我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん
論語にある孔子の教えらしい。
弟子に「先生は人間が死ぬということについてどう思うか」と尋ねられて「生きることすらまだ分からないのに死んだことなんて分かるわけがない」と答えたそうな。
イエス・キリストも「神は生きている人のためであり死んだ人の神ではない」と言っているらしい。
世界には多くの宗教があるが、そのほとんどは真理は似通っている、と読んだ本に書いてあった。そしてそれを汲み取っている信者は他者を冒涜したりはしない、と。
言葉尻だけを掴めばこの世界は争いになるけど、真理をみんなが感得できれば思想は違えど共存できるはずなんだ、と。
正直毎日のように死にたいと思う日々が続いている。生きた先に希望が見えない。何歳までにどうなって、何歳で結婚して子供は何人いて仕事はこんな感じで。そんな理想を抱くことができない。1人でいると死に方ばかり考える。入水は死体が見つからないと親が不憫だろう、飛び降りはぐちゃぐちゃになりそうだ。この顔はわりと気に入っているから残しておきたい。切腹は痛そうだが1番良さそうだ。薬は楽に死ねてしまう、ぼくみたいなのは苦しむべきだろう。そんなことを考える。
直ちに死ねるかというとそんな勇気も覚悟もない。ただ生きながらえることが苦痛で仕方ないのも事実だ。生きることがどんなことかは分からないが苦痛である。死ぬことがどんなことかなんて分かるはずもないが救いに思う。そういう風に考えるようになった。
誰かの不幸せを願っている自分を嫌いになる。
あの日の前のセーブポイントからやり直せたらと思うけど戻れない。
「当たり前がそうじゃないように あの日に戻れないように こんな日々でも進むgoing 悪くはない 今feel so good 吐いた息は戻らない この先もまだ分からない こんな日々でも進むgoing 今はgo 深くbreath」
あの日を重ね合わせてなんとか希望を見出そうとしている。難しいけど。何もないけど。楽しいことなんて一つもないけど楽しいフリしてやってる。
明日は天気がいいらしい。天気が良ければfeel so good だ。