ぼくらの100日モラトリアム(99/100になるはずだった日)
24日未明、病院到着までの日記はこちらから。
10月24日(火)
午前1時過ぎに分娩室に通されたが、人は誰もいなかった。人がいないどころか照明が消えており、助産師さんは電気をぱちぱちとつけながら部屋に入っていく。
結局、私が分娩台に移るまでの間に他の妊婦が運ばれてくることはなく、部屋はずっと私の貸し切りだった。
そんな状態だからか、助産師さん三名が入れ替わり立ち代わりつきっきりで様子を見てくれている。全ての時間を通して、ほぼ誰かしらが側についてくれるおかげで、逆に数分(実際はどのくらいだったんだろう)席を外されただけで心細くて仕方ない。
他にお産中の人がいたら、こんな待遇は受けられなかったんだろうか。メインでついてくれた助産師さんはまだ経験が浅そうな感もあり、もしかしたら病院側も、ちょうど暇な時に複雑な処置を要しない良い実験台が来たと思っていたかもしれない。
どうにせよ、初めての出産に対する当然の不安があり、夜の病院は静かで怖いこともあり、とにかくありがたい。
痛みから気を逸らしたい一心で、助産師さんとの会話を試みる。コミュ障なのに。
「今日は他にお産の方はいないんですか」と聞くと、いないとの答え。この病院の産科はそれなり有名なので、誰もいないことが意外に感じる。
そもそも私の想定では、初産は遅れるということと、満月の日に出産が増えるという通説から、予定日から四日後の満月の日に産気づくはずだった。満月の夜の分娩室はもっと混雑していて、野戦病院みたいな雰囲気でのお産になるだろうことを信じてやまなかった(そして、それが私のお産に対するスタンダードなイメージだった)。
それなのに予想に反し、静かにお産は始まってしまったのだった。
ところで時間は前後して、出産直後の話をする。産後処置の終了後、入院する部屋の準備が出来るまで、分娩室に戻って待機する時間があった時のことだ。
その時の分娩室の様相は、私がいたほんの数時間前と全然違っていた。私が来た時にはがらんどうだった部屋内のブースは、すべてカーテンがひかれており、満員御礼だ。各部屋から漏れ聞こえてくる声から推察すると、みなお産に臨んでいるらしい。
しかし、私の時とは決定的に全然違うことがあった。つまり彼女らは無痛分娩組(余談だが、通っていた病院では「和通分娩」と呼んでいた)のようで、「いつ促進剤を入れようか」とか「今日は(お産が)進みそうにないから、一旦帰ろうか」とかの話をしており、私みたいに突如夜中夫を叩き起して車を出させ、唸りながら赤子を捻りだす人間は(少なくともこの病院では)かなりの少数派なのではないか、とその時思い至った。
時間を陣痛の最中に戻す。
痛みはどんどんと増していくが、前述のとおり、基本的には助産師さんが一人ついていて、何かのモニタを見ながら腰をさすってくれたりして心強い。
最初は下腹部に来ていた痛みが、下に下にと尻の方へ移動していく。たとえでよく見た重い生理痛の痛み、これだあ。
読んでいたお産体験記では「息を吐くときが痛い」と書いてあるものがあり、その時は意味が分からなかったけど、今はめちゃくちゃわかる。わかりました。わかりみがすぎる。
なのに、産道を開けるためには痛みに耐え、雄大なロングブレスを吐かなくてはならないらしい。正直しんどい。
呼吸方法と「産道を開ける」という目的がピンと結びつかなくて、重要度がわかりにくいのもつらい。なんでロングブレスすると産道が開くわけ?
何考えないように呼吸の数を数えたり、「産道を柔らかくするために、子宮口が開くまでは呼吸が大事なんですよ」と言われたことを受け、気を逸らすためにも陣痛の波のたびに「フカフカになあれ!フカフカになあれ!」などとぱっぱらぱーな文言を脳内で唱えてみたりするも、しんどいオブしんどい。
絶対自然分娩なんて後悔するだろうと思っていたけれど、めちゃくちゃ後悔してる。右肩の蝶より後悔してる。まぁするだろうと思って選んでるんだから被虐趣味とも言える。……言えるか?
ふと「ソシャゲのイベント、ここで走れればかなり楽になるな……」とカバンに入れたままのスマホが気になった。
だけどほぼ5分ごとに痛みと戦っていたこの頃、進まない時計を見るのがメンタルに悪そうだったのでやめる。そもそも衛生的にどうなのかもわからなかったし(だけど後々「スマホ近くに置きますか?」と聞かれて、「ありだったのか……」となる)。
結果的に、時間がわからなかったことは良かったと思う。
夜だったのが幸いした。昼だったらみんなやってるだろうから、とゲームをプレイしようとしていただろう。
空も白み始めた頃(とはいえ何時かはわからない)、ようやく産道が9cm(MAX10cmで次のフェーズへ進む)になり、出産に立ち会ってもらうため一度家に帰った夫を呼んでもらうことになった。
マイペースな夫のことだ、グースカ寝ていて着信に気付かないんじゃないか。寝てるとわかったら私はガッカリしてしまうに違いないので、助産師さんに自ら「夫は寝てると思うんですけど、連絡に気付くかなw」などと自虐的に話し掛けた。
しかし駆けつけた夫は「よく眠れなかった」と言っており、ほっとしたようなきゅんとしたような話盛ってるんじゃないだろうなと疑うようなよくわからない気持ちになる。
夫が病院に着いた時間は、結局何時だったんだろう。
というかドラマだと、いわゆる分娩台にあがっていよいよ産まれるという場面に夫がギリギリ息せき切って到着して……みたいな場面が立ち会い出産のシンボルとされていることが多いので、私もその時まではそういうものかと思っていた。
しかし実際は夫は余裕を持って呼び出され、到着から分娩台に移るまでの時間もそこそこかかった。病院着いてから長かっただろうな……。
時間が経つにつれて緩い呼吸を維持することが難しく、いきみたい気持ちが強くなる。私は助産師さんに「子宮口9cmと10cmってそんなに違うものなんですか。たったの1cmじゃないですか」と文句を垂れた。すると「その1cmは、まっすぐな道ができるかできないかのとても大切な1cmなんですよ」と諭された。
そうなんだ? 何とかの1mmってやつもあったよなあ、その10倍と考えれば仕方ないか……と朦朧とする意識が辻褄をこじつける。
しかし、それならもっと人体を余裕のある作りにすれば良かったと思うな。そもそも多産型の生き物ではないとはいえ。全知全能の創造主は、想像力と思いやりが足りない。生物学上の性別はナシというけれど、絶対男だろうあの主。ヘイトヘイト。
何とか子宮口が10cmに達し、いよいよいきむ段階に進むことに。体感ではこの9cm→10cmが心底長かったので、それを達成したことで安心してしまったのか、本来間隔が狭まるべき陣痛の波の間隔が広がってしまった。
そのため、陣痛が進みやすいという座り体勢を作るため、ベッドを起こしていきみを続ける。だが、そもそもいきみのコツがなかなか掴めなくて、何度も何度も指導を受ける。
何度か「私いきむの下手ですよね?」と聞いたが、そんなことはないという返答ばかり。おそらく、この局面で産婦を不安がらせても仕方ないということもあるだろうと思ったが、個人的には「下手です!」と言ってもらった方が修正の仕様があるというか、正しいやり方を掴みたかったのでキッパリと言ってほしかった。結局、合ってたのか間違ってたのかわからずじまいだ。
最後までベッド上ではうまくいきむことが出来ずに、じりじりとした時間を過ごした。
ベッドに座っていきみを続けている最中、助産師さんが朝食のトレイを持って現れ、食べるかと聞いてきた(次の日、この病院の朝食の時間を知り「ああ、この時は朝7時だったのだ」と知る)。
そういえば私は、入院案内に載っていた「陣痛中も栄養補給のため、おやつを食べることができます」という言葉を、なぜかえらく楽しみにしていたのだった。旅行の道中に電車内でおやつを食べる感覚というか、大晦日に年越しを待ちながらおやつを食べる感覚というか、そんな、いつも食べない時間におやつを食す非日常感というか、妊娠中とにかく甘いものを欲していた名残なのかもしれないけれど、とにかく楽しみにしていたのだ。
遅々として入院準備が進まない中でもダークチョコレートとビスコはいそいそと用意して、早くからスーツケースに滑り込ませていた。
でも陣痛が始まってからこれまで、そんなもんを食べる余裕どころか取り出す余裕さえ一切なかった。それに気付く余裕もなかった。
目の前に食べ物を差し出されたことでその欲望を思い出した私は、是が非でも「陣痛中におやつを食べる」というミッションを達成したいと思ってしまった。食事には本来執着がないのにもかかわらず。いや、だからこそなのかもしれない。もう食べ物のことしか考えられない。食べたい。食べたい。何か食べたい。何でもいいから何か食べたい!
しかしマトモに呼吸をするのも苦しい状況だったので、何とか食べられそうな果物入りヨーグルトと野菜ジュースのパックだけ分けていただくことにした。夜中にお産が始まったせいか、そこまでお腹が空いてなかった所為もある。
ちなみに、私が取った残り(パンやおかずなど)を夫が勧められていたが、夫は断っていた。入院しないあなたは病院食を食べる機会はないんだから、せっかくだから食べればよかったのに。
この頃には2分間隔で強い陣痛が来ており、口呼吸でなんとか息を繋いでいる。
先ほどもらったヨーグルトも、一度口の前まで持っていってハーハー言いながら数秒待機、強い波が来ないのを確認したところで急いで口に含む。味のある物を口に入れたことで、長時間の口呼吸によって口内がべたつきかさつき、気持ち悪い状態であることに気付いてしまって少し嫌な気持ちになる。
この時ついてもらっていたメインの助産師さんには「(ハーハーという呼吸がフーフーしているみたいで)熱いスープを飲んでるみたいですね!」と言われる。たぶんウィットに富んだ励まし。
なお、朝食を持ってきてくれた助産師さんには、産後「あの状態で朝食食べる人いないですよ! 元気な妊婦さんでしたね!」と言われたが、じゃあそもそもなぜ勧めたし!
陣痛をもっと進めようとするも、なかなか次のステップにすすめない。再三に渡る内診の結果、破水はまだだが羊膜?がすぐそこまで来ているため、破水を人工的に行うかはともかく、分娩台にあがってスパートをかけることになった。
ドラマやマンガだと、妊婦さんは病院外の至る所で破水しており、破水→病院のケースがそれなりの割合で存在するのかと思っていたけれど、違うのか。なかなか破水しないなんてこともありえるのか。人工的に、って、実際今当該部はどういう状況なんだろうか?
というか、フィクションから得た妊娠・出産の知識と現実にかなり乖離があるけど、ドラマやマンガの妊娠・出産ってかなり記号化されてるんだな……。
自力では分娩台に移動できそうになかったので「分娩台まで歩きですか? ちょっと一人で歩けそうにないんですけど……」と聞いてみると、寝た姿勢のまま(今まで座っていきんでいたので)、ベッドごと分娩台のある向かいの部屋に移動するとのこと。そこはスパルタじゃないんだ。
ああ、天井の模様と自分の両脇にそびえる人が動くこの景色、急性胃腸炎で救急車乗った(担架に乗った)時も観たな…という謎のノスタルジーを感じる。
「もう後半戦とはいえ、分娩台が1番痛いんでしょう?」と助産師さんに聞いたら、「いきみの痛さはこれまでの陣痛の痛さとは違う痛さですよ」と言われ、嬉しいような悲しいような。
これからは骨がゴリゴリする痛みなんだそうだ。今までの痛みは一体なんの痛みだったというのか。
分娩台に乗ってから、何度目かのいきみで破水。ぱしゃんと水がはじけたのがわかった(人工的なのか、自然に割れたのかはわからず)。しっかりとおしりがベッドについていた時より、おしりの下に何もない今の方が力をこめやすい。さよなら私の水槽。
誤解を招く言葉だが、さっきはベッドで無理におもらしを強要されているような気分で、いまいち力が入れずらかったんだよね。
赤ちゃんの頭が見えてきましたよ、というので「髪の毛は生えてますか?」と聞く。ハゲの家系なので。
すると「生えてますよー、見ます?」と助産師さんに手鏡をチラつかせられる。え……自分の下なんて見たくない……と躊躇っていると「今しか見れないので見た方がいいですよ! 行きまーす」と半強制的に、髪の毛の生えた頭が自分から覗いているところを見せてもらう。なんかいる。なんかいた。あれ今から出てくるの? ていうか髪の毛生えてるけど薄いじゃん!
そんな感想に加え、VIO脱毛しといて良かったな……清潔感大事……という感想を抱く。妊娠発覚で中断したから完了はしてないけど、通えるようになったらちゃんと再開しよう。
(ちなみに夫氏は頭側に立っていながら私からせり出すゲンコツ大の頭部を目撃出来たらしい。 )
7時45分を過ぎた頃、この感じなら8時台には産まれるね、と言われたので「前半ですか?! 後半ですか?!」と聞く。この前半と後半には雲泥の差がある。後半ならあと一時間近くもしんどいじゃん。
しかし「いきみ方によるね!」と言われ、ベットよりいきめてる自覚はあるものの自信が無い。
そしてそんな修羅場の中、病院にうちの親から電話。ほんと待てないなあの母。なすがままに私に腕を掴ませていた夫が、電話対応のため分娩室から出ていってしまい心細い。夫の腕を掴んでいたいタイミングに差し掛かっているのに、ろくなことしやがらねぇ。
お産はクライマックスに進んでいく。頭を出している時は、骨がメリメリ言うような感覚だったけれど、そこから先は体に負担をかけないように強くいきまず、呼吸で押し出すのが良いらしかった。が、最後の最後が痛すぎる。
今までは下に向かって(トイレで大をするように)いきんで、と言われていたが、この最終局面、尿道の方まで押される感覚があり、いやもうそれ無理上側は無理だよ裂けるわ痛い痛い痛いから早く出したくて仕方ないのに、医療従事者全員にダメだと制止され、補助に入ってきた助産師さんに「私の目を見て、息の仕方真似してね」とリードをしてもらいながら、悲鳴のような呼吸を続ける。
分娩台に付いているいきむときに掴むための取っ手を掴んでいると力が入ってしまうので、最後はずっと夫氏の手を握っていた。
そして最後、どろんと何か出た、と思うと同時に間髪入れずに赤子の泣き声が聞こえてきて「ああ好きな声だ」と思った。泣いてる。良かった。目の奥にズーンと響く感覚で、あの声、なのかあの衝撃なのかはわからないけどきっとずっと忘れない。
夫はそれからテキパキ処置されていく赤子の様子を見せてもらっている。私は即産後処置に移行して、身動きが取れない。ああ、それ私もnoteのネタにするために記録に残すために見たいのに……。
聞こえてくる言葉から察するに、胎便というお腹の中で食べたうんちがいっぱい出ているらしい。処理し終わっても次、処理し終わっても次と助産師さんの手を焼かせていた。よくぞまぁ羊水のなかでそれだけ食べたな。まぁその栄養源を食べたのは私か。
痛みと患部から目と気を逸らしながらそれらを横目で眺めていると、夫がハンカチを握っていることに気付く。処理の何かを手伝わされて手が汚れたのかな、と思っていたが、後で聞いたら感極まって涙が滲んでいたらしい。かわいいやつめ。
産後処置では、胎盤の処理でお腹を押されたり下の方の骨を押されたりする。その度に勢いのない悲鳴のような声が出てしまう。さっきまでより格段に痛くないというのに。
「赤子のためには頑張れても自分のためには我慢できません! 声うるさくてすみません!」と叫ぶように謝る。
少し裂けてしまった下を縫われる。私は医療漫画をとてもよく読むので、(あの針と糸、医療漫画でよく見るやつ!)と不覚にもテンションがあがる。
しかしすぐ局所麻酔をぷすぷす打たれ、(注射! イタイ! キライ!(だから無痛分娩すらも避けたというのに))となったり、私の固い股関節は限界を超えて力が入らなくなった。
そんな処置をされたりなんだり(写真を撮ったり、はじめての添い寝をしたり)しながら、1時間くらい夫と赤子と3人でまったりする。自分の産んだ胎盤を見せてもらったが、思った以上に大きくて色艶はスーパーとかで売ってるモツだったので、まさか自分から出たものだとは思えなかった。
仕方ないので、母にLINE通話をして出産報告。看護師さんも母も、夫似の赤子だねと言うので少し不満。男の子は女親に似るってよくいわれるのに何たる仕打ちか。こんなに頑張って産んだのによお!
夫退室後も私は分娩台のある部屋に残り、赤子とマンツーマンで待機。ほっぺたが柔らかすぎて永遠にぷにぷにする。
生まれたてはもっとくしゃくしゃの顔をしているだろうと予想していたけど、既にそこそこ出来上がっているように見えた。既に夫に似ている、まあわからないでもないんだよな。だから余計に悔しいのだが。
赤子は私から顔を背ける方向に向いていて、代わり映えのない後ろ頭を眺めるのに横を向き続けているのが辛い。かといって、力が入らなくて自分の体勢を変えることもできず、もちろん扱ったことのない赤子の体勢を変えることも怖くてできない。首が痛くなってきたので赤子の後頭部を眺めるのをやめ、何とか動く腕で何人かに報告のLINEを送ることにした。
それから私は、半日ぶりにソシャゲのアイコンをタップした。
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