なぜ、病人が増えているのだろうか?
現代は、なぜ病人がこうも多いのでしょうか? コロナでなぜこんなに騒がなければならないのでしょうか?
こんなに技術が進歩して、医学も進歩しているのに、また多くの健康知識は、スマホやパソコンで、誰でも手に入れられるのに。
毎日のように新しい治療法が現れて、これらの情報を今までごく一部の専門家しか入手できなかったのに、今では、その気になれば、もし、自分が病気であれば、それに対する処方を探せるのです。そして多くのかたがそれを実行していると思われるのに。
科学や医療は今までになかったほど、急激に進歩しました。それにもかかわらず、以前よリも病気になる人、半病人の人が増えています。うつ病は驚くように増えています。糖尿病、心臓病、脳卒中などの慢性病、ガンなどの死と隣り合わせと思われる病気が無くなりません。自己免疫疾患は、ものすごい勢いで増えています。
私たちの生活が毒で覆われていて病気にならざるを得ないからでしょうか?加工食品、食べ物に含まれる化学物質、公害は、確かに病気の原因になっていますが、他の切り口からみてみると、私たちの心が深く身体と関連しているという面もあるのです。
実は、ここに来てようやく、私たちの考え方、信念、感情がどれほど深く私たちの体の健康に関係しているのかが、わかっているのです。
このことを調べて見るとたくさんの事実が見えてきました。
1947年に採択されたWHO憲章では、前文において「健康」を次のように定義しています。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)」
1998年の第101回WHO執行理事会において、「spiritual(霊的)とdynamic(動的)」を加えた新しい健康の定義が検討されました。賛否両論があったのですが、審議した結果、採択が見送られました。
WHO憲章における「健康」の定義では、病気でないとか、弱っていないということではなく、
肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態
にあることをいいます。と定義されています。さらには、霊的状態、動的状態も真の健康にとって大切なことなのでしょう。
今の健康診断をしていると、皆の健康の定義がこのWHO憲章から大きくずれてしまいます。すなわち、病気の兆候がなければ、私は健康であると考えてしまうのではないでしょうか。今の健康診断は病気の兆候を検査する病気診断と呼んだ方が誤解が生じないのではないでしょうか?
現代では、病気になっているかなっていないか、あるいは検査結果の数値にばかり注意が向けられていて、精神的にも社会的にもという箇所と、WHOの採択では見送られていますが霊的と動的のあたりが見落とされているのではないでしょうか。
ここで、古代の有名なピタゴラスの生活や言葉を探ってみましょう。
ピタゴラスはどこかで聞いたことがありませんか?
そう数学に出てくる三平方の定理です。この定義は、ピタゴラスの定理とも呼ばれています。
このピタゴラスは、弟子を指導して毎日を過ごしていましたが、時には一定期間、神殿にこもって瞑想と祈りをしていました。その時の食事は、海草、スイレンの花、・・・、はちみつ、、、、、だったようです。特に海草の持つ医療効果を高く評価していました。そして、肉体を神の住む神殿であると考えていたのです。
ピタゴラス教団の人々は、夜明けとともに起きて、音楽を奏でながら瞑想を行なっていました。夜明けの前からうっすらと空が白く輝く「明けの明星」のもとで瞑想を行なっています。ピタゴラスは金星(=明けの明星)の持つ力を最も重視していました。音楽は人間の魂を揺りうごかす力を持っていて魂を沈め、より良い瞑想ができると考えていました。また、修業者は、入団を許される条件として一定期間の沈黙が課せられていました。
『沈黙』
こそ、エネルギーを高める方法だからです。
さらにピタゴラスは、真理に到達するための10の格言を教えていました。ピタゴラスが書いたと言われる「黄金詩篇」という本には彼の後に続く人々に与えたアドバイスが書かれています。簡単にまとめてみますと。
・神を愛し、偉大な英雄を讃え、この世の4つのエレメントである 「地・水・火・風」を大切にすること
・日常生活には細心の注意を払い、毎日のことだからとおろそかにしないで、真面目に取り組むように。
・地上的な財産に執着するよりも、心や魂の宝を大切にすること。
・もし、人間が低次元の物質的本性を克服して、自制心を身につければ、最終的には神のみ前に出られる栄誉を与えられ、神と一体となって神の永遠に生きる生を分かち合うことができる。
何か理解しにくいところもありますが、現代人に忘れられているものが見つかりそうです。