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むすびの言葉は重い

12月27日(金)

終わりよければすべて良し、という言葉がある。
帳尻合わせという言葉もあって、要は最後うまく合わせればいいという文化がここにはある。
だけど正直、私は年末の挨拶が苦手だ。

いや、年末の挨拶が苦手だってどういうことだよと思うだろうけれども、まず第一に「よいお年を」という言葉が口に出すとおさまりが悪くて、もごもごしてしまうこと。
なぜ「を」で終わる。
なぜ「年」に「お」を付ける。私は何に敬意を払っているんだ。
だからといって「よいお年をお過ごしください」だと何だかかしこまりすぎだし、押し付けがましい気さえしてくる。

第二に、「良いお年を」にプラスワンの言葉を付け加える必要があること。
新年の挨拶であれば「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」までが定型文として用意されているが、こちらの方はそうもいかない。
「今年もお世話になりました」「来年もよろしくお願いします」辺りがメジャーな選択肢としてあげられるが、ほら、第一の理由と合わせて口に出してみて欲しい。

「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします。良いお年を」

最後の一文だけ短くてバランスが悪い。だから何となく、「良いお年を~」だなんて間の抜けた感じで伸ばしてしまう。
この謎のコミカルさが許しがたい。

そして第三に、この言葉を使えば使うほど帰りにくくなるということ。
仕事納めをし、打ち上げもそこそこのところで切り上げて自部門のフロアに帰ってくる。一年最後の日報を書き、いそいそと退勤の準備をする。だけどこんな日でも、お客さんに振り回されて残務処理をしている人もいれば、テレビモニタのある席で仲の良い人たちとの二次会もどきを始める人もいる。
そんな中で「良いお年を」という言葉を一旦発すれば、どうなるかおわかりだろう?

うめぼし見たら唾液、レベルの反射力でみながこちらに注目を向ける。
残務処理をしていた人も手を止めて、私に「よいお年を」と言ってくれる。丁寧な先輩が頭を下げて私に「よいお年を」と言ってくれる。二次会もどきの民も、二次会もどきのテンションのまま私に「よいお年を~ウェ~イ」と言ってくれる。それにひとつずつ、私はまたもごもごしながら「よいお年を」を返す。「よいお年を」の輪が広がっていく。ありがとう、みんな大好き、本当に感謝してるから、頼む、ひっそりと一刻も早く帰らせてくれ!

最後はもう逃げるように扉から転がり出る。今年も、うまく年末の挨拶ができなかった。それが小骨のように引っかかったことをすっかり忘れた頃、今度は新年の挨拶がやってくる。あれはあれで苦手だ。

ともあれ、仕事はおさまった。これも大団円といえるだろうか。
十日間のソシャゲのイベが昨日終わったこともあって、今日はいつも以上に眠い。睡眠をゴリゴリ削った十日だったから、今日はもう寝る。シンデレラを出し抜くくらい、シンデレラタイムを満喫してやるんだ。

時間があれば、年内にもう一本noteを書きたいと思っているけれど、私の事だからどうなるかわからない。わからないし、そういう挨拶をするような記事になる予定ではないので、今、先に言っておくね。

「それは皆さま、よいお年を」

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