではないからです。

安らぎをどうして嫌うのでしょうか?
安心を、どうして避けたいのでしょう?
愛から、なぜ、遠ざかるのか?

あなたが自分のことを、曖昧で不安定な存在だと思うなら、そのあなた=自分は、そもそもいないのです。
水面にキラキラと陽光が反射しても、その光は反射でしかないように。
水面の星たちが消えても、天上の光が消えることはありません。

人生は、うまくはいきません。
それが、あなたのためなのです。
人生は、うまくいきません。
それでいいのです。
そこに、愛がひっそりと隠れていることをわかってください。

初めての出会いに、川の流れのように。
別れの時に、夜風のように。
苦難の時には、見上げた夜空に輝く星たちのように。

ゼロは、ゼロではありません。
無は、無ではないのです。
あなたがひどく落ち込んだ時、夜風を感じながら、落ち込みが幻想であることを知ってください。
あなたがひどく悲しくなり、もう嫌で嫌で仕方がなくなる時、夜風を感じながら、それがいっときの儚い、無に等しい時間であることを知ってください。

時間と空間は、神に触れることも、影響を与えることもできないのです。

それでも、夜風との触れ合いに、神を感じてください。
風が吹く時も、吹かない静寂の時も、何も変わらぬ美しさに沐浴してください。
あなたを清めるのは水ではなく、神の光です。
治癒は、神癒でなければなりません。
あなたを清めるのは水でもセージでもなく、あなた自身です。

川の流れのように、柔軟に。
夜風のように、離れても、離れていないように。
神はいるのに、この世界ではいつも、いないふりをするのが大好きです。
子供たちは親のいない間にはしゃぎますが、帰りを恐れています。
けれども、あなたは帰ってくるのを待ち望む子供であるように。

子供たちは好き勝手にやらかし放題で、そうしておいて、両親の帰りを待ち侘びます。きれいに治めて欲しいのです。
けれども、あなたは自分でそうするように。
それがきっと、大人になることです。

人生は、うまくはいきません。
それが、あなたのためなのです。
人生は、うまくいきません。
それでいいのです。
そこに、愛がひっそりと隠れていることをわかってください。

初めての出会いに、川の流れのように。
別れの時に、夜風のように。
苦難の時には、夜空に輝く星たちのように。

夜風に吹かれながら、森の中でひっそりと眠る動物たちのように、安らかに。

時には、森の中で聖典を読みましょう。
時には、近くの公園の、噴水のそばで読書をしましょう。
時には、騒がしい街中でこそ、瞑想するのです。
カフェで、真理を見てください。
仕事場に、真理をもたらしてください。
水の中に、笑顔や悲しみの表情の中に。

あなたがいなければ、夜風も虚しいのです。
あなたがいなければ、朝日さえ、昇っていません。
あなたがいなければ、キラキラと光る星空は、いったい誰のために輝いているのか?

人生は、うまくはいきません。
それが、あなたのためなのです。
人生は、うまくいきません。
それでいいのです。
そこに、愛がひっそりと隠れていることをわかってください。

初めての出会いに、川の流れのように。
別れの時に、夜風のように。
苦難の時には、夜空に輝く星たちのように。

あなたが見ているのは、あなた自身なのですから。
あなたが出会っているのは、あなた自身なのですから。


OM


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