
オリジナル曲を作ろうと思った理由
クラシックをやめたとき、今まで一人で歌ってきた歌を真剣にやってみようと思った。まずはできることをと思い、通信教育のボーカルコースを申し込んだ。それは自分の歌を録音して送るというものだった。それに対する成績表と録音された先生のコメントが送られてくる。今みたいにネットでなんでもできる時代じゃなかったのでかなりアナログだ。
評価はいつもリズムの項目がBで、私はどんだけリズム感ないんだって苦笑していたが、その先生が最後にステキな言葉をくれたのだ。シンガーソングライターをされている方だったと思う。
「審査員をしているとみんなマネして同じ歌い方になっている(その頃宇多田ヒカルが流行っていた)。あなたは違う。個性がある。いろんな音楽を知っているあなたなら自分で曲を作れる。ぜひやってみてほしい。またお耳にかかれる日を楽しみにしている。」
その頃の私にはとても自分ができるとは思えなかった。しかしその言葉は深く私に刺さった。種は撒かれたのだ。
次に私が行ったのは、とあるミュージックスクールだった。そこでは各コースから集まってバンドを組ませるイベントがあった。ライブハウスでロックを歌うのは爽快だった。誰も細かい指導なんてしない。一番を取ったご褒美にスタジオで録音してもらいCDにしてくれた。
いよいよ曲を作ろうと思ったのはその後だ。
そのイベントの後、違う人に誘われて参加したバンドでオリジナル曲を渡されたが、全然自分の趣味ではないしまずキーが合わなかった。しかもその人は最優秀を取ったとき一緒に演奏したすごく上手なギターの子の悪口を言っていた。一回練習に行っただけでやめた。やっぱり先生が言ったように自分で作らないとダメだと悟った。
もともと妹のデタラメな歌詞にメロディをつけて笑いながら遊んでいたこともあり、意外とすぐできた。でもいいのか悪いのかよく分からない。その頃通っていてすぐやめたギター教室で先生に聴かせたら、デモテープとして使えるレベルと言われた。でも自分にはいいと思えなかった。というか恥ずかしすぎた。自分をさらけだすような感覚だった。
三曲作ったところでやめてしまった。
それから長い年月が経ち、クラシックを再開したりまた絶望したりする中で、やめていた歌を始めようと思った。私は情熱を注げるものがないダメなんだと思う。その時の熱量が生きる気力になるのだ。
まずはカバーから始めた。YouTubeとの出会いは希望だった。これなら一人でできる。周りに振り回されたり我慢する必要なく自分の道を進めるのだ。ブログも始めてカバー曲を公開した。今のやり方の原点はここだ。
しかしまた私はやめてしまうのだ。再びクラシックに人生をかけ始めていた。
いつも二つの道を同時に進み中途半端な私が変わったのは、井上ジョーさんとの出会いだった。すばらしいアーティストなのだが、気さくに生配信で交流してくれる。次第に共感というより共鳴みたいな状態になった。自分と似てるものを感じたんだと思う。能力も性格も全然違うのに。
ある日、彼の「歌は全部自分で作らないといけない」という言葉に衝撃を受けた。作詞作曲ミキシング、すべてをこなす彼の言葉ほど強いものはなかった。昔先生に言われてそのままになっていた宿題を思い出した。
自分で作れって言われたじゃないか。私は何をやっているんだ。
自分をさらけだすのが怖いんだ。弱い自分を。でもやるんだ。
ふと気づいた。私はすごいものを作らなくてもいいんだ。日記のように書いてみようじゃないかと。そこからは早かった。すぐできた。録音はしんどかった。声に出して形にするから自己否定との戦いだった。さらに公開するときの絶望。でもやると決めたら私はやるんだ。
始めの一歩が一番つらいんだ。始めてしまえばあとはもう繰り返すだけ。技術は後からついてくる。
やらないでいて心の奥でくすぶっている火種は、忘れたつもりでも消えてない。その時を待ってるだけ。
やるべきときがきたら火は再び燃え始める。
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