2024/08講話
自己を知ることは、全てを知ることです。
「神」という名前、文字、言葉は、あくまでも「神」という名前、文字、言葉であり、その名前を付けられている”それ”、その”実体”、その”それ”は全ての全てであり、自己を知ることは”それ”を知るということです。
あなたは全てであり、全てはあなた自身だからです。
あなたがいてはじめて、あなたの知覚する世界があります。
知覚する者無しに、知覚される対象は存在できません。
音楽が、聴く者無しに存在する意味がないように。
これは心のレベルでの内容です。
対象とは、知覚する主体があって初めて意味を持つものであり、意味がないものは存在できません。
つまり、このように言うこともできるでしょう。
知覚される対象とは、知覚する者にとってのみ、意味を持っている、と。
あるいはまた、その知覚される対象の意味とは、知覚する者が付与している「意味」でしかないのです。
すなわち、知覚される対象の産みの親、つまり創造者とは、誰になるのでしょうか?
見られるものとは、見る者の中身です。
見る者がいて初めて、見られるものが存在します。
見られるものとは、見る者そのものであり、その見る者でさえ、実は見られるものであり、実際に見られなければ、この謎は解けません。
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