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ぼくらの100日モラトリアム(98/100)

9日前(10月17日・火)

朝からホットケーキを三枚焼く。店で出てくるもののように三枚重ねてテンションを上げたはいいものの、食べ始めたら二枚分も食べられなかった。
残った分はラップに包んで冷凍する。

いよいよ予定日まで十日を切ったので、夫氏と再度命名についての話し合い(果し合い?)を行う。
はじめの話し合いで私の温めていた案を一蹴されてから、次もどんな案も否定されるのでは、という気持ちで、本当に話し合うのが気乗りしない。小説書きの私にとって、小説を書く時登場人物の名前を決めることからはじめる私にとって、名付けとは、とても楽しくて意味を吹き込む大切な行為なのに。
夫は夫で、数少ない(だが彼なりに一生懸命考えた)案にいい反応がもらえないことは相当なストレスのようで、だからここまで伸び伸びになってしまった。

でも、もういつ何が起こってもおかしくない。候補は決めておかなければ。
前回までのあらすじ的には、画数と音と使う漢字全てに意味を求める夫と、秋生まれだから読みに「あき」か「しゅう」を入れたい&直観的・経験的に自分の好きな漢字を入れたい私のVSになっていた。

そこで、一文字目に私の好きな漢字+二文字目に夫が入れたいと言っていた漢字→「しゅう」が入った読みの名前を生成。私の提案した漢字のその心は、志を持って気高く生きて欲しい、というなんとも欲張りセットなものだが、夫にとってもギリギリ許容範囲であったらしい。
しかし読みには思うところがあったらしく、一文字目の漢字が持つ別の読みに変更することを提案され、すったもんだの上合意、これで一応明日生まれてきても赤子には名前があることになった。

でもたぶん、また名付けに関する話し合いをする機会が設けられるとは思えないから、この候補でゆらゆら迷いながら本決定になるんだろうな。
読みが変わったせいもあるし、まだ見慣れない字面。苗字とその名前を続けて何度か書いてみる。まだ馴染まない。
確かに複数の読み方が出来る漢字だけど、変えた方の読みの方がマイナーかつ名前読みでしか使わない読みだし、漢字の意味にも少し引っ掛かることがある。特定の意味でこの漢字を好まない層がいるのも調べて分かった。だから迷う。ためらう。

これはフィクションではないから、名前ひとつで運命が少し変わるなら、いくら名付けが好きでも簡単にはGOが出せない。怖い。


8日前(10月18日・水)

私が好きなしゃびしゃびのカレーを作る。
夫が作るカレーは、美味しいけれどその時の冷蔵庫にある肉とか野菜とかを使うことが多くて、毎回味が違う。私のカレーは具材も量も使う肉も決まっている。ごはんも炊いて、ほかほかしゃびしゃびの昼ご飯。思わずお代わりする。

お腹が張るが、頑張って散歩に出かける。高田馬場と新大久保の間にマドレーヌ専門店があり、駅からもそこそこ距離があるので散歩にちょうどいい。
そのイートインでゆっくり電子書籍でも読もうと思ったのだが、電波状況がとても悪く、数ページも読めない内にマドレーヌを食べ終わってしまった。身体的にはもう少し休みたかったけれど、手持無沙汰な気持ちが勝ってしまい、早々に撤収した。
帰り道、高田馬場の老舗和菓子屋「青柳」で、お土産にどら焼きを買う。

夕食の片づけをしていてふと気づく。 カレーを6皿分の分量で作り、加えて夫は夜は軽くしか食べていないのに1皿分しか余らなかった。つまり、これは夜もこっそり少しお代わりした私が食べすぎと言うことなのだろう。

いつ設置にするかで迷っていた、ウォーターサーバーの申し込みをする。生まれるより早く料金が発生するのは勿体ないし、予定日(24日)より一週間遅い11月1日を設置日にして申し込んだ。


7日前(10月19日・木)

もはや曜日の感覚がないので、朝起きた時、今日が金曜日(健診の日)かと思って一瞬めちゃくちゃ焦る。健診すっぽかしたかと思った。

ベビーベッドの選定を行う。レンタルできるサイトを見出すが、思いのほか種類がたくさんあって難しい。
費用はできるだけ安く抑えたいけれど、どうせ使うならおしゃれなものがいいという欲も出てしまい、候補が絞れない。

出産後、今のマンションの部屋は引き払うことになるため、いつも手つかずだった台所の魔境(になっていたゾーン)を片付ける。夫の出張土産のエスニック系調味ソースが大量に出てきた。こんなに……? 
それと、紅茶・コーヒーの類を合わせて段ボール箱に詰めると、大ひと箱分がいっぱいになった。今の部屋は狭くて、一度他の物品に埋もれてしまうと、発掘することが非常に難しかったのだ。


6日前(10月20日・金)

定期健診に行く。今日も、診察より先に心音を聞くフェーズが入る。
前回・前々回共に赤子が寝ていて動きがないとのことで、強制的に振動を当てられ起こされていたけれど、本日は自主的に動いていた。

元気で何より、と思ったのもつかの間、体重が3170gになっていて、「……でかくね?」と不安がよぎる。あと予定日まで1週間もあるし、初産だから、出てくるのが遅れるはずなのに。
一週間で150g程度増えている、つまりあと300gは増えることを想定しなければならない。

調べてみると、一般的には4000g以上を巨大時と言うがそれは欧米基準で、3500g以上は日本人体型が産むには既に大きいとか、赤子が大きいと産む時に傷がつく可能性があるとかいう情報があり怖い。
原因は、母体の糖分接種過多だという情報もあった。私のせいだったのか。

でも甘いものは無限に取りたい、我慢しようとすれば飢えを感じる。
だって妊婦の体、ただでさえ食べられないものや食べるのを推奨されないものが多すぎる。個人としても好きな食べ物ランキングベスト5を封じられているような状態で、甘いものさえも制限されたら辛すぎる。
母になるのだったら、そのくらい我慢できなきゃ駄目なのか?

そんな風に悶々としていたところで、実母から「大きいね」という言葉を向けられダメージを受ける。うるさいな、知ってるよ。ネガティブなネットの記事たちが頭を駆け巡る。
その時、ちょうど様子はどうだ、と連絡してきた叔父に赤子の体重を伝える。すると「すこやかだね」と言われて、一転目の前が晴れたようになる。体重が順調に増えているということは、すくすくと成長しているということ。
そうか、これはすこやかということなのか。

そもそも、母の言うことにだけやたらと過敏になっているのは、私が一番わかっている。赤子の体重が増えているのも事実。わかっていても、ささくれるのをとめられない。嫌な気持ち。
でも、受け止めようとしてストレスを溜め込むのはもっとよくない。
すこやか、すこやか、と自分に言い聞かせる。


5日前(10月21日・土)

午前中、夫の用事に付き合う。用事の場所が私実家に近かったため、その後実家に顔を出して、出来ていなかった家具の組み立てなどをするためだ。
出産後の環境を整えるため、ここのところ毎週のように私実家に足を運んでいるが、そのたびに、病院から離れたこの場所で何かあったらどうしよう、と考える。今日なんて、予定日まで一週間を切っているので、夫の用事を済ましているとき、相手方が驚いていたくらいだ。

テレビの配線、ベビーカーの組み立て、ダイニングテーブルの組み立てなどを、私両親と協力して行う。協力して、と言っても、私が全く戦力にならない&父は腰を痛めているため、ほとんど夫と母の二馬力での作業。
IKEAのダイニングテーブルを組み立てている夫に「ぼくにはとてもできない」という視線を注ぐ私。それを見て夫は「生まれてくる子もIKEAのテーブルくらい組み立てられるようになってほしい」と言った。
そりゃあ私だって、私に似て不器用な子になるより器用な子に育ってほしい。あと頭が良くて高身長でイケメンに育ったら最高だね。

母が、退院する日にはお寿司をとって、生ハムと明太子も用意する予定だ、と言った。母は、私が律儀にこれらの好物を食べるのを自重していたことを知っているから。
(頼もうとしている寿司屋では、折りではなく)単品でも注文できるから、何のネタが食べたい? と問われ、本当に十か月近くお寿司や生の海鮮を食べていなかった私は、ねぎとろ以外の寿司ネタの名前が口から出ず、ねぎとろと、ねぎとろと、他は……と時間をかけてお寿司のことを思い返した。


4日前(10月22日・日)

夫と車で池袋西武へ買い物に行く。まずはお風呂に取り付けるアルミブラインドのオーダーのために無印良品へ。
それから、同デパート内のおもちゃ売り場へと向かう。このおもちゃ売り場は以前にも下見?に来たことがある。そこで月齢の浅い赤子用おもちゃセットに二人とも惹かれたのだが、その時は電車で来ていたため、セットなだけに嵩張るそれを買う気になれなかったのだ。

てっきりそれだけさくっと買うのかと思いきや、夫は次々に「これもほしい」「これも良さそう」と、もう少し対象年齢が高いおもちゃを見繕ってくる。いや、1歳からと書いてあるものは一年使えないじゃない。その時買えば良いじゃない、と言ったものの、夫のテンションが下がらない。

しばらく色々と議論をしたが、そもそも夫にとって池袋西武のおもちゃ売り場は、亡き祖父に連れてきてもらった思い出の場所である、ということを尊重し、木琴や積み木、他(他!)を爆買いしたのだった。
売却された消えゆく池袋西武、腹の子の記憶に残る頃にはすっかりヨドバシになってしまうのだろうか。

その後、その他のこまごまとした買い物を済ませ、一度帰宅。
少しもしない間に横になり、自分のいびきと格闘しながら寝落ちした。

早めの夕食後、新宿へ散歩に行く。散歩、だけれど、新宿までは電車移動。なぜなら夫が「もう(予定日まで目前で)二人で散歩に行けないかもしれないし、いつもと違う場所でも行く?」と言ったからだ。

私はこういう、“最後かもしれないから”、“今だけかもしれないから”という誘い文句に非常に弱い。その言葉を添えられるだけで、胸をぎゅっと掴まれたような気持ちになる。
それだけで、東口交番前に出る階段だってロータリーだってその先にある人が多すぎて歩きにくい交差点だって外国人だらけのABC-Martだってひやかすけど結局買わないディズニーストアだって営業を終えてシャッターを下ろした新宿伊勢丹だって、特別なものに様変わりする。花園神社や歌舞伎町は、夫と歩いていても変わらず怖いけれど、その心細さだって好きになれる。

だからだろう、新宿三丁目~二丁目~新宿御苑駅周辺と、いつもの散歩にも増して歩きすぎた。ここ数日、日が落ちてからは秋らしく涼しくなってきて、歩くのが苦ではなくなったせいだ。無理をした足が痛い。
ついでに腹も少し痛いような気がするが、長い時間外にいて、さすがに体が冷えてしまったからに違いない。
友人からの「もしかしてそろそろ生まれた?」というLINEに、まだまだよーなどと返信しながら眠りにつく。


3日前(10月23日・月)

午前4時頃、尿意で目覚める。
妊娠してからは用を済ませた後のトイレットペーパーを見て、異常や出血がないのを確認するのが常になっていたが、寝ぼけ眼にもわずかに赤いものが付着しているように見え、しばし固まる。少しの間そうしていると、今度ははっきりと下から何か出た感覚があり、慌てて拭きとると、赤いドロっとしたものがはっきりと確認できた。

そういえば私、寝る前から軽い生理痛のような痛みを感じてたんだった。いや、でもまさか、まだ早いし。
その後少しトイレで時間をつぶしたが、少量ながら出血が続いたため、とりあえず生理用ナプキンを当ててトイレを出る。

さすがに寝直す気にはなれず、母子手帳、診察券などを机の上に出し、病院で配布されたお産ガイドを改めて読んでみた。そこには『出血は体の異常の可能性があるため、我慢や先延ばしをせずに病院へ』との旨が記載されている。その間にも何度かトイレに行ったが、出血がゼロにはなっていない。
病院に連絡しないという選択肢はない。夜の病院は怖いとか、夫を起こすのも悪いなどと言っている場合ではないのかもしれない。

いよいよ覚悟を決めてポケモンスリープの計測をストップし、寝ている夫を起こすと同時に、病院へ電話をする。しかし、予定日も近いし、鮮血じゃなければ様子見しましょう、と言われて、とんだ肩透かしを食う。多数のクエスチョンが頭に浮かび食い下がるも、病院側はあくまで様子見をすすめてくる。
そっちが「出血があったらすぐに連絡を!」って言ったのに、こんなに突き放してくることってある? と泣きそうになるも「約一時間後の5時までにいつも通りの胎動があれば、ひとまず異常出血ではないでしょう、そうでなければまた連絡を」という内容で私も納得し、電話を切った。

夫を再び寝かせ、私も布団に潜り込む。リラックスが大事だろうと思い、お気に入りのプレイリストをかけて目を瞑った。はじめは腹が張ってばかりで動く気配がなく、緊張感が高まっていく。
やっとここまで来たのに、もしかして無事に産めないのか。一分一秒がやたら長い。
4時50分近くになり、ようやくいつもの胎動を確認出来て安心するが、気が高ぶって眠れない。手足の先が冷たい。

朝6時。頭から布団を被ってやり過ごしていたが、外が明るくなってきた。
変化としては、これまでに比べるとはっきりと腹の痛みを感じるようになってきた。これが陣痛というものなんだろうか。でも10分間隔ではなく、10分前後間隔で、眠れていないつもりでもふと意識が飛んでいる瞬間もあるのだろうか、20分以上痛みが来ない時もある。

これは陣痛なのか。もう産まれるのか。どうしても予定日より遅れると思っていたので、心の準備が全然出来ていない。
もしこれが陣痛で、今日明日にも出産に臨むのなら、note日記の編集、もっと早め早めでやっとくんだった。


昼間は定期的に腹が痛くて、その度に敷いたままの布団に避難して転がっている。だけど動けないほどでは無い。
痛みの間隔は、相変わらず10分~20分。朝に比べると、そのばらつきは少し収束してきている。


夜になるにつれて、どんどん痛みがはっきりとしていく。「痛いかも」から「痛い、さっきより確実に痛い」へ。21時台になると痛みの間隔が10分を切ることも増えていき、その波が来ている間は、寝転がってきゅっと丸くなっていないと凌ぐのが難しい。

昨日も出血したことだし、体調がいよいよキツくなる前にと、寝る前(23時頃)に病院に電話をかけて判断を仰ぐことにした。
しかし返答は、初産だし病院まで10分の距離に住んでいるなら、まだ自宅待機が望ましい、とのこと。今感じている痛みは本陣痛のようだが、病院に来てもやることは一緒なので、リラックスできる環境で陣痛を粛々と進めるのが一番良いという意図らしい。だが出血・破水があったら、ただちに病院に連絡すること。

自宅で恥も外聞もなくうめいているのと、知らない人だらけの病院で痛みに耐えることを想像し、まぁ一理ある……のか? と思い、布団の中でやり過ごそうとするが、陣痛カウンター(計測しなくてもいいと言われたけど、ポケモンスリープも起動してなかったし)の記録は5分間隔になっていく。
間隔が短くなるに比して痛みも強くなり、午前1時、下からどろりと何かが出た感覚があってトイレに立つ。案の定、赤黒い鮮血を確認。
そして、そろそろ便座に座っていても前かがみになるしかないほど、瞬間的な痛みが激しく感じられるようになった。

これはもう猶予なしでしょう、ということで夫氏を起こして病院へ行く準備をする。入院用の荷造りは殆ど済んでいる。
最後に、いつも使っている日用品(充電器や母子手帳等)をキャリーバッグに放り込み、私はパジャマのまま夫の運転する車に乗った。陣痛タクシーの登録はしていたけれど、使わないで済んだなと思った。

病院へ到着し、守衛さんに夜間受付をしてもらう。夫が守衛さんが院内に確認を取りに行き、夫が車を止めている間にも、どんどん強くなる痛みの波に耐え兼ね、キャリーバッグにしがみついてしゃがみ込むなどする。

その後も何度か波と戦いながら産科の分娩室に辿り着くと、赤髪の助産師さんが登場し、まずは内診を行うことに。すると、既に子宮口が4cmほど開いており、赤子の向きもスタンバイオーケーとのこと。
「あーこれは今日中に会えますよ! 早く産みたいですかね?」と問われ、その時点でかなり痛みを感じていた私は、そりゃこんな痛い思い短くて良いよ、早く産めるにこしたことないさと思いYESと言う。
私の返事を聞いて助産師さんは、内診する機械をゴリっと動かして胎に刺激を与えた。

夫には一度帰宅してもらい、私はそのまま分娩室へ移動する。
分娩室といっても、大きな部屋の中が4つ程度に仕切られており、それぞれベッドと何かのモニタが置いてあり、印象としては待機室みたいな感じ。ここでしばらくお産を進めていくらしい。
いわゆるドラマなんかの最終局面でみられる、股を開いて子を産み落とす「分娩台」にはしばらくいけそうにないようだ。

そうだ、確か、分娩台に上がるのは最後の最後だけ。昔読んだ漫画家の出産体験記に、分娩台にあがるまでが長すぎて、台に上れるとなった時、とても嬉しかったと書いてあったな……と思い出す。
誰の体験記だったか忘れたけれども、りぼんの作家だったかな。

今から、私のお産本番がはじまる。

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