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マイノリティ体験記 in the Philippines
自分の中だけ大反響だった超絶俺得noteから、半年の期間を経て真っ白なウェブページに得意なフリック入力を駆使して文字をひたすら打ち込んでいくnoteに舞い戻って参りました。おひさしぶりです。
さて、この大海に飛び込んだということは、そう、ヘラルボニー恒例のnoteリレーが始まるのです!(ワアー!)
以下のようなスケジュール感なので、よかったらヘラルボニーnoteもフォローいただけると大変うれしいです。
更新頻度 : 毎週金曜日
【スケジュール】
12月
4日:大田 雄之介
11日:丹野 晋太郎
18日:深澤 佳歩
25日:松田 文登
1月
8日:松田 崇弥
15日:佐々木 春樹
22日:???
29日:西野 彩紀
2月
5日:泉 雄太
12日:???
そんな、栄えあるトップバッターを務めるのは、ヘラルボニーの大田(@yoda_ota)でございます。
現在は、主にHERALBONYの名古屋担当として、サステナブル・ミュージアムを運営しています。
ちなみに、昨日知多にある民宿に泊まりました。なんと、お土産としてみかんをいただけることに。
そのみかんの数は30個。当分の健康が約束されたと同時に人の温かさに触れて、ほくほく状態なのが最新のホットトピックです。
さて、早速ですが、本題です。
あなたは、「マイノリティ」を感じたことありますか?
遡ること、約10年前の冬。
「フィリピン共和国」に僕はいました。
目的は、半年かけて英語を勉強すること。
バスで7時間揺られて北にあるバギオという都市を目指す。
どうやら、全校生徒は300人らしい。
日本人は俺を除いて「ひとり」らしい。
そして、まわりは、みな、韓国人らしい。
いやいやいや、確かに、日本人少なめの学校が良いなーと思ったものの、まさか「ひとり」とは。(2週間ほどして唯一の日本人の彼は卒業し、あっさり本物のひとりになりました。)
そして、入学するや否や、自分の英語名をつけてくださいとのこと。
中学生の頃大いに俺を困らせたあの悪魔的英語教材「NEW HORIZON」で見た記憶のある陽気なBobがパッと脳裏をよぎる。そして、俺はBobとして生活することになった。
オリエンテーションは英語。ちょっと、何を言っているかわからない。その後の補足は、当然韓国語だ。もちろん、何を言っているのかわからない。
そして、住み慣れない環境は何かと精神的な負担は大きかったようだ。みんなこぞって話しかけてくる。ありがたい。さぁ話しかけられれば、なんとか応答したい。俺に向かって何かを言ってる。英語の情報ブログにも、わからなかったら、「わからない!」って言うこと!としっかりと書いてあった。大丈夫。俺なら行ける。数秒後、「ウンウンウンウンウンウン!!!」とガンガン頷いている自分がいた。全部わからない場合は、「わからない!」すら言う隙が無いんだぜ!そして、わかっている風&プロ級の頷きをしていると、向こうも分かっているだろうと思い、質問をしてくる。
向こうの語尾があがった。さぁ質問タイムです。さっきまで散々頷いていたヤツが、急に黙る。実は、何を言っているか分からない&何を話したら良いか分かっていないのだ!
「もっと日本で勉強しておけばよかった。」「NEW HORIZON頑張っておけばよかった。」と後悔に後悔を重ねた。やがて、人と話すのが怖いどころか恐怖となり、挨拶も超控えめに変わっていった。全然GoodじゃないMorning。もちろん、部屋から出るのも億劫になり、さらに追い討ちをかけるように1週間続く食あたりが俺を襲う。屋台で食べたピーナッツだろうか。
夜な夜な抱くのはトイレ、そして唸る俺。
さらに数日経ったある日、俺はベッドから起き上がれなくなっていった。
その時、文登さんからLINE電話が来て、つらすぎる、もう帰るかもしれない。と速攻弱音をドボドボ吐いた。そしてら帰ってくんなよ!と言われた。鬼かと思った。鬼だった。鬼殺隊に依頼したい。
通常のストーリーだと、この辺で起承転結の「転」に入るが、入学して2週間くらい経って食あたりが良くなってきた頃、なんだか周囲の様子がおかしいことに気がついた。もちろん良い話ではない。
・食堂で、集団の韓国の方々が俺の方を見て韓国語で爆笑。
・すれ違うたびに、日本人の蔑称を韓国語で言ってきてた。(後から知った。)
・キムチの発祥は日本と言い張っている日本人(俺)がいる。という噂が学内で流れる。
・独島&竹島問題についてやたら問い詰められる。
・日本人は敵やろ?と真顔で言ってくる。
などなど。
当時、英語力不足から「マイノリティ」という言葉すら知らなかったが、今考えてみると、この時が俺の「マイノリティ」体験だったんだと思う。わかりやすい言葉で表すと、「つらい」である。
ここでようやく良い方向での「転」を迎える。
4週間経って、部屋替えを申し出た。1人部屋から4人部屋へのグレードダウン。差額のお金が欲しかったのと、どうにかこの環境を変えたい。と思ったためだ。
その判断は大正解。ChrisとDiverという年齢で言うと10個くらい上の恰幅の良いお兄さん(형)たちと同じ部屋になった。もちろん差額も受け取った。
彼らは、部屋にいても韓国語を使わず、いつも俺が分かるレベルでゆっくりと英語でコミュニケーションを取ってくれる。
「なんかあったら言えよ?」とよく言ってくれた。その言葉だけでも当時の自分にとって心強かった。
韓国式の袋麺の食べ方をレクチャーしてくれたり、韓国の軍隊の話を聞いたり、ゲーセンに行ったり、サムギョプサル食いに行ったり、飲みに行ったり、英語が拙すぎる自分であっても、常に気にかけてくれるそんな彼らを兄貴として慕っていた。
そんな居心地の悪さと良さを交互に体験しながら過ごしていたあるの日お昼ごはん。ChrisとDiverといっしょに食堂へ。その日のお昼はビビンパ。学校1の人気メニューであり、ごちそうでもある。
テンションが高まる中、いつも突っかかってくるグループが僕たちの近くにいた。
「blah blah blah blah kkkkkkk」(kkk = 日本語でいう www)
また俺を見て、何か笑われてるなー、と思った矢先、ガタッ。と音がした。
Chrisが静かに立ち上がり、歩き出す。
笑っているうちのひとりの胸倉を掴み、持ち上げる。
そして、凄みながら、静かにつぶやいた。
何を言ってるかさっぱり分からなかったが、Chrisが俺のために怒ってくれていることが分かる。最初で最後のChrisが韓国語を話しているのを見た瞬間だった。
そして、その日を境に割と平穏なフィリピンライフが訪れた。
(どうやら、信じられないくらい、めちゃくちゃな悪口を言われていたらしいwww 日本語と比べて、韓国語の方が多彩な悪口ラインナップが揃っているんだとか、ないんだとか)
スポンジのように英語を吸収し、吐き出すように忘れながら順調伸びて行き、別れを惜しみながらも、やがて俺は日本へ帰国した。(地獄のオーストラリア滞在ナイフ編もありますが、今回は割愛。)
帰国してから、吉野家の美味しさと偉大さに改めて感動する日々を送っていたある日、テレビでとあるニュースが大々的に取り上げられていた。
「中国人の爆買い!」
そのニュースを見て、「中国人はマナーが悪いなあ。」と純ジャパの爺さんがボソッとつぶやいた。
それに対してぼくは「みんながみんな悪いわけじゃないから、一括にするのは良くないと思うよ。」と返す。
同時に気づいたことがある。
もし、俺がフィリピンに行って、韓国の人々と一緒に生活して、嫌な人々、ChrisやDiverのような良い人々に出会わなかったら、俺も爺さんと同じく思っていたのかもしれない。
爺さんだけでなく、学校の周りのみんなも「○○人」ってこうだよね。
「○○人は嫌いだわ」、「○○人はめちゃ親切!」と意外とカテゴライズトークが蔓延っていることに気がついた。
それらのトークを耳にする度、強く思う。
「マジで人それぞれだと思う。○○さんって人がいて、その追加情報として、○○出身とかが加わるんです。よって、○○人とカテゴライズするのではなく、その人がどんな人なのか、向き合うことが大切よね?」
めちゃくちゃ当たり前のことかもしれないのですが、ヘラルボニーに入ってから、より強く感じる。
「障害者」という人物はこの世に一人も存在しないのです。
カテゴライズ眼鏡で物事を視るのではなく、
「○○さんは、どんな人なのだろうか」
言わずもがな、知ることが重要なのだ。
健常者と言われる人々は、「すごい人」や「偉い人」とも括りがちなところがある。ここを括るのも怖い。真弓さんのツイートを見てより一層強く感じた。
"そういう人"呼ばわりで思い出したけど、私は来年の抱負として、「すごい人」を禁句にすることにしました。自分がすごいと思う誰かを「すごい人」と呼ぶ、これって一見良いことみたいに思えるんだけど、実はすっごい弊害あんの。そのことに今年やーーっと気がついたので。
— 三浦真弓 / Mayumi MIURA (@mayumiura) December 3, 2020
一方で、作家の工藤みどりさんから言わせれば、安部元首相もひとりの「お兄さん」なのだ。みどりさんが安部元首相に向かって、「お兄さん、お兄さん!」と呼びかけ続けるその場にぜひ居合わせたかった。
このnoteでは、敢えて「○○人」、「○○者」という言葉を使ったが、俺はこの漢字3文字くらいですっきりさせることは今後しないだろう。
日本人なら、日本の方。
障害者なら、障害のある方。
細かすぎるかもしれないけれど、これが自分自身の納得感だ。
大前提として、「みんながみんな仲良くね!」と声を大にして言っているつもりはこれっぽっちも無い。
多くの人々が掛けている「カテゴライズ眼鏡」を外してもらい、リサイクルボックスへ入れてもらうのが自分自身の役割ののうちのひとつと認識している。そして、カテゴライズ眼鏡を外した状態で、どんな人なのか視る。そんで、あーだこーだ感じていただきたいものなのです。
自然とあなたもカテゴライズ眼鏡を掛けていませんか?もちろん俺も無意識に掛けてしまっている時があるのかもしれない。
普通の眼鏡を掛けている人ならダブル眼鏡になるので控えておいた方が良いかもしれません。
日本にいる他の国から来た人。知的、精神な障害のある人、性的にはマイノリティになる人。それらに当てはまらない人々も、カテゴライズ眼鏡を外して視ると「良い奴は良い奴だし、嫌な奴は嫌な奴」って分かるのだと思う。
そして、肝心なのは嫌な奴と思う奴に出会った時。
できるだけ早く、逃げ道を作り、その環境から逃げ出すスキルを身につけていくことも考えてみてはどうでしょうか。自分の居る場所は、自分で選ぶのです。時代はサステナビリティ。持続可能な生き方をしようぜ。
そんな令和時代も間もなく、早くも3年目カミングスーン。
ヘラルボニー 大田 雄之介