ハイデッガー ガダマー レーヴィット
Dasein In - der - Welt
レーヴィットは彼の著書『欠乏の時代に考える人der Denker in Dürftiger Zeit』中でハイデッガーの信仰について、批判した。 以前の投稿 カール レーヴィット参照
ガダマーはHermeneutikを Sprechen Gespräch 話す 会話の中で、言葉の誕生について語っているが、ここで(キリスト教における)神については一言も触れていない。それどころか、カントのFreiheit 自由の概念についても神の存在をまるで無視しているようだ。カントは神の存在を証明するが為に、philosophieren 哲学的思考を重ねていたのだけれど。だからこそ神の存在の無い考えは 無いのだけれど。
ガダマーのインタビューで信仰について聞いた事がある。ガダマー曰く 「人は5歳になる頃迄に、信仰について教えられ、親しんだりしていないと信仰心は育た無い」 彼は幼い時母親を亡くしているので、彼に経験からの言葉の様だった。だからかもしれ無いが、ガダマーはハイデッガーの『Sein und Zeit』を批判していなかったし、上記の様な解釈もしているのだろうか。
西洋哲学Abendländische Philosophie- 直訳だと夜の国の哲学❗️ はキリスト教無しには考えられないのだが。勿論初期ギリシャ哲学においてはキリスト教は存在していなかったけれど、Hermeneutik解釈学を最初に使った シュライヤーマッハーは ギリシャ哲学にあるキリスト教の起源を引き出したいが為に、解釈学を確立したくらいなのだが。
ガダマーのHermeneutik解釈学についても、個人的にいまひとつこれだ!と自分でüberzeugen (何人にも左右されず自身で確信を持ってこうだと信じる、思う事)できないのは こういう所に起因しているのかと考えている。
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