浅田家!

AM8:25 新宿バルト9にて

観ておきたくて行ってきた直後。何に引っかかったのかを残しておくといい気がして。

映画のフィクションの部分はあんまり面白くないところもあった。というよりクサいように感じる点が多かった。けどそれ以上にノンフィクションがしっかり体重乗って伝わってきた気がした。震災から来年で10年というタイミングでこの映画を公開した意味もしっかり感じられた。

震災の悲惨さ、写真の意味とかそれで救われる人たち、家族の愛情が印象に残っている。

病気で幼い長男の命は長くなく、家族写真を二宮くんに依頼した家族。最初はお母さんが二宮くんに和かに話をしているシーンに違和感を感じた。半年前に病気が発覚してそんな笑えるのだろうかと思った。でもそこには何度も泣いて悔しくなって、やり場のない憤りに葛藤した末に、少ない家族の時間を楽しく普通に過ごそうと決めた親の覚悟が二宮くんに写真を依頼した経緯だと想像するとしっくりきた。親の強さと愛情だと思った。

震災が起きて東北を訪れた二宮くん。そこでは被災地でアルバムを拾ってきては汚れた写真を洗うボランティアを1人でやっていた菅田くんと出会う。菅田くんもそれがいいことなのか、親友の行方が分からない中こんなことをしている場合なのか、葛藤しながらも続けていた。それでも二宮くんや街でスナックを営んでいたおばさんも手助けし、写真を洗う日々。そんな時に被災した町民に人のアルバム勝手に持ってきて洗って展示して何してんだ、と怒鳴られる。菅田くんはその言葉に、自分のやっていることが正しいことなのか分からなくなったようだった。スナックのおばさんは変なクレームだと言っていたが、被災した人たちの中にはそれがキツかった人がいたことも事実だろうと思う。

それでも、旦那の写真が見つかった、子供の写真が見つかった、と感謝して持って帰る人たちもいて、誰かのためになっていたことも間違いないはずだった。あの時の誰も間違ってないのに誰かを苦しめて、誰かにぶつかってしまう感じがとにかく悲しかった。

お父さんの写真を探す女の子。お母さんと妹の写真はたくさんあるのにお父さんのがない。お父さんが一緒に写ってないのは私たちのことが好きじゃなかったからなんじゃないかと疑っていた。だから家族写真を撮る活動をしていた二宮くんに家族写真を撮って欲しいとお願いする。でもお父さんは震災で亡くなっていた。その頃、二宮くんのお父さんも病気で倒れてしまった。回復を祈願して小さい頃兄と一緒に父に写真を撮ってもらった神社にお祈りに行った。その時に気づいた。なぜあの女の子のお父さんの写真がないのか。だから、二宮くんは被災地を再度訪れ、女の子に家族写真を撮ろうと言う。女の子はお父さんがいないのに撮れるのかと尋ねる。二宮くんは撮れるよ、と言う。女の子からお父さんの形見の腕時計を借りてレンズをのぞく。思い出の海で女の子がカメラの方に目を向けるとお父さんの腕時計をつけた二宮くんにお父さんが重なる。笑顔の家族写真になった。女の子が見つけた自分たちが写った写真の数だけお父さんの愛情があった。ぼくの写真も親の愛情の数だと思うと膨大な量だ。

写真を復元する活動にクレームをつけたおじさんが再度やってくる。娘が亡くなったが写真が残っていない。遺影にする写真がない。写っている写真を探しにきた。やっとの思いで卒業アルバムを見つけた。見つけられたのは部活動の集合写真で2列目に小さく写る写真だけだった。それでも感謝して帰っていった。

写真はいなくなった誰かが確かにいたことの証だった。思い出とか楽しかったこととかその時の空気を閉じ込めていた。

震災が多くのものを奪って当事者ではないぼくには計り知れない部分が多いけど、消失感の中から写真が少しだけ思い出を返してくれたような感じがした。そして立ち上がっている姿も描いているところに希望を伝えたかったような気がした。

何かもっと思ったことがあった気がしたけど時間が空きすぎた。うまく表せない。でも写真が誰かがいた証であること、愛情の証であること、震災、これらが大きかった。

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