光とは?
よくあの人は光っている
と言いますよね!
光を意識してみるとさまざまな気づきがあることでしょう。
まず朝起きた時、太陽の光を感じます。眩しい光もあれば、微かな光もあります。池に反射した光もあるし、窓ガラスに反射した光もあります。
車のボンネットに反射した光もあるし、持ち物が光に反射して光ることもあります。夜空に輝く星の光もあります。
このように身のまわりにはどんな光があるか調べてみましょう。
現代では、光があることは当たり前になっています。電気がまだなかった頃は、光は貴重なものでした。
停電になると、かつてはろうそくや灯油ランプの光で生活したようです。今なら懐中電灯でしょうがあまり停電にならないので実感としては光のありがたみをあまり感じないかもしれません。
光は人間にとって大きな影響力を持っています。冬になって日が短くなるとうつ状態になる人もいます。アラスカでは冬になると太陽がわずかしか出ないので人々は家の中に閉じこもっています。夏に太陽が沈まなくなると人は生き生きとして睡眠時間も少なくなるようです。光にはエネルギーがあります。何かを生み出す力も備わっているようです。
また、太陽がもたらす光には、人を癒す効果も認められています。1日に15分程度、直射日光に当たれば、ビタミンDを生成を促す働きがあるので良く勧められています。さらに太陽は、穀物や野菜などを始め生き物を育み育てます。太陽のエネルギーが食べ物を通して私たちに注がれているのです。
絵画の美しさも、景色の美しさも、着ている洋服も、宝石の輝きも、身の回りの全てのものは光あってこそ美しいと感じるのです。
このように光を探していくと、自分の目はとても大切な臓器であると意識するようになります。
フリーエネルギーがそのうち実用化して、人々はエネルギーを無料で得ることができる時代がきていると言う話もあります。すでに技術はあるそうですが、現在のエネルギー業界の利益が絡んでいるのでなかなか実用化できないようです。このエネルギーも光なのかもしれません。
目は、光を集めて取り込む大切な臓器なのです。同時に多くのエネルギーも体に取り込んでくれているのではと私は感じています。
光は意識してみると、あらゆるところにあることがわかります。太陽の光、月の光、星の光、微かな光、反射光、空を満たしている光、、、
さらには、禅では「すべては、それ自体の光を持っている」と言うことも言います。この意味は、人がまわりにもたらしてい特別な光にも気がつくのです。
光は、希望を表してもいます。「私は世の光である」とキリストは言いました。また、「私は命の光」とも言っています。また、「あなた方は世を照らす光になりなさい」とも言っています。
また、チベット仏教では、「私たちの思考や感情の背後には3つの基本的な意識がある。それは、明るいこと、はっきりしていること、境界がないことである。」とあります。
このように光には物理的な光と、精神的な光があります。
私たちは皆、自分自身の光を持っているのです。自分の光はどんな光なのでしょうと考えてみるのも良いと思います。
誰でも、世の中に何かを提供できる光になりたいと思うのではないでしょうか。その時に、体・心・精神・魂が健康であれば、その光の影響力は大きくなるように思います。
逆に不健康であったり、不満、悪口、嫌味などの良くない思いをまわりに出しているのであれば、その光には雲がかかって弱くなってしまうのではないでしょうか?
私たちの持っている光を大切に育てていきたいものです。